EXTRA GAME / Fragment 8

紅茶を一飲みしてからさりげなく頬に触れる。
ほんの微かに熱を持った頬を叩いたのは言うまでもなく実優だった。
……力任せに叩きやがって。
3回戦をしようとしたら、『エロ! 変態! 今日はもう無理!!!』そう叫びながら、ビンタされた。
ビンタした本人が驚いていたからおそらくわざとではなかったのかもしれない。
いや叩こうとはしたんだろうが、思いのほか力が入りすぎてたのは計算外だったようだった。
だからこそ青褪めて縮こまった実優に『慰謝料+お仕置きな?』と、3回戦を決行した。
結局さんざんよがって、さんざん愚痴愚痴言っていた実優を自宅に送り届けて、実家へと来たわけだが―――。
冷やしてくればよかった。
予想外に腫れてしまっている頬を姉貴は相変わらずニヤニヤと眺めている。
ウザくてしょうがない。姉貴を無視することにしてお袋に話しかける。
「それで?」
だいたい用件の検討はついているが訊くと、お袋は硬い背表紙のリストを渡してきた。
「はい、クリスマスパーティの招待客リストよ」
松原家では毎年クリスマスイブには親しい人を呼んでホームパーティをするのが常だった。
今年もそれは例外なく、リストには見知った名前が連なっている。
おおむね毎年代り映えはない名前の数々。
その中には智紀の名前もその両親の名前もあった。
だが、智紀の名前の横には×が書かれている。欠席か。
「智紀くんは来週からフランスに行くそうよ。向こうで年越しをするらしいわ」
お袋の言葉にため息が出た。
智紀のやつ……明らかに仕事に便乗しての旅行だろ。
あれで経営者が務まってるのか疑問過ぎる。
「それとパーティには貴子さんもいらっしゃいます」
貴子さんは兄貴の婚約者。
「公でのご報告は来年になるけれど、先に今度のパーティでみなさんにご紹介しますから。晄人さんもよろしくお願いしますね」
お袋の言葉を聞きながらリストにある名前に目を止める。
―――玲子も来るのか。
思わず眉間にしわを寄せた俺に、相変わらず柔らかいものの強さを含んだお袋の声がかかる。
「晄人。わかりましたか?」
「……はい」
静かにリストを閉じ、テーブルに置いた。
それから親父や兄貴からの伝言を聞かされてお袋からの用事は一段落した。
すっかり冷えた紅茶は一旦下げられて新しく淹れたものが出される。
お袋の配合した紅茶の味を堪能していると、姉貴と目が合った。
俺にとっては不気味でしかない微笑を浮かべる。
「ねぇねぇ、その頬、どんな子にやられたの? 修羅場? ふられた?」
好奇心丸出しで身を乗りだして訊いてきた。
「……ふられるわけねーだろ。たまたまだ、事故だよ」
「ふーん、そんなばっちり手形ついてるのに? まあ晄人の女癖の悪さは今に始まったことじゃないし、ビンタのひとつくらいされてもおかしくないしね。刺されなかっただけマシじゃない?」
「………あのなぁ、事故だって言ってるだろ。修羅場でもない」
反論するも、まったく聞いてない様子で姉貴は頬に手を当ててわざとらしいため息をついている。
「あんたももうすぐ30なんだから、ちょっとは落ち着きなさいよ」
「……すでに30で、いまだ行き遅れに言われたくねーな」
一時期一人暮らしをしていたものの、いまはまた実家に住んでいる姉貴。
外面と顔だけはいいから男に不自由はなさそうだが、いまだに結婚話を聞いたこともない。
鼻で笑いながら言えば、すかさず睨みつけられる。
「へぇ、晄人。あんたいつから私にそんな口をきけるようになったのかしら?」
「事実を言ったまでだろ」
「晄人? あんた、この前のこと忘れてないでしょうね? あのなんて名前だったかしら、たしか佳奈―――」
「ちょっと待て」
一年ほど前揉めた女の名前を出して来そうになった姉貴に慌ててストップをかける。
実家でなければ反論だって、言いあいだってしていいが、実家では無理だ。
だがすでに遅く、それまで黙っていたお袋が相変わらず一見穏やかな笑みで俺を見てきた。
「晄人。美咲のいうとおり、そろそろ落ち着きなさい? 10代のころならいざ知らず貴方ももう立派な大人です。不義理な交際は慎みなさい。貴方への縁談も多いですが、それを断っているのは社長が貴方のことを考えてのことです」
社長―――親父は自分がお袋と恋愛結婚だったせいか、政略的なものを好まない。
子供には好きにさせてやりたいという父親としては優しい想いやり。社長と言う立場としてなら正直微妙なところだが。
それにしても一介の教師に縁談を持ちかけてどうするんだと思いもする。
長兄はいずれ松原を継ぐが、俺は関係ない。まあ関係ないといっても松原の名がなくなるわけではないから、とりあえず松原と繋がりを持ちたい輩からの縁談は後を絶たないのだろう。
姉貴にしても婿入り希望の縁談は多いようだし。
「貴方だってこのまま教職に就いているつもりはないのでしょう? 先のことを考えているのなら、女性関係もそろそろきちんとしなさい」
反論の余地もない正論。
口調は優しいが、それだけじゃない厳しい色が含まれている。
「……善処します」
松原家の中で一番権力を持っているのは―――お袋だったりする。
触らぬ神に祟りなし、と唯々諾々と頷けばお袋は目を細めた。
「その手形の女性でもいいから今度連れていらっしゃい? 貴方に抵抗するなんて、とても良識のある女性なんでしょうね」
「………」
いったいそれはどういう意味だ?、そう思うも訊けるはずもなく、曖昧に笑うしかできない。
実優をここへ連れてくるなど無理でしかない。
連れてきたらお袋や姉貴に猫可愛がりされ良い玩具にされそうだ。
この二人は可愛いものに目がなかったりするから―――。
「晄人」
「はい?」
我に返ってお袋を見る。
俺を見ていたお袋は、いやに機嫌のよさそうな表情になっていた。
珍しく楽しげに笑っているお袋に呆気に取られていると、お袋はもう一度今度は″命令″した。
「すぐでなくていいから、いつか連れて来なさい。その女性を」
俺をひっぱたいた女にそんなに興味があるのだろうか?
連れてくることはないだろうと思いながらも、俺は「いつか、紹介します」と、心にもないことを言ったのだった。