『6』
香奈は映画館にいた。 たった一人で、映画を観ていた。 だが、その目はなにも見ていなかった。 ただ、無意味に映像を映しているだけ。 姉の由加里が生きていた頃、二人でよく映画を見に行っていた。 月に一本、ぜったい見に行っていた。 だけど、もう、二人で行くことはない。 姉が見たいといっていた映画が、ようやく今日、日本で封切りになり、香奈はふと見に来たのだ。 由加里のことを、想っていたくて。 映画はクライマックスを迎えていた。 香奈の目から、知らず、涙がこぼれていた。 それは、映画に感動したからではなかった。 なにも、見ていない。 ただ、無性に寂しかった。
「…相原…?」 映画館の重い扉を開けたとき、ほかの客とぶつかった。 その客が、そう言った。 香奈はぼんやりとしていたから、のろのろと顔を上げた。 拓弥だった。 驚いた表情で拓弥は香奈を見ていた。 香奈はぎこちなく笑った。 「偶然ね…」 「……………」 拓弥は目を細めて香奈を見つめ、ポケットからハンカチを取り出した。 すっと香奈に差し出す。 香奈は不思議そうな顔で、拓弥を見上げ、そして自分の頬が濡れていることに気づいた。 「………ぁ」 わずかに焦って、香奈はそのハンカチをとっさに受け取り、涙をふく。 「あ、あの今の映画が……」 そう言いかけて、香奈は今見た映画がサスペンス物であって、けっして感動する話ではないことに気づいた。 香奈は拓弥のハンカチをぎゅっと握り締め、視線を床に落とす。 ほんのわずかの沈黙が、大きく香奈にのしかかる。 香奈はぽつりと呟いた。 「………この映画…、お姉ちゃんが観たいって言っていたから…」 だから…、と香奈の言葉は小さく消え行く。 香奈は床にしいてある、赤いじゅうたんをぼんやりと眺めていた。 しばらくして、拓弥の声が響いた。 「なぁ、ちょっと付き合わない」 見上げると、拓弥が優しい微笑みを浮かべていた。 香奈は、初めて拓弥の笑顔を見たような気がした。
助手席に置いている携帯電話が鳴り出して、夏木はちらりとその液晶画面を見て、道路の脇に車を停めた。 そしてようやく電話に出る。 「はい」 「和久か」 相手は西野だった。 「おじさん。先日はごちそうになりました」 「ああ…。和久」 「はい」 「明日、暇はあるか」 「明日、ですか?」 「ああ」 「明日は……、朝から一時まで予備校のバイトですね」 受話器の向こうで、なにか考えている様子の西野。 「…なら3時ごろ、私の事務所に来てくれないか」 「…はい、いいですけど?」 「………少し話がある」 重い口調。 「明日、3時に」 「はい」 西野はそう言って、電話を切った。 夏木は不思議そうな面持ちで、電話に目を落とす。 西野の固い口調に、夏木はふと思い出していた。 きのう、ビールが床に落ちてしまったときのことを。 強ばった表情の、西野夫妻のことを。 なぜか、そのことを思い出した。
ようやく気持ちが落ち着いてきて、香奈は前を歩いている拓弥の背を見つめた。 拓弥はちょっと行きたいところがある、と言って、どこかへ向かっている。 香奈は成り行き上、ついて行っていたが、平静に戻るにつれ、居心地の悪さを感じていた。 そっと息をつき、歩いていると、拓弥が立ち止まった。 顔を上げる。 拓弥は一軒の店を見ていた。 そこは雑貨屋だった。 ショーウインドーにはかわいいぬいぐるみや、ティーカップ、バッグなどさまざまな小物などが並べてある。 「…かわいい」 普通に呟いた。 拓弥が香奈を見た。 香奈はわずかに顔が赤くなるのを感じた。 拓弥はちょっと笑って、その店の中へと入って行った。 あわてて後を追う香奈。 店の中は、女の子の客ばかりだった。 香奈は拓弥のもとへ歩み寄る。 「…まさか…西野くんが行きたかったところって…ここ?」 