secret 91  愛する人

先に視線を逸らしたのはゆーにーちゃんだった。
「高校生で成長期だからかな。半年の間にこんなに大きくなってるなんて思わなかったよ」
ソファーに座りなおして紅茶を飲みながらゆーにーちゃんは少しだけからかうように笑う。
「………やっぱり子供扱いされてる気分」
半年前となにも変わってないつもりなんだけどな。
体重だって、身長だってそんなに変わってないし。
「ごめんごめん」
「別にいいけど」
拗ねたようにわざと言えば、ゆーにーちゃんは手を伸ばして頭を撫でてくれた。
それはいつものことで、半年の間を経ても変わらないゆーにーちゃんに自然と笑みがこぼれた。
「そういえば……どうしたの? もう出張終わったの?」
「ああ……。どうしても日本でしなきゃいけない仕事ができて一時帰国したんだ」
「一時……?」
「うん、まぁでも2カ月はいるけどね」
「―――2カ月」
それが短いのか長いのかわかんない。
2か月も一緒に居れる、って思うし。
2カ月しか一緒に居れない、とも思っちゃう。
「……でも、なんで連絡してくれなかったの? 帰ってくるんだったら空港まで迎えに行ったのに」
「ごめん。どうなるかわからなくって1週間前にようやく帰国が決まってね。連絡はしようと思ってたんだけど……」
ゆーにーちゃんは視線を紅茶に落として、黙り込んだ。
「……ゆーにーちゃん?」
どうしたんだろう……。
もしかして―――私に会いたくなかった、とか……?
「んー、向こうの仕事の整理とかあって忙しくって連絡できなかったんだ。それに実優をおどろかせようかなと思って」
すぐに笑顔でそう言ったけど、なんとなく違和感があるような気がする。
なんだろう……。
なんか寂しいな……。
「それより、夕食はもう食べた?」
「あ、えっと、ちょっとだけ」
「先生の家で?」
ズキ、って胸の奥が傷んだ。
その痛みの理由を考える間もなく、笑顔を作って答える。
「……う、うん。あの、みんなで……シチュー作って」
「そっか。俺ちょっとお腹空いたから出前取ろうかな。実優はどうする?」
「なに頼むの?」
「お寿司」
「食べる!」
近所にあるお寿司屋さん。結構美味しくって、ゆーにーちゃんが海外赴任するまではたまに頼んでたところ。
私一人だとなんだか贅沢な気がして頼めなかったから、久しぶりで嬉しい。
「実優、そんなにお寿司嬉しい?」
「え、うん」
「なんかさっき俺に会ったときより嬉しそうな顔してる」
「そ、そんなことないよー!」
「そう?」
くすくす笑いながらゆーにーちゃんは電話の子機を取りに行ってお寿司を注文していた。
電話しているゆーにーちゃんの姿を見つめて、ほんとうに今ここにいるんだって当たり前のことを何度も思ってしまう。
ゆーにーちゃんがそばにいる。
2カ月だけだけど、また一緒に生活できるんだ。
そう考えると、胸がドキドキして止まらなくなる。
ゆーにーちゃんはどうなんだろう……。
もう私のことは″過去″になっちゃったのかな―――。
「実優の好きなサーモン多めに頼んでおいたよ」
電話を終えたゆーにーちゃんが目を細めてソファーに戻ってくる。
「ありがとう」
優しい優しいゆーにーちゃん。
優しすぎるから―――たぶん、こんなに胸が苦しくなるのかな?



