#06 ファーストキス


日曜日、私はベッドに並べた洋服をじっと眺めていた。
いまは朝の10時。
12時に待ち合わせをしている。―――晄人と。
付き合いだして5日目。今日は初めてのデート。
金曜日の放課後、帰り道晄人が誘ってくれたときのことを思い出すとそれだけでドキドキしてしまう。
『陽菜、週末はどうするんだ?』
『週末? 土曜はなっちゃんと遊ぶ予定だけど』
『俺も土曜は用事あり。じゃあ日曜、どっか行くか』
『………え?』
『なんだよ、変な顔して。行かない?』
『……あの、それって……デート?』
並んで歩いていた足を止めて、ぽかんとして訊いてしまっていた。
そんな私を見た晄人が吹き出した。
『彼氏と彼女が出かけるのを一般的にデートっていうはずだけど?』
そして少し悪戯気に目を細める。
『どうする?』
首をひねって私をニヤッと見つめてくる晄人に、大きく首を振った。
『行く』
晄人はまた吹き出して、『必死すぎ』と言って私の手を引いた。
顔を赤くしながら、それから日曜日どこに行くかを話して帰った。
ちょうど私と晄人と見たい映画があって、それが同じだったこともあり、それを見に行くことになった。
映画は3時からでそれまでランチして買い物でもしようか、という話に落ち着いた。
デートなんて、何年ぶりだろう?
中学生の頃以来だから本当に久しぶり。それに相手が晄人だなんて、緊張して昨日はろくに眠れなかった。
なっちゃんの家に遊びに行ってもたまに上の空になっちゃって、なっちゃんから笑われたりもした。
「ひーなー」
ベッドの前で変わらず固まったように洋服選びをしていると、ノックもなしに部屋のドアが開いた。
ちょっと高めの声で私の名を呼んで入ってきたのは3個上、大学生のお姉ちゃん。
「なに、あんたまだ選んでるの?」
お姉ちゃんには彼氏ができたこともデートのことも、言ったわけじゃないのにすぐにばれてしまった。
私は顔に出やすくってわかりやすいかららしい。
「うん……。選びきれない」
晄人の私服姿は見たことないけど、絶対にオシャレだろうってことはわかる。
卑屈になるつもりはないけど……いたって普通というよりちょっと地味な私が持っている洋服でどれを選べばベストなのかわからない。
学校で『普通』だとか『あれが松原くんの……?』とか付き合ってから陰で言われたのは知ってるし、実際自分の耳で聞いてもいた。
そう言われるだろうことは覚悟していたし、思ってたほど陰口も嫌がらせとかもなかったから安心もしていた。
だけど、街中で晄人と並んで歩いていいのかな、なんて思ってしまう自分がいる。
「お姉ちゃんが選んであげるよ。これで、いいんじゃない?」
お姉ちゃんはざっと洋服を見渡すと花柄のシフォンワンピを手に取った。
つい最近、なっちゃんと買い物に行ったときに買ったワンピース。
「……うーん」
「可愛いし、似合ってたよ?」
「……洋服可愛すぎない?」
「はぁ?」
意味分かんない、って感じでお姉ちゃんは私を見る。
「デートなんだから可愛くして当然じゃない。それに派手な服じゃないし、普通でしょ」
「……うん」
普通は普通なんだけど。バーゲンで買ったものだし、珍しい柄というわけじゃない。
「なんか……」
「なによー?」
「恥ずかしくない?」
はぁ?、とまたお姉ちゃんは声を上げて、呆れたようにため息をつく。
「あんたまさか私服姿を見られるのが恥ずかしいとか言うんじゃないわよね」
「………」
図星、だったりする。
馬鹿馬鹿しって自分でわかってるんだけど、制服姿でしか会ったことがないから変に緊張している部分があった。
「陽菜って、バカだよね?」
「……わかってるよ」
信じられないとでも言いたそうなお姉ちゃんから視線を逸らしてベッドに並べていた洋服をクローゼットに片づけた。
「まあ大好きーなイケメン彼氏くんとの初デートだから緊張してるんだろうけど? 私服姿見られるくらいでガタガタ言ってたら長続きしないよ? 陽菜って、なんか変に気強かったり気弱かったりするんだから」
お姉ちゃんはまたため息をついて私の腕をつかんだ。
「ほら、私の部屋おいで。メイクしてあげるから」
「……うん。―――ありがとう」
内向的な私と違ってアクティブなお姉ちゃん。
「陽菜、私に似て可愛いんだからもっと可愛くして、イケメンくんノックアウトしちゃいなよ?」
明るく笑うお姉ちゃんに、私も自然と笑っていた。
「お姉ちゃんに、似て?」
「そうよ〜」
悪びれることないお姉ちゃんのお陰で、ほんの少しだけ緊張がほぐれていっていた。





