secret 117  大切で、大切な、ひと。  

「熱は下がったようだね。体調のほうは?」
体温計を見てホッとしたようにゆーにーちゃんが私に視線を向けた。
自分の部屋のベッドの上。ゆーにーちゃんは端に腰かけてる。
「うん。もう大丈夫だよ」
身体もすっきり軽いし、治ってるって実感できる。
私は安心してもらえるように笑顔を返した。
「そっか。じゃあ学校に行けるね。今日は終業式か」
私の頭を撫でながら言うゆーにーちゃんに、胸がズキリ痛む。
その痛みを無視しながら、
「今日行ったら春休みなんて、ちょっと得した気分」
って笑う。
ゆーにーちゃんも「風邪できつかったのに?」なんて笑ってくれて。
でもすぐに真剣な目になった。
「……終業式だけでも出れてよかった」
「……え?」
ゆーにーちゃんは迷ったように、困ったように、ちょっとだけ眉をよせる。
「たぶん……すぐにどうするか決められないだろうし手続きとかいろいろあるから、2年生も迎えられるとは思うけど……」
ゆーにーちゃんの言ってる意味がわかんなくって、曖昧に笑う。
「状況次第では……一緒に向こうに行くということもないとは言い切れないからね」
「………」
そう―――だ。
私はゆーにーちゃんについていくって、言ったんだ。
すっかり、抜け落ちてたことに言葉がでない。
「実優? 大丈夫? 別にすぐに友達と別れるっていうわけじゃないから……大丈夫だよ」
きっと青ざめてしまった私を慰めるようにゆーにーちゃんが優しく微笑む。
私は、それでも返事ができなくって、ただ首を縦にゆっくりと振った。
「じゃあ、朝ごはん用意するから。着替えておいで」
もう一度そっとゆーにーちゃんが私の頭を撫でる。そして部屋を出て行った。
私はベッドから降りて、カーテンを開いた。
外はものすごくいいお天気で、太陽の光がまぶしい。
窓に寄りかかって、しばらくぼんやりしてた。









教室に入ると七香ちゃんと羽純ちゃんが駆け寄ってきてくれた。
「もう大丈夫なの?」
「病み上がりだし無理しちゃだめだよ?」
七香ちゃんが私の顔色をチェックしながら、羽純ちゃんが優しい笑みを浮かべながら、声をかけてくれる。
「うん。もう完治したよ! 心配してくれてありがとう」
「もうこのまま春休みまで会えないかと思ったよ〜!」
七香ちゃんたちと喋りながら席についた。
隣の席の和くんはまだ来てない。
終業日の教室は明日から春休みだからか、楽しそうな喧噪につつまれてた。
春休みたくさん遊ぼうって七香ちゃんたちと話して、なにをしようかって計画を色々たてた。
もし―――留学するなら―――ゆーにーちゃんが日本を発つ日に一緒に行こうって、朝決めた。
だから少しでもみんなとの思い出をつくっておきたい。
みんなに、そのことを話す勇気はまだないけど……。
朝のホームルームがはじまるまでずっと喋ってて、先生が教室に来たとき、ちょうど和くんも登校してきた。
先生に注意を受けながら席に着く和くん。
「………おはよう」
一昨日のことを思い出して、息苦しさを感じるけど、普通に声をかけた。
和くんはちらっと私を見て―――小さく笑ってくれた。
「もう具合いいのか?」
「うん、大丈夫」
「そっか」
それだけ。和くんは一昨日のことにはなにも触れない。
そんな和くんの優しさに、ずっと続いている頭痛がほんの少し和らぐ気がした。
「和くん」
「……ん?」
「いつもありがとう」
なんとなく、言いたくって笑顔を向けた。
和くんは「なんだよ、急に」って苦笑しながら私から照れたように教卓のほうへと視線を流してしまった。
私も前を見て、担任の話に耳を傾けた。
和くん―――心配してくれてほんとうにありがとう。
でもね?
結局私は、変わらないんだ。
大切で、大切な、ひとは―――変わらないんだ。









終業式はちょっとだけ浮ついた空気が漂ってた。
式が終わってしまえば、あとは最後の掃除があって、ホームルームがあって、終わり。
明日から春休みなんだから、みんなそわそわしててもしょうがない。
私も前後ろにいる七香ちゃんと羽純ちゃんと小声で話しながら、進んでいく終業式の内容を聞いてた。
『―――今学期をもって辞任される先生方から―――』
そんなアナウンスの声が聞こえてきたのは、式半ばだった。
自然と舞台に目が行く。
そこには3人の先生たちがいた。
その中には……松原……先生……もいる。
姿を見て、本当に学校を辞めるんだって、実感した。
ひとりひとり挨拶をしていく。
『―――』
伊達メガネをかけて、さも真面目ですってオーラをだした、にこりとも笑わない先生がなにか喋ってる。
なんだか下手なお芝居を見てる気分だった。
無表情に『楽しい授業をできたことを……』なんて言われたって信ぴょう性ないし。
まるで仮面でもかぶっちゃったみたいに、舞台の上の先生は知らない人で。
私には―――関係ない、接点なんてなにもないはずの、古文の教師で。
だから私は、七香ちゃんにくだらないことを小声で話しかけて、先生から目を逸らした。

先生は学校を辞める。
私は留学する。

接点なんて、なにもない。