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『え? 私がですか?』
 生徒会に立候補しないかと言われた。
 中学のときも生徒会に入っていたからだと思う。
 高校に入ってからは、する気はなかったから悩んだ。
 そうしたら先生が、まだ内緒だけど、と言って次の生徒会顧問が自分だということを教えてくれた。
『やっぱり、知ってる生徒がいたら、気が楽だろ』
『気が楽……って』
 思わず苦笑してしまう。
『な?』
 頼むよ、と先生が見つめてくる。
『……しょうがないですね』
 私がしぶしぶって感じで言うと先生は、やった、と小さく言って笑った―――。
 それは初めて見る、いつもと違う笑顔で。
 私は――――。









『TEXT.4』









 文化祭が終わった次の週の金曜日。
 予備校の帰りに駅に向かっていたところで、綾は見知った顔を見つけた。
 といっても、二度ほどしか喋ったことはない。
 伊織の双子の妹夏希だった。
「夏希さん」
 ゲームセンターのUFOキャッチャーをじっと見つめている制服姿の夏希に声をかけた。
 その表情が暗く、いまにも泣きそうな、いや泣いていないのに泣いているように見えて。
 親しくもないのに、その名を呼んでいた。
 夏希は驚いたように肩を震わせて綾を見た。
 綾を認識し、眉を寄せて視線を逸らす。
「どうしたの、こんなところで。一人? 夏希さんも予備校とか?」
 笑顔で話し掛けるも返事はない。
 綾はさりげなく夏希の様子を観察する。
 どうみても学校帰りといった感じだ。
 だがもうすでに夜の9時を回っている。
「いま、帰りだったら途中まで一緒に行かない?」
 ちらちらと制服姿の女子高生を見ていくサラリーマン。
 ゲームセンターの中で遊んでいる若い男たちの視線。
「……伊織くんに電話しようか?」
「やめてっ!」
 悲鳴のような夏希の声に、綾は一瞬絶句した。
 だがすぐに「わかったわ。でも、とりあえず別のとこ行こう」と言って、夏希の手をとった。
 拒絶されるかもと思ったが、夏希は黙って綾に手をひかれて歩き出した。
 どこへいこうかと視線をさ迷わせ、駅のコーヒーショップに入ることにした。
 夏希がなにも言わないので、綾が勝手に注文した。
 あいにく奥にある席が空いていなかったので、道路に面したカウンター席に座る。
 向き合わせで座るよりも横並びのほうが逆に話しやすい気もした。
 綾はカフェラテを少し飲んで、ほっと息をつく。
「夏希さんも飲んだら? 同じカフェラテにしちゃったけど、よかった?」
 返事を気にせず言ったが、ややして「……うん」と小さく聞こえた。
 伊織くんと何かあったのかな、綾はぼんやり人通りを見ながら思う。
「広瀬さん」
 不意に呼ばれ、綾はワンテンポ送れて夏希を見た。
 夏希はじっとカフェオレを見つめている。
「なに?」
「広瀬さんは………。なんで」
 初めて会ったとき、気が強そうで、でも可愛らしい子だなと思った。
 その視線が双子の兄・伊織を追っているのを気づいて、そして嫉妬のような眼差しを向けられて、切なさも感じた。
「なんで、伊織の好きな人のこと……知ってたの」
 長い沈黙の後、呟かれた言葉に、綾は思わず音をたててカップを置いた。
「え?」
「私、文化祭の日。聞いてたの。広瀬さんと伊織の会話」
 綾は、なにも言うことができなかった。
 あの日、クレープを買いに行った時、伊織と夏希に出くわした。
 そしてそのあと伊織と少し話をしたのだ。人気のない教室を選んで。
 余計なお世話だとわかっていながら、夏希のこと―――伊織の恋愛についてまで口出ししてしまったのだ。
 勘違いでなければ夏希の想いがあまりにも痛々しく哀しくて。
「私、夏に伊織に告白したんだ。振られたけど」
「……そう」
「文化祭の次の日にも……言ったの。耐え切れなくて」
 淡々と続ける夏希の声に、心が重く沈んでいくのを感じる。
「……伊織くんは?」
「"違う"って言われた」
 再び沈黙が落ちた。
『夏希は勘違いしているだけなんだ』
 そう―――文化祭のとき、伊織が綾へ言った。
「私………わかんない」
 夏希の呟きに、綾はそっと夏希の横顔を見た。
 その目は真っ直ぐ窓へと向けられたまま、頬には幾筋もの涙が伝っていた。
「広瀬さん……頭良いんだよね。ねぇ、教……えて」
 夏希の涙から目を離すことができない。

