EXTRA GAME / Change 12

だけどまだ夜の11時。たいてい2時とかに寝るから、睡魔は襲ってこない。
しばらくしてからゆっくり瞼をあげると、実優はすでに眠りについているようだった。
規則的な安らかな寝息が半開きになった唇からこぼれている。
あどけない寝顔を見ていると自分との歳の差をひどく感じる。
一回り違うんだからしょうがないか。
そっと触れた肌は柔らかく張りがある。
ふと、夏木の『ロリコン』という言葉を思い出して苦々しい気分になってため息をついた。
決してロリコンなんかじゃない、心の中で誰に対するいい訳か、否定しながら実優の寝顔を眺めていた。
寄り添う実優から伝わってくる体温と、その寝息に少しだけ眠くなってきたような気もする。
もう一度目を閉じ―――いつの間にか俺は眠っていた。ほんの浅い眠りに。





「―――」
びくり、と身体が震えて目を開けた。
寝起きの倦怠感が身体中にある。どれだけ寝てたのかわからないが、あまり時間はたってないような気がする。
欠伸が出て、また眠りに着こうとして、身体が震えた。
「―――」
俺の、じゃない。
ハッとして見ると、苦しげな表情をした実優の姿が映った。
「……実優?」
肘をついて少しだけ身を起こして実優の顔を覗き込む。
寝入りは穏やかだったはずなのに、いまは身体を小さく震わせて呼吸も荒い。冷や汗さえ出ていて尋常な状態でないことはわかる。
思い出すのは俺のマンションに泊まりに来たときの深夜のこと。
「………パ……パ」
掠れた声が耳に飛び込んでくる。
ううう、と呻くその声に胸がざわめくのを覚えた。
―――やっぱり。
単なる直感でしかなかった予想が当たっているらしいことに胸苦しくて息が詰まる。
額に滲んだ汗を手で拭ってやる。
この前、うなされていたときよりもいまのほうが苦しそうだった。
ママ、と寝言とともに涙がこぼれだす。
いつも、なんだろうか?
どれだけ前向きに生きようとしたとしても、根底にあるトラウマをすべて消すことなんてできるはずもない。
それに……。
「―――っ……、や」
恐怖に震えるようにシーツを掴むその手に、昼間の実優が言うところの"発作"を思い出さずにはいられない。
睡眠中にうなされることがままあることとして―――いつもこんなにひどいのか?
昼間のあれがあったから、いまこんなにもうなされる起因になってるんじゃないのか。
そう思うと、知らなかったとはいえ俺の目の前で、あんな状況に陥らせてしまった罪悪感に心が占められる。
「―――」
実優の唇が音のない悲鳴のような荒い吐息を吐きだす。
寄り添っていた俺との間に、いまは少し距離があって、俺は手を伸ばして実優の身体を引き寄せた。
震える身体を腕に閉じ込めて頭を撫でながら耳元で囁いた。
「大丈夫だ」
―――怖いものなんてなにもない。
―――俺が、そばにいる。
だから、大丈夫だ、と何度も繰り返し、言い続けた。