それからいろんな話をした。
ゆーにーちゃんの仕事のこと、私の学校のこと。
お寿司が届いて、お寿司を食べながら、美味しいねって笑いながら、いろんなことを。
「でね、この前七香ちゃんがね」
ゆーにーちゃんは自分のことのように楽しそうに話を聞いてくれる。
それがものすごく嬉しい。
いつだってゆーにーちゃんは私のことを一番に考えて、想ってくれてるってわかるから。
「それで捺くんとケンカになっちゃって―――」
ついこの前あった他愛のない七香ちゃんと捺くんの言いあいのことを話してた。
それがひと段落したときに、お寿司を食べ終えてお茶を飲んでいたゆーにーちゃんがテーブルに片肘をついて訊いてきた。
「いい友達ができたみたいでよかった」
「うん! もう毎日すっごく楽しいよ」
「そっか。ところで―――和くんと捺くんは……彼女いるの?」
「……え?」
思わず顔が強張ってしまった。
だってまさかそんなこと訊かれるなんて思わなかったし。
……和くんと捺くんは、今年に入ってほんと優しくなってる。
私の気持ちを気遣って、無理に攻めてくるようなことを全然しなくなった。
でもたまに和くんから見つめられてるのを感じるし。捺くんは……やっぱりたまに手を繋ごうとしてきたりするから、たぶんまだ私のことを好きなんだろうなって思うけど。
「どうかした?」
「う、ううん。えっと彼女はいないよ。……カッコいいからモテてはいるみたいだけど」
「ふーん。―――さてと、お風呂でも入ろうかな」
いつも私は全部学校のことで起きたこととかゆーにーちゃんに話してた。
だから和くんたちのことを内緒にしてることにちょっと罪悪感みたいなものを覚える。
私、笑顔ひきつってなかったかなって心配だったけど、ゆーにーちゃんは話をあっさり切り上げた。
「あ、私準備してくるよ! ゆーにーちゃん疲れてるだろうし、ゆっくりしてて!」
「ありがとう、実優」
空になった寿司桶をキッチンに持って行ってからお風呂掃除をしてお湯を張る。
タオル類を用意してると着替えを持ったゆーにーちゃんが脱衣所に入ってきた。
「あともう少し溜まるのに時間かかるよ?」
「うん、洗いながら待つ」
「そっか。えと、じゃあタオル置いてるから」
「ありがと」
「ううん」
「実優」
「うん?」
「いっしょ入る?」
「え」
「―――ごめん」
ジョーダン、って笑ってゆーにーちゃんは私に背を向けて上着を脱ぎ出した。
慌てて脱衣所を出て、急いでリビングに戻る。
ありえないくらいに動悸が激しくって、めまいさえ感じてしまう。
「……冗談きつい、よ。ゆーにーちゃん」
というか……どうしよう。
本気で心臓持たないかも。
やっていけるのかな、これから二カ月……。
ため息をついて、ドキドキするのを抑えるためにテレビをつけてみた。
ちょうどお笑い番組があっててそれを見てたら少しだけ気分はまぎれたんだけど。
「やっぱり自分ちのお風呂はくつろげるな」
湯あがりのゆーにーちゃんに、あっけなくドキドキはまた激しくなっちゃって。
それに湯上りって、なんだか変に色っぽくって目のやりばにこまっちゃう。
「お、温度ちょうどよかった?」
「気持ちよかったよ」
「よかった。あの、私も入ってくるね」
「ああ」
ガシガシとタオルで髪を拭いてるゆーにーちゃんの傍を俯いて通り過ぎてリビングを出ていった。




「はぁ」
結局どこに行ってもドキドキは止まらなかった。
さっきまでゆーにーちゃんが入ってたって思うとお風呂でもドキドキしちゃって。
って、私変態かな……。
たった半年離れてただけなのに、ものすごく心が昔に戻っちゃってる。
ゆーにーちゃんを意識しだしちゃった中学生のころ、好きって思いだしたあのころ、すごく挙動不審な毎日を送ってたっけ。
ああ、やばい。
ほんとにやっていけるのかな。
自分がいますごくふわふわ浮ついてるのがわかる。
別に私とゆーにーちゃんの関係が″特別″なものに戻ったわけでもないのに。
ただ一時帰国したっていうだけなのに、ゆーにーちゃんがいるっていうことが嬉しくてしょうがない。
バカだな……私。
またため息をついて、ドライヤーで髪を乾かしてからリビングに戻った。
ゆーにーちゃんはお酒を飲んでテレビを見てる
私も冷蔵庫からジュースをとってソファーに行った。
「―――ほんと久しぶりだな」
ぽつりゆーにーちゃんが言ったのは少ししてからだった。
「……うん?」
「こうやって実優と一緒にいるの」
「……そうだね」
「前は当たり前のことだったのに」
「……うん。……でも、海外赴任が終われば……また当たり前になるよ」
3年間の海外勤務。
それが終わって本当に日本に帰ってきたとき、私はもう高校を卒業してる。
でもここを出ていってることなんて考えられない。
でも正直、ほんとうに当たり前に戻れるかなんてわからない。
ゆーにーちゃんがもし向こうで素敵な人とであって結婚でもしたら、私はいられなくなるだろうし。
「当たり前に、戻れるかな……」
私の想いそのままに、ゆーにーちゃんが呟いた。
「も、戻れるよ!」
「……そうかな」
「そうだよ」
「そっか……。実優」
「なに……?」
手招きされて、私はゆーにーちゃんの足元に座り込む。
それは前からの私の癖。
まるでペットのようにゆーにーちゃんの足元にすり寄って、そして頭を撫でてもらうのが好きだったから。
「いい子だな、実優は」
そっと頭を撫でられる心地よさに、目を閉じる。
「―――ごめん」
だけど続いた言葉に、すぐまぶたを上げてゆーにーちゃんを見つめた。
ごめん、って……、いったいなんのごめん?
ゆーにーちゃんは苦しそうに眉を寄せて、「ごめん」って、また呟いた。
「ゆーにーちゃん……? なんで、謝るの?」
「………実優」
「………なに」
「大晦日の電話、覚えてる?」
「え?」
「あれ、まだ有効?」
「――――」
「距離、また縮めていい? 俺はまた実優の″特別″になれる?」
「――――っ」
胸が、イタイ。
私は――――ゆーにーちゃんを"―――"ない。
「なれ、る、よ」
苦しくって苦しくって仕方ない。
言葉を紡ぐのがどうしようもなく苦しくって、それだけを告げた。
そして一瞬にして攫われる。
ゆーにーちゃんの腕が私の身体を抱きしめて―――。
その唇が私の唇を塞いだ。