secret 63 恋、想い

ソファに降ろされて、
「着替えてくる」
と、先生はすぐに寝室のほうに消えていった。
気分は少し落ち着いてきて、ほっとした。
でも落ち着いてきたら、先生にさっきのことをどう話せばいいのかなって思う。
あんな場面見られたんだから、話したほうがいいんだろうけど……。
どうしようかなぁ……。
「紅茶でいいか」
ぼーっと考えてたら、もう着替えてきたらしいジーンズにTシャツというラフな格好の先生がキッチンに立っていた。
「え、あ。はい……」
「お前、甘いモノ好き? ケーキとか。女だから大丈夫だよな?」
「……好きですけど」
「実家でケーキ貰ったんだよ。別にいらねーのに。お前、食え」
「……はい」
カチャカチャと先生がお茶の用意をしてるのを、私はただ見てた。
手伝うべきだったんだよね、って気付いたのは先生がトレイに紅茶とケーキ皿を持ってきてからだった。
紅茶はちゃんとお茶の葉から淹れてるみたいで、ティーコジーをかけられたポットもテーブルの上に置かれてる。
ケーキ皿とナイフとフォークは私の前に置かれて、先生は食べないみたい。
そして先生がケーキを持ってきた。
「………あの、先生?」
「あ? うまいらしいぞ? 一流パティシエのらしいからな」
「……美味しそうではあるんですけど。あの」
「なんだよ」
「これそのまま出されても……」
呆然として私は目の前のケーキを見つめる。
6号サイズくらいのホールケーキがドンと置かれてるのだ。
まさかと思うけど……。これを切って一人で食べろとかじゃないよね?
「女子高生ならこれくらいいけるだろ」
「……はぁ!? いけません!!! 無理ですっ!!」
「なんだよ。食えねーのか?」
「こんなおっきいの一人でなんて無理ですよっ」
「わかったよ。じゃあ食べれるだけ食べて、あとは持って帰れ」
結局全部私が食べなきゃってことじゃない!
こんなの1ホール食べたら太っちゃうよー!!
―――でも、実際美味しそうで、いそいそと切り分けてた。
生クリームのデコレーションケーキ。薔薇飾りやハートのマカロンとサンタさんが乗ってて、可愛くてきれいで美味しそう。
切ってみるとイチゴショートだっていうのがわかった。
きのうのクリスマスパーティでもケーキは食べたんだけど、みんなで食べたからあんまり一人分は大きくなかった。
だから今は結構大きめに切ってみて。
で、一口!
「お、おいしー!!」
ほっぺが落ちそうっていう言葉がぴったり。
甘いモノってすごい。なんで食べただけで幸せになっちゃうんだろう。
私は夢中になってケーキを食べていた。
一切れ食べ終えて、紅茶を飲んでほっとする。
でもこんなに美味しいなら、あとちょっとくらいなら……食べれそう。
まだまだ沢山残ってるケーキをじっと眺めて考える。
今日はクリスマスだし……まだいいよねぇ?
誘惑に勝てなくってケーキに手を伸ばして、今度はさっきの半分くらいの大きさにカットした。
そしてそれを食べてると―――、小さく吹き出す声が聞こえてきた。
「………?」
ケーキを口の中に運びながら見ると、先生が笑ってる。
「……んですか」
「いや、別に。そんなにケーキがうまいのかなと思っただけ」
「……美味しいですよ。食べます?」
「んじゃ一口だけ」
私は3人がけのソファーに、先生はその左隣斜めにある一人掛けのソファーに座ってて。
そこからぐいっと身を乗り出してきた。
口を開けて。
「………」
「………なんだよ。早くしろ」
食べさせろってこと!?
いい大人が……。なんてことを思いながら、ケーキをフォークにさして差し出す。
先生があと少し身を乗り出して、ケーキを食べた。
そのとき、ふわって先生から香ってきた匂い。
甘い―――……。
ああ……これ、香水の香りだったんだ。
頭がパニックになってたから――――血の味も、煙草の匂いも、香水の香りも、全部混じって感じちゃってたのかな。
そう″発作″から現実に戻ってきたときのことを、思った。
「先生……。香水つけてるんですね」
「あめぇな……。あ? ああ。休日はな。学校にはつけていってないからな」
「そうなんだ」
「お前も今日なんかつけてるだろう。甘ったる匂いがする」
捺くんからもらった香水を少しだけ、つけてた。
それも甘い匂いだけど、先生の香りとは全然違う。
先生のは甘いけど、次の瞬間にはちょっと甘さよりも……なんていうんだろう大人っぽい感じ?