拓弥は丸い西洋風のテーブルにのせてあるオルゴールのひとつを手にとって、言った。 「女ってこういうとこ、好きだろ」 ぶっきらぼうなその口調に、香奈は思わず吹き出した。 拓弥はすこしムッとした表情で香奈を見る。 香奈はあわてて、「わ〜、可愛い」と微笑んでウサギのぬいぐるみを手にとった。 香奈はいろいろな雑貨に目を奪わる。 ほんとうに久しぶりに普通の女の子に戻ったような気がしていた。 可愛いものは可愛い、と素直に見えていた、昔に。 「相原」 拓弥が手招きをした。 そこには数種類の時計の入ったケースがあった。 手作りと書いてあった。 ピンクのベルトにまっすぐではない針。盤面には小さな花が付いている。 香奈はその時計をじっと見つめた。 「こういう時計好き?」 「うん」 「……そっか」 香奈は腕時計を眺めながら、訊いた。 「西野くんって、こういうところよく来るの?」 「はぁ?」 大きな声で拓弥が言った。 ぽかんとして拓弥を見る香奈。 拓弥は顔を赤くして、横を向いた。 「こんなとこ…男が来るわけないだろ…」 「…そうね」 香奈は拓弥の態度がおかしくてまた吹き出した。 その本心からの笑みが、姉が死んで初めてのものであることに、香奈は気づいていなかった。 「じゃあ、彼女と来るんだ」 香奈はとくに意味なく、雑貨を眺めながら言った。 瞬間、拓弥の目が暗く淀んだが、香奈は気づかない。 「………昔な……」 ボソッと呟く拓弥。 香奈はその呟きが聞こえず、ふらりとひとり店内を見て回った。 拓弥はそんな香奈の姿を見つめ、そしてさっき香奈が見ていた時計をレジへと持っていった。 ギフト包装をしてもらい、それをポケットに押し込む。 そして店を出た。 しばらくして香奈が出てきた。 「ごめんね、西野くん」 「べつに…」 そう言って、二人は沈黙した。 「…寒いな」 拓弥が言って、香奈が首を傾げる。 「どっかでお茶でも飲む?」 言いながら、ぐるりとあたりを見回す。 そして道路の向かいのカフェに目を止めた。 拓弥もそのカフェを見る。 そして、 「あそこは相原の姉さんが…」と言った。 一瞬、拓弥の言葉の意味がわからず、怪訝な面持ちで香奈は見上げた。 拓弥はうっかり口を滑らせてしまった、というように視線をそらせる。 「…お姉ちゃん……?」 香奈はぼんやりとカフェを見つめ呟いた。 そんな香奈をじっと見つめながら、拓弥は慌てたように、取り繕うような口調を意識して言う。 「前…見かけたことがあったんだ…」 拓弥を見ていない香奈は、その言葉を、口調だけを聞き、考える。 なぜ拓弥は言い訳でもするように、そう言うのかを。 「お姉ちゃん…一人だったの…?」 香奈はカフェで楽しそうにお茶をしている人々を見つめつづける。 拓弥はそんな香奈を見つめつづける。 そして数秒の沈黙の後、拓弥は言った。 「…忘れた…」 拓弥が香奈の姉の顔を知ったのは、夏木のところへ遊びに行ったとき、写真を見せたから。 だからあのカフェで生前の由加里を見かけたとして、拓弥が由加里と知るはずもない。 だったら、なぜ拓弥は由加里のことを覚えていたのか。 それは? それは、由加里とあのカフェに一緒にいたのが夏木だから。 香奈は方程式をとくように、そう考えた。 香奈の心に、ひと時の安らぎは跡形もなく消え去る。 そして狂おしいほどの思いが渦巻く。 夏木への憎しみ。 片時も忘れてはいけない憎しみが。 「………」 もし、香奈がそのとき、拓弥を見ていたら、なにかが変わったかもしれない。 すべてを隠し、険しい表情の拓弥を見ていたら、気づいたかもしれない。 だが、香奈はもう夏木のことしか、考えていなかった。
