secret 81 Unconsciously

「ご無沙汰してます」
ずっと無表情だったのに、いきなり爽やかな笑顔を浮かべた先生が立ち上がる。
「本当だわ。1年ぶりくらいじゃないの? もっと顔を出してね?」
「はい。すみません」
苦笑混じりの先生。
その女性は私と目が合うとにこっと微笑んで、持ってきたお水とおしぼり、フォークなんかをテーブルに置いていく。
先生はまた席について、そしてその女性が私に向かって頭を下げてきた。
「オーベルジュ・カメリアへようこそ」
「………」
お……おーべるじゅ?
カメリア……って言葉はなんか聞いたことある気がするけど……。
聞き慣れない言葉にぽかんとしちゃうけど、ハッとして慌てて立ち上がった。
「お、お邪魔してますっ」
上品そうな女性にドキドキして思わず上擦った声になってしまう。
「「………」」
顔を上げると―――、女性が口元を押さえて吹き出した。
あれ………。
私、なんか変なこと言っちゃった?
え、でも、お邪魔……?
あれ? レストランで、なんて言うのかな? え、なにも言わないかな!?
あたふたする私にその女性は満面の笑顔を向けてくる。
「可愛い! なんて可愛い子なのかしら」
「え、あの……」
「あら、ごめんなさいね? 私、息子が2人で娘がいないものだから、貴女のような可愛い子を見ると嬉しくなっちゃうの。でもほんとに可愛らしいし。ねぇ、晄人くん、まさかあなたの?」
「椿さん。彼女は僕の学校の教え子なんです。今日は少し用事がありまして」
「………ぼく?」
ここにきてから先生はかしこまった言い方ばっかりしてる。
そのうえ……″僕″って!!!
思わず笑ってしまったら―――すかさず先生ににらまれた。
「あら、教え子なの。まぁまぁ! 禁断の関係ってことなのね?」
椿さん、って呼ばれた女性はポンと手を叩いて、なぜか嬉しそうに私と先生を交互に見てる。
「……禁断……」
確かに禁断って言われればそうなのかな?
一応″セフレ″だし?
「……椿さん、からかわないでください。ただの教え子ですよ」
「………」
「あら、そうなの? 残念だわ」
「……智紀にはくれぐれも内密に」
「ええ、はいはい」
「……椿さん、お願いします」
「もちろんよ」
どうやら先生は″智紀″さんって人に、私とここに来たことを知られたくないらしい。
………それなら……連れてこなかったらいいのに。
「それじゃあもうしばらくお待ちくださいね」
おばさんは退場しますわ、なんてにこやかに椿さんは言って去っていってしまった。
せっかく和やかな空気になってたのに、また一気に重くなってしまってる。
オーベルジュってなんだろう?って思うけど、やっぱりまだ話しかけづらいし……。
先生は無表情に戻ってるし……。
きっとずっと泣いてたからウザイって思ってるんだよね?
怒ってるんだよね?
なら、マンションに送ってくれればよかったのに・……。
はぁ……、って勝手にため息がでちゃう。
それからずっと沈黙で。
椿さんがまた現れたのは15分くらいしてからだった。
美味しそうな匂いを一緒に持って来た。


「どうぞ。オムライスとコンソメスープです」
お店の雰囲気が上品で高級そうだったから、クリスマスのときみたいにコース料理が出てくるのかと思ってた。
でも目の前に出されたのは椿さんが言った通り、ごくごく普通のオムライスにコンソメスープ。
あ、でもオムライスにかかってるのはケチャップじゃなくってデミグラスソースみたいだけど。
「ありがとうございます」
「いえ、ごゆっくり」
先生がお礼を言ったので、私も急いでお辞儀して、椿さんは今度は長居することなく出ていってしまった。
シーンとした室内。
たぶんお正月休みなんだろう。
椿さんと最初に会ったおじさんしかいないようだし。
お客さんは私と先生だけ。
先生は手を合わせていただきますって小さく言うと、食べはじめた。
オムライスはとっても美味しそう。
卵の色がすっごく綺麗で、いい香りがしてて。
急にお腹が空いているのを実感する。
そういえば、もう4時くらいだよね……。
泣いてた時は気づかなかったけど、お腹空いてて当然なんだ。
黙々と食べてる先生をちらり見て、私もスプーンをオムライスに差し込んだ。
一口すくって食べる。
「………!!! ふ!!! ふわふわふわー!!!!」
びっくりした!
本当にびっくりした!
だってオムライスの卵がものすっごくふわふわふわ〜ってしてて、ものすごく美味しい!
なにこれ!!!
――――ブッ。
「………」
先生が吹き出して、私から顔を背けて笑ってる。
………そんなに肩震わせてまで笑います?
なんだかすっごくバカにされてるような気がするんだけど……。
ムカついたから先生を無視してオムライスを食べ続ける。
でも―――ほんと……美味しい!!
コンソメスープもものすっごく濃厚でいい香りで美味しくって!