***





待ち合わせの場所についたのは12時より15分も前だった。
お姉ちゃんにメイクと髪を巻いてもらったりしているうちにあっという間に時間は過ぎてしまって、慌てて家を出たけど早く到着してしまった。
でも待たせるよりは待つほうが全然いい。
待ち合わせは駅前。
日曜日とあっていつも以上に人が多い。
道行く人の流れを眺めながら、ずっとドキドキしている心臓をなんとかなだめようとするけどうまくいかない。
洋服変じゃないかな、メイク大丈夫かな、髪型似合ってるかな―――。
そんなことばっかり頭の中をぐるぐる回っている。
軽く吐きそうになってしまうくらい緊張していた。
何度もケータイを開いては時間を確認する。でも1分も経ってなかったり、我慢して見るのをやめても数分も経たずにまたチェックしてしまったり。
12時までの十数分がひどく長く感じた。
ドキドキが止まらない中、私の肩が叩かれたのは12時少し前だった。
ぽんと、後ろから乗せられた手。
「お待たせ」
その声がしただけでまた一層ドキドキしてしまう。
振り返って晄人を見て、心臓が止まるんじゃないかなってくらいに動悸が激しくなって赤面してしまった。
「あ、うん」
目が合わせられなくって視線をそらせてしまう。
黒のVネックのTシャツに、チャコールグレイのロールアップパンツ。手首にはシルバーのちょっとごつめのブレスレットをつけている。
無造作にセットされた髪に、知らなかったけどピアスが耳にあって。
全体的にシンプルなんだけど、カッコイイ。
やっぱり晄人は目立つ人なんだと思う。
その辺を歩いている女の人たちがチラチラ見ているし。
「だいぶ待った?」
制服姿とはまた違って、カジュアルな晄人の姿にドキドキが止まらなくって「ううん」と返事する声も小さくなってしまう。
「どうした?」
不思議そうにうつむく私の顔を覗き込んでくる晄人。
カッコよすぎて目が合わせられないんです、なんて恥ずかしくって言えるはずもない。
「なんでもないよ」
視線を泳がせながら小声で返すと、少しして「ああ」と笑いを含んだ声がした。
「俺がかっこよくって惚れなおしたわけだ?」
ずばりそのままを言う晄人はニヤッと笑ってる。
普通だったら俺様な発言だと思うけど、そんなセリフさえ様になってしまう晄人がちょっとだけ恨めしい。
なんて返事をすればいいのか迷って、結局素直に頷くと晄人が吹き出した。
「……ひどい」
ゲラゲラ笑ってる晄人にムッとすると、すかさず晄人が私の手を握った。
「可愛いなと思っただけだよ」
言いながらもやっぱり笑ってる晄人は空いているほうの手で私の髪に触れてきた。
「似合ってる」
ふ、と目を細めてそんなことを言われたら、もうなにも言えるはずない。
顔が熱くなりすぎて、緊張しすぎて、ドキドキしすぎてフリーズしかけてる私にまた晄人は吹き出して手を引っ張ると歩き出した。







「ここ、結構うまいんだ」
とりあえず何か食べようとなって、食べたいものを訊かれたけど答えられなかった私を連れて晄人は一軒の可愛らしいフェアリーというお店に連れていってくれた。
カラン、とドアチャイムがなる。
白を基調とした店内には観葉植物やプランターがバランスよく配置されていた。
テーブル席が3つにカウンターだけというそんなに広くない、どちらかというと喫茶店といった感じのお店。
「いらっしゃいませ」
にこやかに出迎えたのはすごく綺麗な20代半ばくらいの女性だった。
「いらっしゃいませ!」
その女性の声に続くようにして幼い声が響く。
カウンターから飛び出してきたのは小学生低学年くらいの男の子だった。
「よう、アキ」
よく来るのか晄人はその男の子の髪をくしゃくしゃっとかきまぜる。
「やめろよ、あきと!」
ムッとしたように口を尖らせる男の子はさっきの女性の息子なのだろう、まだ小さいのに母親と同じく綺麗な顔立ちをしている。
「いいじゃ、同じ"アキ"同志」
「いみわかんねーよ!」
うざったそうに晄人を睨みつける"アキ"くんは私をちらっと見ると、可愛らしい笑顔を浮かべた。
「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」
メニューを片手に席へと案内してくれる。
晄人は楽しげに笑いながら私と一緒に席についた。
アキくんは私にメニューを渡してくれて日替わりランチの内容を教えてくれた。
料理やサービスでついているデザートの説明を詳しく教えてくれる。
その一生懸命さが可愛らしくて頬が緩まる。
「じゃあ私、そのランチで」
「俺も」
「はい! かしこまりました」
きちんと伝票を書いてお辞儀ひとつするとアキくんはカウンターへと戻っていった。
小さな後ろ姿が愛らしい。
「可愛いだろ、アイツ」
テーブルに片肘ついて晄人が笑う。
「うん。いくつ? 小学生?」
「いや、まだ幼稚園。たしか……年中じゃないかな」
「そうなんだ? しっかりしてるね」
「だろ? ちなみにあいつ俺の従弟」
「えっ、そうなんだ」
驚いたけど、ちょっと納得してしまう。
やっぱり血筋的に美形なんだなぁって思ってしまった。
カウンター奥のキッチンには男性が一人調理している。あれがアキくんのお父さんなのだろうか。
優しそうな感じの人だった。
それからアキくんがお水を持ってきてくれて、それを飲みながら晄人がアキくんにいろいろ話しかける……というよりちょっかいかけていて。
めんどくさそうにアキくんが晄人をあしらっているのが可笑しくて笑ってしまっていた。