secret 59 恋、想い

それからリビングに行って、捺くんが朝食を作ってくれた。
得意だっていうフレンチトーストはふんわり甘くって、本当に美味しかった。
そして後片付けを手伝って、捺くんの家を出た。
捺くんにはバス停まで送ってもらって。
「また、ね。実優ちゃん」
「うん」
捺くんはずっと笑顔でいてくれた。
それにほっとしながら別れた。
バスに乗って、手を振って、バスが発車して、捺くんの姿が見えなくなっていって。
「………」
涙が出てきて、手の甲で拭った。
和くんと捺くんの会話を聞いてから、なんだか急に自分が嫌になってしょうがない。
2人に応えきれない自分の気持ちと―――。
捺くんは『親友』って言ってたけど、捺くんと和くんの仲がこじれないかが、不安でしょうがない。
マイナスな考えばっかりが浮かんで、涙が止まらなくなってきた。
やばいなぁ……。
ものすごい今落ちちゃってる。
どうしようかな―――。
こんなとき、前だったらすぐにゆーにーちゃんにメールしたりしてた。

ゆーにーちゃんが帰ってきたら、悩みや、その日あったことを全部話して。
ゆーにーちゃんは優しく話を聞いてくれて。
ゆーにーちゃんは優しく頭を撫でてくれて。
ゆーにーちゃんは――――……。

バスが停まって、降りた。
全然知らないところなのに、降りてしまった。
あのまま乗ってたら、大声で泣きじゃくって、注目浴びそうだったから。
だけど、降りたところで一緒なんだ。
道の往来で泣いてたら……恥ずかしい子決定だよね……。
だからできるだけ人目がなさそうな道を歩いて、さびれたビルの階段に腰掛けた。
携帯を取り出して、データフォルダを表示させて。
ゆーにーちゃんの写真を見ようかな。
って、思って、やめた。
会いたくなるだけだし。
声聴きたくなるだけだし。
もっと泣いちゃうだけだから。

「おい」

やっぱりあのままバスに乗って、さっさと家に帰ってればよかったなぁ。
落ち込むんなら家でとことん落ち込んでたほうがマシだよね。

「おい! 実優!!」

こんなところで一人ぐずぐずしてたら怪しい人がいるって通報されちゃうかもしれないし。

「実優!! 橘実優!!」

「――――?」

なんか聞き覚えのある名前。
ん?
あれ?
ん……と、私の名前?
って!! 呼ばれてる!?
慌てて顔を上げると、目の前の車道に見おぼえのある車が停まってた。
そして助手席の窓が開いて、奥の運転席にいる人が

「何ボケっとしてんだよ!」

イライラした口調で言った。

「………先生?」
そう、松原先生だった。
なんで先生がこんなところにいるんだろ。
びっくりしすぎて、呆けたように先生を見つめてると、
「おい! 早く乗れ!!」
急かすように怒鳴られた。
え、乗るの?
でも先生は早くしろとばかりににらんでくるから、慌てて立ちあがると車に乗った。
座り心地のいいシート。甘くスパイシーな香りがほんのり漂う車内。
この前、先生が私のマンションに来た時乗ってた軽自動車とは違う、あきらかに高そうな車。
あのとき駐車場に停めてあった他の2台のうちの一つだと思う。
シートベルトを締めながら、きょろきょろ物珍しくって車内を見まわした。
……ん?
ふと違和感。
「………あの、先生」
「なに」
「なんでハンドルが左側にあるんですか?」
「………」
「………せんせー?」
「外国車だからだ」
「あー……!」
なるほど、とポンと手を打って納得。
外国車って初めて乗るなぁ、なんてのんきに考えてたら。
「お前なー……」
先生がなぜかため息をついてる。
「先生? ていうか、そういえばどうしてあそこに? 偶然ですね!」
そう言えば確かイブは実家に帰るとか言ってたけど、その帰りなのかな?
「……偶然帰り道に」
やっぱりそうなんだ。
「赤信号で停まってたときに、反対車線のバスから半べそかいた女が降りてフラフラ歩いて行って、どっかで見たことある顔だなーって思って見に来た」
「………」
「………」
「……えっと……それって……私?」
「……ほっといてもいいが、一応教職。なおかつ人一倍気の優しい俺様だから拾った」
「………」
なんか突っ込みどころ満載なんですけど、先生……。
優しいのに“俺様”なの?
しかも拾ったって……。
「先生……。優しいって自分で言わないほうがいいですよ?」
思わず言っちゃったけど、すぐさま先生がにらみを効かせてきて口をつぐんだ。
「………えーっと、とりあえずありがとうございます」
実際先生に会ってびっくりしてさっきまでの憂鬱さを忘れてた。
思いだせば、やっぱり鬱々しちゃうんだけど。
「別に。“優しい”先生だから気にするな」
「……先生、ほんと優しいです〜!」
冷ややかな先生の声に、フォローするように『優しい』って言ったのに、またにらまれてしまう。
「お前んちに送っていいのか? それとも相談したいか?」
ハンドル片手に煙草を取り出す先生。
咥えたばこで器用に火をつけるのを眺めながら、少し笑ってしまった。
「家で……大丈夫です」
「了解」
先生に詳しいことを話すわけにはいかないし。なんだか照れくさいし……。
でも……正直、誰かに聞いてほしいっていう気持ちがないわけじゃないけど。
ウィンドウを少し開けて先生は黙って煙草を吸い、煙を外へ吐きだしている。
BGMはスローテンポな洋楽。
洋楽とか全然聞かないから、誰の曲かとかまったくわかんないけど、大きくなく微かに流れる音は子守唄みたいで心地いい。
「先生って……モテるんですよね?」
音楽に耳を傾けながら―――気付けば訊いてた。
「ああ。モテるけど?」
あっさり肯定する先生にはさすがとしか言えない。
「好きになられて困ったりしたこととかないんですか?」
「あ?」
「え、と。その、たとえばその好きになってきた相手が2人いて、その2人がともだち同士で―――。その、同じ人を好きになってるわけだから、揉めてしまったらどうしよう、とか」
言いながら、もうぶっちゃけちゃってるよね……と気付いた。
少し気恥かしくてちらり先生を横目に見ると、先生も少し私のほうを見て、すぐに視線を前に戻した。