家で飲んでるインスタントとは全然違う、なんて当たり前のことを思ったりしながら、気が付いたらあっという間に食べつくしてた。
「………早っ」
満腹で満足で勝手に頬っぺたが緩んでる私に向かって、ぼそり先生の呟きが聞こえてくる。
「………」
「………」
先生と同じくらいに食べ終えたから、だと思う。
男の人と同じペースで食べ終えるんだから早かったんだろうけど。
「―――やっぱ食い気か……」
ぼそりまた聞こえてきた先生の呟きに、ツンと顔を背けた。
ぜーったい、バカにしてる!
どうせ食い気ですよっ!
ムカつきながら―――、カチッと響いた小さな音に、先生のほうを盗み見た。
先生の煙草に火がついて。
先生が吸って、煙が吐き出されて。
先生の匂いが漂ってきて―――………胸が苦しくなった。
ホッとしたような、切ないような、後ろめたいような、よくわからない感情が渦巻いてる。
煙草を吸っている先生は相変わらず無表情だけど。でも、私に対して怒っていたり呆れてたり、そんな雰囲気がないってことはなんとなくわかった。
たぶん、最初からずっと、なかったんだと……思った。
「―――行くぞ」
ぼんやりしている間に先生は吸い終えてて、席から立った。
もう帰っちゃうのかな、って少しだけ寂しさを感じながら先生の後をついていく。
だけど先生は玄関のほうじゃなくってフロア中央にあったらせん階段を昇っていった。
「早く来い」
足を止めた私に、先生が短く言って先に行ってしまう。
慌てて階段を駆け上がって先生に追いついた。
先生は二階の奥の角部屋のドアを開けて入っていってしまった。
ドアは開けたままにされてたから、中を覗き込む。
広い、部屋だった。
ソファーやテレビが置かれてるリビングっぽい空間と、その隣に仕切りが半分してあってベッドルームが続いてる。
そこは誰かの部屋っていうんじゃなくって、ホテルみたいな清潔感あふれる綺麗なお部屋だった。
「ドア閉めて、早く来い」
ベッドルームのほうから先生の声がして、恐る恐る足を踏み入れる。
ダブルサイズのベッドが二台あって、そのひとつに先生は座ってた。
「………あの……ここって」
久しぶりに先生に声をかけた。
だってわからないことだらけだから。
「休憩させてもらうために借りた」
「休憩?」
聞きたいこととはちょっと違う答えだったけど、その答えの意味がわからなくって立ち尽くしてたら、先生にぐいっと手を引っ張られた。
「―――えっ。きゃっ」
ぼすんとベッドに倒れこむ。
驚いている間に、目にタオルが置かれて視界が真っ暗になった。
「………冷た……」
目に乗せられたのは冷たいタオル。たぶん間に保冷材が挟まれてるっぽい。
「………あの、これって……」
一瞬、襲われるのかな?なんて思ってしまったから、正直意味がわかんない。
「お前、まぶた腫れまくってるぞ?」
「え―――」
そういえば、そうだ。
1時間以上泣き続けて、まぶたがヒリヒリしてた気がする。
でも空気が凄く重かったり、気分も重かったりで、忘れてたけど。
よく考えてみたらあれだけ泣いたら化粧もとれちゃってるだろうし、腫れてむくんでてもおかしくない……。
「………私ヒドイ顔ですか?」
そんな最悪な状況で椿さんとかあのおじさんとかに顔見せちゃってたなんて。
「ああ。最悪。だから、冷やしてろ。2~3時間休んだら帰るから」
「……はい。……あの、ここって……」
「あ?」
「オーベルジュって……なんなんですか?」
「ああ……。宿泊施設のあるレストランだ。ここは俺の友人の両親―――さっきあった道隆さんと椿さんが夫婦で経営されてる」
……ということは智紀さんっていうのが先生のお友達なのかな。
「ここは正月は毎年休みなんだ。ま、今日は特別にお願いして開けてもらってるから」
「………」
それって………。
「んじゃ、寝てろ」
スプリングが弾んで、先生がベッドから離れたのがわかった。
「……あの……どこか行くんですか?」
「……いないほうがいいだろ?」
先生の声は怒っているでもなんでもなさそうな、普通の声。
私はとっさになにも答えられなくって。
「あとで起こしにくるから」
そう先生は言って、出ていこうとするから―――。
「あ、あのっ」
「………」
「……えと……その、いなくなくっても……いいです」
「………」
「……あの……いてもいいですけど……?」
自分でなにを言ってるのか意味がわかんない。
恥ずかしくってたぶん顔が赤くなってるような気がする。
タオルで先生が見えなくって、少しは顔が隠れてて良かったって、思った。
少しして小さく先生が笑う気配がした。
「上から目線かよ」
足音が響いてくる。
去っていこうとしてた足音はぐるりとベッドの傍で止まる。
「じゃー、俺も仮眠するかな」
ベッドが揺れて、触れるか触れないかの距離に先生が寝転んだ。
ふわーって欠伸が隣から聞こえてきて「おやすみ」って先生が言って、静かになった。
「―――」
目の上のタオルを少しだけ持ち上げて、隣の先生をそっと見た。
先生は目を閉じてる。
………少しの間、先生を見つめて、タオルを元に戻して目を閉じた。
冷たいタオルはとっても気持ちよくって。
いつのまにか―――眠ってしまってた。