「え、親父のところに行くの?」 模試対策ゼミの講義も終わり、夏木と話していた拓弥が怪訝そうに言った。 夏木は教材をまとめながら、ああ、と頷く。 「なんだ、お前も俺になんか用なのか?」 拓弥はわずかに首をかしげ、 「いや別に」 と言ったが、すぐに言い換えた。 「あ、やっぱさ。俺も連れてってよ」 「おじさんところか?」 「うん。事務所の近くの本屋にさ、前から欲しかった本があったんだよね。なんかあそこしかないみたいでさ」 「ま、いいけど。だけど、ちょっとしておかないといけないことがあるから、あと1時間ぐらいしてからしか行かないぞ」 すると拓弥は教室内を見回して、友人がいるのを認めて頷いた。 「一時間後ね。わーった。昼飯食いにいってくるから」 夏木にそう言い友人へと声をかけると、拓弥はじゃあね、と教室から出て行った。 夏木は「俺も腹減ったなぁ…」とぶつぶつ呟く。 教室を出て行く生徒たちの足音。 夏木も講師室へ戻ろうと、教室を出ようとした。 香奈が、見ていた。 じっと微笑んで夏木を見ていた。 夏木は一瞬その笑顔に、胸に痛みを覚えた。 香奈はゆっくりと夏木のもとへとやってきた。 「大変ですね。日曜まで仕事なんて」 夏木は小さく笑う。 「いや、暇だからね。それに教えることが好きだからね」 そうなんですか、と香奈は笑う。 優しい笑顔。 また、胸が締め付けられた。 「先生、明日も授業で、忙しいですね。ゆっくり出来ます?」 胸の痛みがなんなのか、わからない。 デジャヴュ? 「バイトのない日なんてほんと、暇だよー。家でゴロゴロしてるだけだしね」 香奈はわずかに首を傾けて、少し間をおき、笑う。 「じゃあ、火曜日、ですね」 香奈の声がほんの少し高くなったが、夏木は気づかなかった。 「それじゃあ、夏木先生。さようなら」 バッグを持ち直して、軽くお辞儀。 「さようなら。相原さん」 満面の笑みを残して、香奈は夏木の前から去っていった。 夏木は香奈の後姿を見つめる。 どこかで、見たことがある。 香奈を知っている。 夏木は、そう思った。 だが、思い出せなかった。
「和兄。おれちょっと本屋にいってくるから」 西野法律事務所近くの駐車場に車を止め、通りへ出ると、拓弥が言った。 「ああ」 事務所の前で別れ、夏木は一人、ビルの中へと入って行く。 よく知った場所である。 事務所に入ると顔馴染みの山下という事務の女性が出迎えた。 「和くん。久しぶりね」 事務所の中はみんな出払っているらしく、誰もいなかった。 「西野先生は、急な用で出かけてるんだけど、もうすぐ帰ってくるから。部屋で待っててくれって言ってたわよ」 夏木は山下と、すこし世間話をすると西野の部屋へと入った。 久しぶりに来た西野の仕事場をなつかしそうに見回す夏木。 部屋には大きな本棚と、たくさんの書類が積まれた机。そして応接のソファー。 本棚の六法全書を見、幼い頃ここへ来て訳もわからず読んでいたときのことを思い出した。 知らず笑みが浮かんだ。 夏木は、窓際へと行き、下の通りを見る。 そして窓を背にもたれかかった。 壁にかかった時計は3時をわずかに過ぎていた。 突然、電話が鳴った。 静かだったから、夏木はビクッとしてしまった。 部屋の向こうで山下の電話に出る声が聞こえてきた。 電話のほうを見ていた夏木は、写真立てに気づく。 その写真立てには西野夫妻と夏木の両親、そして夏木と妹が一緒に映っているのだ。 (そういえばしばらく見ていないな) 夏木は机のほうへと行き、その写真立てを手にとった。 写真に目を落とす。 まだ3歳の頃の夏木。夏木の肩を抱き、膝をついている父親。 まだ小さかったから、両親との思い出はわずかしかない。 それでも、懐かしかった。 夏木は父親から、その横にいる母親へと視線を移した。 母親の腕の中には生まれたばかりの赤ん坊がいる。 そして。 夏木は、息を詰めた。 すべての思考が停止してしまったように、その写真を食い入るように見つめる夏木。 そして。 夏木は、胸を押さえた。 胸が、激しく震えだしていた。 なぜ、忘れていたのだろう。 なぜ、気づかなかったのだろう。 かたときも、忘れたことがなかったのに。 夏木は、身体中を駆け巡る激しい感情の中で、そう思う。 涙が、出そうになった。 「和久」 そのとき、ドアが開く音がして西野の声がかかった。 間をおいて、夏木は静かに写真立てをおき、振り向く。 「すまんな。急に呼び出して」