 ――――好きって、なに。

 綾は、なにも答えることができなかった。
 ただ、ひどく、泣きたくなった。





 二人がコーヒーショップを出たのはそれから1時間ほどしてからだった。
 もうじき11時になろうとしている。
 綾はしっかりと夏希の手を握っていた。
 離したら、どこか行ってしまいそうで怖かった。
 とりあえず途中までは同じ方向だから電車にのろう、と夏希の手を引いて切符売り場へと向かいかけた。
「あれ? あの制服ってお前の学校のじゃない」
 夜の喧騒の中、若い男の声が遠く聞こえた。
 何の気なしに視線だけを向けると、綾は驚いて足を止めた。
「……広瀬?」
 私服姿の樹がいた。
 友人なのだろう、最初聞こえてきた若い男が「もしかして生徒?」と聞いている。
 樹と目が合う。
 何故か急に泣きそうになって、慌てて綾は視線を逸らした。
「司、お前先に行ってろ」
「えー。俺にも紹介してよ」
「バカか。いいから、あとでな」
「ちぇっ。じゃあねー、生徒ちゃん」
 樹の友人は綾たちへと軽く手を振って、去って行った。
 樹が駆け寄ってくる。
「なにしてるんだ、こんな時間に」
 教師らしい口調だ。
 樹の視線が綾、そして他校の制服を来た夏希に流れる。
 綾は伏せ目がちに、「すみません」と呟いた。
「予備校の帰りなんです。友達と……お茶を飲んでいたら遅くなって。もう帰ります」
 きっと樹は泣きはらした夏希の目に気づいているだろう。
「送っていくから、駐車場までついてきなさい」
「……電車で帰ります」
「いいから」
 有無を言わさない樹の声に、綾は夏希の様子をうかがう。
 繋いだ夏希の手に安心させるように力を込める。
「私の担任の先生なの。送ってもらおう。ね?」
「でも……」
「大丈夫だよ。……それに心配してるよ、きっと」
 夏希の目を真っ直ぐに見る。
 視線を揺らせ、しばらくして夏希は小さく頷いた。
 それから三人で駐車場へと向かった。











 車内は静かだった。
 夏希が伊織の双子の妹だということを教えると、樹は少し驚いただけで何も言わなかった。
 夏希はじっと流れる景色を見ている。
 綾もまた窓の外に視線を向けていた。
 ほどなくして茅野家についた。
 樹に少し待ってて欲しいと頼み、夏希と一緒に綾も降りた。
「大丈夫だよ。ちゃんと……帰るから」
 玄関へと重い足取りで、ゆっくり向かう夏希が綾に苦笑して言った。
「うん……」
「それに、今日はバイトって言っておいたから。このくらいの時間でも別に怒られないし」
「うん……」
 迷惑かけてごめんね、と夏希が呟く。
 綾が返事をする前に「おやすみ」と言うと夏希は家へと走っていってしまった。
 開閉されるときに玄関のドアから漏れた暖かな家の灯りが、切ない。
 綾はしばらく茅野家を見つめていた。
「広瀬」
 その声はいつもより優しい響があって、綾は胸の奥が苦しくなるのを感じた。
 ゆっくりと樹を振り向く。
「風邪ひくぞ」
 樹はいつのまにか車の外にたっていて、車体によりかかり綾を見ていた。
「……はい」
 短く頷くと、車に戻る。
 樹が助手席のドアを開けてくれ、うながされるままに乗り込んだ。
 まだ冬の厳しい寒さではないが、だんだんと冷たくなっていっている夜の空気。そとで立ち尽くしていたせいか身体が少し冷えていた。
 車の中は暖かく、ほっとため息がこぼれる。
 しばらくして遅れて樹が車に乗り込んだ。
「ほら」
 樹の声に、顔を上げると手の中に小さいペットボトルのホットミルクティーが落とされた。
「……ありがとうございます」
「いえいえ」
 少し笑って言う樹を見つめる。
 だがすぐに逸らし、ペットボトルのキャップを開いた。
 甘く微かな紅茶の香りが溢れる。
 エンジン音が響き、車が走り出す。
 車内は、やはり静かだった。
 一口、二口とゆっくりミルクティーを飲みながら、綾は幾度となく掠れたため息をこぼした。
「――――先生」
 顔だけを樹に向ける。
 スーツでない私服姿の樹は知っていなければ『先生』には見えない。
 オシャレで、いかにももてそうな、若い男。
 先生、と再度小さく呼ぶ。
「なんだ?」
「先生」
「なんだよ」
 樹は苦笑し、ちらり視線をよこす。
「先生は……"恋"したことありますよね……」
「恋?」
「人を好きになるって―――どういうことなんですか」
『好きって、なに』
 夏希に問われたことを、そのまま樹に訊いていた。
 沈黙が流れ、しばらくして「それは……」と樹が口を開いた。
「私……」
 樹の言葉を遮るように、綾は言葉を重ねる。
「よく……わからなくなりました」
 樹と視線が合いかけ、綾はすっと逸らした。
 泣いていた夏希の涙が―――胸に、心臓に突き刺さっている気がする。
 あまりにも切なくて哀しくて双子の兄を想い流していた涙が綺麗過ぎて。
 綾の中の、ある感情をギリギリと締め付けていた。
「変なこと言って、すみません」
 長い沈黙のあと、平静な声で謝った。
 樹が、なにか言いたそうな眼差しを向けているのに気づいてた。
 でも見ない、気づいてない振りをした。
 それから、綾は一度も樹と視線を合わせなかった。

 その日だけでなく。
 その日から、ずっと。
 あわせられなく、なってしまった。
 






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2007,4,2