EXTRA GAME First contact 3

午後8時、学園の駐車場にとめてある通勤用の軽に乗り込んだ。
実優と別れたのが午後の4時だったから、あれから4時間。
教頭の用事はやはり雑用の押しつけだった。それも数日はかかりそうな資料整理。
とりあえず残っていた仕事と雑用に少し手をつけていたらあっという間に8時になり外は真っ暗になっていた。
エンジンをかけながら、飯をどこで食おうか考えていれば鳴りだした着信音。
携帯を取り出してみると表示されていたのは腐れ縁の悪友の名。
「もしもし」
『よー、アッキー、いまどこぉ?』
「………」
うざいくらいのテンションの高い声が響いてきて、即座に通話を終了させた。
数秒してまた着信が鳴りだす。
今度は無言で出た。
『おい!! 急に切るなよ!』
「バカに付き合ってる暇はない」
低く言えば、ため息が返ってくる。
『バカってお前なー。それが大親友の智紀様にむかって言う言葉か?』
「誰が大親友だって?」
ウィンドウを少し開け、煙草に火をつける。
深く吸い込んで、煙を吐き出すと少しだけ疲れが緩和された気がした。
『俺俺俺〜、智紀様だろ?』
うまい煙草に……ウザイ悪友。
「切るぞ」
『だあー! ったく、お前は! 待て待て待て!』
携帯を耳から離し切ろうとしたがしつこいストップに、再び耳に当てる。
「早く用件言え」
「いまDawnにいるから来いよ」
Dawnは俺と智紀のいきつけのバー。
マスターとも顔見知りで、酒も食事もうまい。
「わかった」
じゃあな、と短く返事をし電話を切るとDawnへと車を走らせた。






薄暗い店内。
静かに流れてるのは40代のマスター好みのジャズ。
カウンターとフロアにはソファ席が4つの店内。
智紀はカウンターですでに飲んでいた。
その隣に座ると、俺を見た智紀がマスターに声をかける。
「とりあえずアキにビール。とスモークチーズと、ピザでいっかな」
煙草と学校用ではない愛用の革製のライターを取り出していた俺は、その言葉に眉を寄せた。
「……智紀、お前」
一杯目はビールでも構わない。
が―――こいつが″アキ″なんて呼び方をしてくるときはたいていろくなことがない。
幼稚園から一緒という腐れ縁以外のなにものでもない悪友。
こいつが俺のことを″アキ″と呼んでいたのは中学まで。
高校入ってからは晄人と呼ぶようになっていた。
理由はくだらなくも単純。
『アキって呼ぶと女の子が勘違いするんだよなー。彼女いるんじゃないかって』
特定を作らず派手に遊んでいた中学と高校時代。
そんな理由で呼び方が変わっていたが、たまに智紀は俺を″アキ″と呼ぶ。
それはだいたいが頼みごとがあるとき、だ。
「飯食ってないんだろ? いまピザ頼んだからな」
俺って優しい、なんて寝ぼけたことをほざく智紀を横目に見ながら煙草に火をつける。
「先に言っておくが、しない、ぞ」
智紀はすかさず嫌そうな顔をして俺を見てきた。
「なんだよいきなり。何も言ってねーだろ。勘違いするなよなー」
「じゃあ、食ったら即帰るぞ」
「……勘違いするなっていうのはあれだ。ろくでもないことだと思うなよ?ってことだ」
意味不明でしかない言い訳をしている智紀の正面にきたマスターが小さな笑みとともにビールとチーズを俺の前に置いた。
会釈を返し、ビールに口をつける。
「そう案外ろくでもないことじゃない。アキにしてみればしょぼい話だ」
……しょぼい=ろくでもない、じゃねーのか。
言い返そうと思ったがいまは黙ってチーズを食べることにした。
「これさ、ドイツ語翻訳よろしく」
「………」
な? たいしたことじゃないだろ?