西野はソファーに腰をおろすと、煙草に火をつけた。 「…いいえ」 夏木は、西野のほうを見ようとせず、窓の外へと視線を走らせた。 西野は煙草を一吸いすると、灰皿に置き、夏木を見上げる。 「いきなりなんだが、和久。お前、私の元で働かないか」 西野は真剣な眼差しで夏木を見つめて、言った。 そこでようやく、夏木は西野を見た。 西野は固い表情を和らげ、小さく笑う。 「働くといってもバイトだぞ。だが予備校講師よりもうちで働くほうが勉強になるだろう」 夏木も、微笑した。 「ほんとに、いきなりですね」
西野は大きく笑い、煙草を吸う。 「いきなりと言うわけでもないがな。お前が大学に入って、私はお前をここでバイトさせるつもりだったんだ。だが…」 そこまで言って西野は言葉を濁した。 夏木もまた、その当時のことを思い出して顔を曇らせる。 高校卒業してすぐのころ、夏木はバイクで事故にあったことがあるのだ。 道路で転んでしまった女の子を避けようとして横転してしまった夏木。そしてそこに車が来て、夏木を避けようとした車は、スリップして電柱にぶつかってしまったのだ。 あのときの事故は今でも夏木にとってトラウマになっていた。 あれ以来バイクは乗らなかった。 車も最初は抵抗があったが、やはり必要だと言うことで一年ほど前に免許を取ったのだ。 ほんとうに大学に入った頃、ひどく自分がやつれていたことを、思い出す。 西野夫妻にはたくさんの心配をかけてしまった。 だから、夏木が予備校のバイトを始めるといったとき、西野夫妻は黙って喜んでくれたのだ。 「…そうですね…。いろいろありましたからね」 重い空気。 「でも」 夏木は顔を上げて、西野に視線を注ぐ。 「なんで」 声が掠れた。 「なぜ、いま、突然そんなことを言い出したんですか」 西野は煙を吐きながら、目を眇める。 「だから、それはだな…」
「あの頃、俺がようやく事故のショックから立ち直ったとき、今のバイトを始めたのは前を向くための意味もあったし。それになにより教師になるのが俺の夢だったから、だからそのために予備校のバイトを選んだってことはおじさんは知っているはずじゃないですか」 西野は口をつぐんだ。 夏木は西野に視線を注いだまま、喋り続ける。 「それなのに…。今になって、なぜそんなことを言うんですか?」 胸が、高鳴った。 「それは…」 喉元まで来ている言葉。 それを、口にしたい。 だが、それを口にしたら、すべてが変わってしまうかもしれない。 だが、夏木は言った。 「おじさんが、予備校のバイトを辞めさせようと思ったのは」 一瞬の緊張。 「生徒に『相原香奈』がいるからですか?」 夏木は、かみ締めるように、言葉を吐き出す。 「相原香奈が俺の『妹』だから…ですか?」 シン、とした。 西野は顔色を変えず、煙草を吸う。 そして、捻り消した。 ゆっくりと夏木を見る。 夏木はずっと、西野を見ていた。 西野がどう反応するのかを。 西野が口を開くまでの、数十秒の沈黙が、ひどく長く感じた。 「いつから、知っていた」 短く、西野が言った。 夏木は真実であることに喜びを感じる。 「つい、さっきですよ」 そう言って、再び写真立てを手にする。 いとおしそうに、写真を指でなでる。 「ほんの、いまですよ。写真を見て。気づいたんですよ。母の顔を忘れたことなんかないのに。妹の存在を、忘れたことなんかないのに」 夏木は小さく笑う。 