EXTRA GAME / Change 6

ケーキを渡すためにUターンしようとハンドルを握るが、なにか違和感を感じた。
俯いて歩いている姿―――泣いている?
様子がおかしい実優に不快感に似た妙な気持ちが沸いてくる。
とりあえず青信号になるのを待って、それからUターンして実優のあとを追った。
どこかに行く途中かと思った実優は人気のない通りに入って薄汚れたビルの階段に座り込んでいた。
車を停めウィンドウを開ける。ほんの3メートルほど離れたところにいる実優の表情はやっぱりやけに暗く、泣いているように見えた。
世の中クリスマスで賑わっているというのに、ひどく沈んだ雰囲気をしている。
「おい」
なにやってんだよ。
ますます不快感に似たものが増幅されていく。
「おい! 実優!!」
それがなんのかよくわからないまま声をかけた。
だが自分の世界に入ってるのかなかなか気づかない。
「実優!! 橘実優!!」
早く気づけ―――、そう苛立った。
ようやく実優は顔を上げて視線をさまよわせると、俺に気づいたみたいで呆けていた。
「何ボケっとしてんだよ。おい! 早く乗れ!!」
目を点にしたままの実優に叫ぶと、慌てたように車に乗り込んできた。
さっきまでの暗い雰囲気はなりをひそめ、いつもと変わらない様子に戻っていて少し安堵する。
シートベルトをするように促し、車を発進させた。
実優は物珍しげに車内を見まわしている。不思議そうに自分の座っている席と、俺とを何度か見比べていた。
どうしたのかと思えば、神妙な顔して聞いてきたのは左ハンドルのこと。
外国車だからと説明すれば納得したようだが、いつも通り過ぎる実優にため息が出てしまう。
さっき泣いてたように見えたのは勘違いだったのか?
やっぱりこいつはただのとぼけたやつだった。
「先生? ていうか、そういえばどうしてあそこに? 偶然ですね!」
「偶然帰り道に……。赤信号で停まってたときに、反対車線のバスから半べそかいた女が降りてフラフラ歩いて行って、どっかで見たことある顔だなーって思って見に来た」
もとはケーキを渡すだけ……のつもりだったが。
いまはとりあえずこれからどうするか考えを巡らせている自分がいた。
「……えっと……それって……私?」
目をしばたたかせて俺を見てくる実優にまたため息が出る。
「……ほっといてもいいが、一応教職。なおかつ人一倍気の優しい俺様だから拾った」
「先生……。優しいって自分で言わないほうがいいですよ?」
少しの間を置いてそう言った実優の口調はどこか呆れたようなものを含んでいた。
「………」
こいつは……。
いますぐ車から放り出してやろうか。
胡乱にらみつければわざとらしく「とりあえずありがとうございます」と言ってきた。
が、『とりあえず』ってなんなんだ。
「別に。“優しい”先生だから気にするな」
仕返しにと俺もわざとらしく言えば、
「先生、ほんと優しいです〜!」
俺の上をいくわざとらしい笑顔もプラスして実優が返してきたから、さらに睨んだのは言うまでもない。
内心舌打ちしながらハンドル片手に煙草を取り出し、火をつけた。
ウィンドウを開けて深く吸い込んだ煙草の煙を外へと吐き出す。
俺と実優の会話はいつもと大差ないものだ。
だがさっき泣いていたかもしれない実優がいたのも事実。それそ思い出すと、車をどこへ走らせるべきか迷った。
「お前んちに送っていいのか? それとも相談したいか?」
相談しなくても一人になってまた泣くかもしれないと思えば、俺のマンションへ連れ帰ったほうがいいような気がしたが選択肢は与えなければならない。
俺の問いに実優は自宅に帰ることを選んだ。
予想通りの回答ではあったから了承し実優のマンションへと車を走らせる。
会話はそれっきりなく、しばらく音楽だけが静かに流れていた。
「先生って……モテるんですよね?」
実優が言葉を発したのは10分ほど経ってからだった。
「ああ。モテるけど?」
こんなことを言えば智紀や姉貴から自信過剰だのなんだの言われるのは承知のうえ。だが事実なんだからしょうがない。
実優のことだから呆れた眼差しでも向けてくるんだろうと思っていたら、予想していなかった方向に話は向けられていた。
「好きになられて困ったりしたこととかないんですか?」
「あ?」
困ったり―――したとして、人の気持ちを変えることは容易くない。
好きになるのも嫌いになるのも当人次第。だから俺自身に実害がないかぎり、おおむね放置することにしている。
しかし。なんでそんなことを訊く?
さっき暗かったのは恋愛絡み……か。
「え、と。その、たとえばその好きになってきた相手が2人いて、その2人がともだち同士で―――。その、同じ人を好きになってるわけだから、揉めてしまったらどうしよう、とか」
一瞬脳裏をよぎったのは例の元カレの存在だった。
続いた実優の言葉でそれが違うことを知る。
が―――、例えばにもなにもなっていない明らかに実優本人が"好きになられた側"だろう話に、ちらり実優を一瞥した。
ちょうど実優も俺の方を見て、目が合いかけると慌てて前を向いていた。
二人の男に告白でもされたわけ、か。
さっき感じた不快感に似たものとはまた違う、だが似ているような気もする靄がかかったような胸苦しさに少しイラついてハンドルを握る手に力を込めた。
「別に―――気にしない」
名の知れない感情にこそ不快感を覚えながら、とりあえずは"相談"にたいする答えを告げる。
「え?」
「俺を好きだと言う女が二人いて、そいつらが友達同士だったとしても俺には関係ないし」
俺に対する実害がないかぎり、と同じことだ。
「でも、気になりません?」
実優がこちらを窺っている気配がする。その声色は戸惑っているようなものだった。
煙草の煙をため息に混じらせて吐き出す。
「気にしてどうする? それとも仮に俺じゃなくってお前だった場合、相手のやつらが友人同士だったからといってどうする。お前がどちらかの男を好きなら、話はこじれるだろうし友人か関係にもヒビが入るかもしれないが。そうでない場合はとくに気にすることはないだろ」
当人たちが『好き』だと言い、その両方に応えられないのなら結果は同じ。
友達だからどうのこうのは関係ないことだろう。
もし実優が―――どちらかに特別な好意を持っているなら状況はかわるだろうが、話の様子からしてそれはなさそうに思えた。