うーん……私にはコメンテーターとかなれそうにないなぁ。
どうでもいいことが頭をよぎりながら、
「はい。ともだちからクリスマスプレゼントに香水もらって」
「ふーん。食いたくなるような香りだな」
「え……。そういう気分じゃないんですけど」
「ハゲ。俺は万年発情期じゃないぞ」
「え!? 嘘だぁ!!」
「おいこら、実優」
ぎっとにらんでくる先生に、思わず笑いながら―――、言った。
「さっきはびっくりしたでしょう? すみませんでした」
先生の顔がスッと無表情になる。
「……別に」
「最近は全然なかったんですけど。あの……私、ああいう大きく車が揺れたりしちゃうと、びっくりしちゃってパニックになるんです」
パニックどころじゃない。
発狂してるんじゃないか、って―――くらいだけど。
「前、両親事故で亡くしたっていいましたよね? その事故、車の追突事故だったんですけど。私も両親と一緒に車に乗っていたんです」
真剣で、でもそこに感情をのせないようにするみたいにして、ただ私を見てる先生。
たぶん憐れみも、同情も、なにも見せないようにっていう配慮なのかもしれない。
「両親は即死だったんですけど。私は奇跡的に助かって。ただ」
先生は本当に大人なんだなぁ。
ただのエロ変態教師って思ってたけど……。
「私は覚えてはないんですけど、身体と脳は覚えてる、みたいな……。それでちょっと衝撃受けたら思いだして、勝手にパニックになって叫びだしちゃうんです。
事故から1~2年は結構ひどかったんですけど、いまは全然平気なんです。一年に2~3回くらいあるかななくらいだし」
笑って、続ける。
苦しくて苦しくて苦しくて、しかたなかった時期。
でも、いまは笑える。
ずっと、ゆーにーちゃんが支えてくれてたから。
だから、いまは笑える。
笑って、言える。
「さっきはちょっと興奮してたときに、大きく揺れちゃったから、パニックがひどかったんだと思います」
「――――悪かったな」
ずっと黙っていた先生が急に喋ったから、びっくりした。
それに、なんで……。
「なんで謝るんですか?」
先生はほんの少しだけ眉を寄せた。
「………″失う″とか俺が言ったから、だろう?」
「……いや、あの……ちょっといろいろ悩んでて鬱々してたから、だから」
気にしないでください。
って、言いたいのに言ったら笑顔が崩れそうで。
先生が向けてくる眼差しが真剣すぎて、そっと俯いた。
「………私、目が覚めたの……十日後なんです」
「―――え?」
「事故があって、目が覚めたのが十日後なんです。起きたら……もうお葬式も、火葬も全部終わってて……」
こんなことを聞かされる先生も負担が大きいと思う。
それなのに、話してた。
「あまりにも呆気なく、なくなってて。だからそのときはなかなか受け入れられなかったんですけど……。でも落ち着いてきたら、いろいろと怖くなってきて………」
ギュッと唇を噛み締めたら、言葉が途切れてしまった。
もう続きを言う気力も、笑うこともできなくって、また鬱々と気分が沈んでいく。
「……なにが、怖くなったんだ」
静かに先生が訊いてきた。
私は躊躇って、先生を見る。
興味本位とかじゃなくって、やっぱりただ私を見つめてる先生。
「……あの、人づきあいとかが……。別に普通に仲良くなったり、喋れたりするんですけど……。明日になったら、消えてるかも、とか。……喋ってても……、次の瞬間には、死んじゃってるかも、とか……」
いつもじゃない。
でも、不意に不安が襲ってきて、泣きそうになる。
目の前のものに必死でしがみつきたい気持ちになっちゃうときがある。
「―――そう、か」
それだけ先生は言って、テーブルの上にあった煙草を手にした。
表面に黒のレザーっぽいのが施されてるライターで火をつけてる。
煙草を吸って、吐きだされた煙。
車内で息苦しいって思ってた煙なのに、なんでだろう。
いまはその香りに、落ち着く。
だからぼんやりと先生が煙草を吸うのを眺めてた。
「―――ケーキ、食わないのか?」
煙草を片手に先生が苦笑する。
「え、あ。食べます……」
食べろ、と促されて、またケーキに手を伸ばした。
一口、二口、ゆっくり食べてたら、不意に先生が言った。
「―――まぁ、俺は簡単にはいなくなんねーけどな。占い師から100歳を超える長寿になるって言われたし」
のんきな口調で、先生がニヤッと笑う。
一瞬ぽかんとして―――、胸が、すごく苦しくなって、でも笑ってた。
「100歳って……。確かに先生ってしぶとそうだし。ご長寿一位になるかもですね?」
「だろ?」
自信満々で頷く先生に、どうしようもなくおかしくて声をたてて笑った。


先生って―――意外に、いい人なんだね?