実優の状態が落ち着いて、しばらくしてからベッドルームを静かに抜け出た。
穏やかに寝息をたてている実優に安堵しながらも、ざわざわと心が波打っていて目は冴えるばかり。
ため息一つついてグラスに氷を入れた。
ウィスキーのミニボトルの封を開けてそそぐ。
一口飲んでから煙草に火をつけた。
胸底にたまった澱を煙に混じらせて吐き出す。
暗い部屋の中に紫煙が溶け込むように立ち上っていく。
ほんの数回吸っただけで灰皿にもみ消した。
根元まで吸いつくしたい気分はあるが、ベッドルームにいる実優がちゃんと寝ているか気になってしまう。
まるで保護者だな。
自嘲の笑みがもれる。グラスを手にしてベッドルームに戻った。
開け放たれたままのカーテンから下界からのネオンか、それとも月明かりか、暗く蒼い空間の中で実優の寝顔は出ていったときと変わらず安らかなままだった。
起こさないように静かに隣にもぐりこむ。ベッドヘッドにもたれて酒を煽った。
熱が喉を通って胃に落ちていく。
その熱さは余計に俺の頭を冴えさせてしまう。
舐めるようにもう一口、味わう。
―――あまり、物事を深く考えるのは正直性に合わない。
グラス片手に実優を見下ろし、靄がかかりそうになるのをとりはらうように軽く首を振り実優の頬に指先をのせた。
こいつが背負っている苦しみを俺がすべて理解してやれるわけでもないし、そういう関係でもない。
ただ、妙に―――胸が騒いでしまう。
同情しているのか?
違う、と思うが、ならいったいなんだろうと考えれば答えがでない。
……まったくもって、らしくない。
ぐだぐだと思考を巡らせるから深みに嵌る。
振り切るようにウィスキーを少し多めに口に含んだ。
「……先生…?」
掠れた寝起きのか細い声が響く。
見下ろすと、眠たそうな顔をした実優がいまにも落ちそうなまぶたを上げ、俺を見ていた。
「……悪い、起こしたか?」
まだ寝入ってから1時間も経っていない。
眠りは浅かったのか。
寝ぼけた様子の実優の髪に触れ、もう一度寝るように髪をなでた。
「……眠れない……んですか?」
幾度かまばたきをしてから実優はそう訊いてくる。
眠れない、か。
それは俺じゃなくお前だろうと心の中で呟く。
本当の意味でこいつはちゃんと眠れているのか。
「なんか夢、見たか?」
悪夢を覚えてるのか。
髪を梳いてやりながら尋ねると、実優は不思議そうに「ゆめ?」と呟いた。
「夢、見た? ………怖い夢とか……」
言いながら、言ったことで思い出さなくてもいいことを思い出させてしまうんじゃないかとわずかに不安がよぎった。
「見てないと思うけど……」
実優はとくに思い当たらない様子で枕に顔を埋めるように小さく首を傾げる。そしてふと思い出したように眉を上げた。
「声だけの夢なら見たような」
「声?」
誰の声なんだろうか。
「……んー…と、誰かが『大丈夫』って言ってたような……。それだけなんですけど」
ほんの少し頬を緩める実優に、心臓が変な音を立てた。
なんだ?、と思うが同時に安心もした。
ちゃんと声は届いていたんだと。
「すごく優しい声で、落ち着いたような」
―――俺の言葉は届いていたにしろ、悪夢は今日限りじゃないだろう。
それを考えるとやるせない気持ちになる。
一人で暮らしている実優が、自分でも知らないうちに過去の残像を思い出しているのは表面に出てないだけマシなのかどうなのかわからない。
表だって起きてまで悪夢に苛まれるよりは夢の世界だけで終わっていて良しとしたほうがいいのか?
―――よくないだろ。
そうは思うが、きっと例事故以来続いてるはずの悪夢がそうやすやすとなくなるわけがないということだけはわかる。
時間が解決するのを待つのか。
胸の内に重いため息が落ちる。
グラスをサイドボードに置いて実優の傍にもぐりこんだ。
悪夢のことなど覚えてない実優は不思議そうな顔で俺を見ている。
「せんせ……?」
目をしばたたかせる実優の頬に手を添える。
「お前さ」
「はい……?」
深くかかわる関係じゃないと、また思うけれど―――、俺の視界の範囲で苦しむ顔を見るのは不快でたまらない。
「忘れろ」
「え?」
「寝てるときくらい……忘れてろ」
起きているときだって全部忘れているはずはない。
華奢な身体をしているくせに、呑気そうな顔してるくせに、その奥に突き刺さっているのもが大きすぎる。
せめて―――悪夢さえも届かないくらい深く眠れればいいのに。
そう思いながら、そっとキスを落とした。
やわらかい唇に触れるだけのキス。
どうしてそうしたのか。
体温を感じるだけ。触れ合った唇が離れると、実優が、
「―――せんせい……」
ねだるようにすり寄ってきた。
暗い室内でもほんのりと実優の頬が赤く染まってるのがわかる。頬を撫でながら吐息のかわりに呟きをこぼした。
「……難しいな。いろんなもんを埋めるのは」
寂しさも辛さも、たとえば一時の快楽なんかで忘れることはできるのかもしれない。
だが当たり前に、それはほんとうに刹那でしかないから。
「まぁ今日は俺が……いてやるよ」
ただ何も考えられなくなるようなものじゃなく、もう少し長く安心させてやれることができれば。
実優の身体を引き寄せる。隙間なんてないくらいに、身体を添わせた。
戸惑ったように微かに実優が身じろぐ。
少しして実優がそっと背中に手を回してきた。
だけど俺の胸の中にいる実優は寝る気配もなく息をひそめている。
なにを想って、考えてるのか。
「余計なこと考えてないで、寝ろ」
こいつの欲しがってるのは俺の腕じゃないんだろうが、いまは我慢しろと強く抱きしめた。
そしてギュッと実優も俺に抱きついてくる。
力を抜くような吐息が首元にかかってきて目を閉じた。
それから眠りについたのは実優の寝息が聞こえてきて少ししてからだった。