と、智紀は気色悪い爽やかな笑いを浮かべている。
カウンターの上に出されたA4サイズの分厚い封筒。
見るまでもなくその中の書類をドイツ語に翻訳しろということ。
「しない、ぞ」
「へーきへーき! 1週間内でしてくれればいいからさ。アキには楽勝だな」
「……死ね。つーか、いい加減人雇え」
「じゃー早く教職辞めて、うち来いよ」
智紀は2年前会社を興した。
大学に入ってから俺と智紀は俺の祖父であり、学園の理事長でもあり有数のホテルやレストランを経営する松原グループの会長のもとでバイトをさせられた。
ま、雑用ばっかりだったが、そこで智紀は触発されて自分で会社を興そうと決めた。
大学卒業後は松原グループの本社で営業部に勤務し、そして2年前独立した。
智紀の親父さんはオーベルジュを経営していて取り扱っているものはおおむね輸入。それを手伝うためか興したのは貿易会社だった。
とはいっても内情は何でも屋だ。
もともと才覚はるんだろう。営業時代のパイプを使っていろんな仕事を回している。
そして智紀はずっと俺に共同経営しようと持ちかけていた。
「漢文読んでるほうがマシ」
そうは言ったが、ずっと教職をつづけることはおそらくないだろう。
おそらくあと2年。
まだ智紀には言ってはないが、30になったら智紀の会社に入ろうかとは考えていた。
松原グループ自体は後継ぎが俺の兄貴に決まっているのもあるし、案外放任主義で就職も自由にしていいと言われていた。
それは社長である親父の意向であって会長は違うだろうが。
「まぁそう言わずに。現代語を漢文と思ってドイツ語の訳せばいい、な?」
相変わらず意味不明な説得をしてくるやつだ。
これで営業時代トップの成績を誇っていたなどにわかには信じられない。
「今日は奢ってやるし、もちろんバイト代出すしな」
「却下」
「あーきちゃん、お願い! 俺、忙しくって手が回んないんだよ」
「………」
「あーき……」
しつこく食い下がってくる智紀。
どうぞ、とマスターが熱々のピザを持って来た。
智紀を無視し、 黙々と食べる。
「―――そういやさ、例の子は食った?」
突然の話題転換にちらり智紀を横目に見る。
「例のってなんだ」
「玲子の従妹の女子高生だよ。エミちゃん。お前の学校の生徒だったろ」
ああ―――エミって名前だったな、と今日寸止めで終わった3年の女生徒を思い出した。
玲子はセフレの一人。
「あの子、お前と玲子の関係気づいてただろ?」
そう、だ。
偶然智紀と飲んでいるときに玲子とエミとやらに出くわして4人で飲むことになった。
エミが高校生で、学園の生徒だと知ったのは別れ際だった。
そして今日古文の準備室前で待ち伏せされ『玲子姉とセンセーってどんな関係なんですかぁ? 一回でいいから、私も相手してくれません?』そう言われたのだ。
1回だけだぞ、と念を押して空教室にしけこんで―――。
「……なんだよ、アキ。そんな良い身体してた? やっぱ女子高生は違う?」
目を輝かせた智紀が訊いてくる。
「あ? 最後までシてない」
「珍しい」
「邪魔が入った」
「でもエロい顔してたぞ、いま」
「………」
実際、いま思い出してたのはエミじゃなくそのあとの実優だった。
そういや番号交換したな。
教頭から押し付けられた雑用は2日もあれば片付くだろう。
明後日には連絡して―――続きを……。
「というわけで、これよろしく!」
分厚い書類を押し付けてくる智紀。
「あ?」
「最後までシてなくっても、とりあえず手は出したんだろ?」
「………」
「神聖なる学園内で生徒に手出したなんて知ったら―――」
智紀はニヤッと笑って言った。
「美咲さん、キレるだろうなぁ」
「………智紀……テメェ」
美咲は俺の3個上の姉貴。
女遊びにとやかく言いはしないだろうが―――智紀の言うように生徒に手を出したことを知られれば不味い。
鉄拳制裁は免れないだろうし、いま智紀に押し付けられようとしている仕事の数倍の雑用をこなすよう言い渡されるのは目に見えてる。
「な、アキ。俺の頼み聞いてくれるよな?」
ビールを飲み干し、マスターに「ジントニック」と告げる。
2本目の煙草を取り出し口にくわえながら、満面の笑みを浮かべている智紀の手元にある封筒を取った。
「サンキュー、アキ!」
なにがサンキューだ。
悪態を突く代わりに横目に睨むが、智紀に効果があるはずもない。
「マスター、俺は水割り!」
のんきに注文している悪友にため息をついた。
これで1週間近く雑務で時間がつぶれることは間違いない。
今日二回も不発で終わった俺の欲求が満たされるのはいつになるのか。
―――こんなことなら校内放送など聞こえなかったふりして、実優を最後まで味わってればよかった。
いまさらなことを思いながら、コースターに新たに乗せられたジントニックを一気にあおった。