「今日、写真を見て、気づくなんて…。不思議ですね。こんなに…」 写真の中の母と、香奈を重ね合わせる。 「そっくりなのに」 西野はじっと夏木を見つめる。 「………和久」 西野は立ち上がり、夏木のそばへ歩み寄る。 写真立てを夏木の手から取り、静かにデスクに戻す。 そして、強い口調で言った。 「相原香奈には近づくな」 夏木は視線を逸らす。 「相原香奈は、確かにお前の妹だ。だが、彼女は何も知らないんだ。自分が養女であることを…」 夏木の両親が亡くなったのは夏木がまだ4歳のときだった。 交通事故で、突然の死だった。 残されたのは夏木と、1歳になったばかりの妹。 夏木は両親の古くからの友人であった西野に引き取られた。 だが、妹は養女に行ったのだ。 両親の事故を目撃した夫婦から。 ぜひにと言われ、1歳になる妹は養女にいった。 1歳のころのことなど、覚えているはずがない。 それにまだ相原香奈は17歳なのだ。 両親が真実を話していないとしても、しょうがない。 だから、近づくな。 それはわかっていること。 彼女の幸せに自分が、踏み込む気はない。 だけど…。 「予備校講師と生徒、それだけの関係ですよ……」 彼女の人生に立ち入ることがなくても、少しの時間でもいいから、香奈のことを見ていたい、そんな気持ちがある。 香奈にたいして、いつも感じていた安らぎと、デジャヴュ。 その意味をわかってしまった。 だから、もう、戻れない。 でも、進めもしない。 だから、そっと見守るだけで、いいのだ。 夏木は思いを瞳にこめ、西野を見た。 「おじさんが心配することはありません」 言い切った、夏木に西野は大きく息をついた。 西野は写真に目を落とす。 「お前のことは信用している。だが…絶対に、相原香奈にはこれ以上近づくな。いいな、和久」 強い眼差しで、踏み込むように目を向けられ、夏木はただ首を縦に振った。 「あの子に近づいてはならん」 そう繰り返す、西野に夏木は少し不信感を感じたが、それも香奈と自分のためを思ってのことだと思いなおす。 「あの子の…」 そこまで西野が言ったとき、突然、ドアが開いた。 二人は表情を固くして、振り向く。 「…あれ…。お邪魔だった?」 ケロッとした口調で言いながら、拓弥が入ってきた。 拓弥が入ってきたことにより、張りつめた空気が一気に解かれる。 西野は「ノックぐらいしろ」と眉をよせて言いながら、またソファーに腰を下ろした。 いいじゃん、と言いながら拓弥は夏木を見る。 「和兄。おれさ、急に用事ができちゃってさー。ちょっと行かなきゃいけなくなっちゃったんだけど」 夏木はちらりと西野を見て、それから拓弥のほうに歩き出した。 「ああ。俺ももう行くから、送ってってやるよ」 その言葉に拓弥はさっさと部屋を出ていった。 夏木も開け放たれたドアの前まで行き、西野を振り向く。 「それじゃあ、おじさん」 噛み締めるように、言う。 西野は、まだなにか言いたげな表情で夏木を見たが、 「………ああ」 と、頷いた。 そして、夏木はゆっくりとドアを閉めた。 固い面持ちのまま夏木は駐車場へと向かう。
その隣で、拓弥は不思議そうな表情で夏木を見る。 「どうしたんだよ、和兄。まじめっぽい顔して」 「あ? 別に」 「親父になんか説教でもされた?」 エレベーターから降りる。 地下の駐車場の妙に冷たい空気を感じながら、夏木は小さく笑った。 「なんでもないよ。世間話さ」 拓弥にそう言うと、夏木は数メートル先に止めてある車に駆け寄った。 乗り込む夏木を眺めながら拓弥はゆっくり歩いていく。 「…相原と和兄が兄妹っていうのが世間話ねぇ…」 拓弥は無表情に、呟いた。

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