#05 変わる世界

西宮さんにあの日言われたことが甦る。
『"好き"になったものはしょうがないと思うけど、深追いはしないほうがいいよ』
『松原くんは私たちが相手にするには性質が悪いのよ』
彼女は助言だと言っていた。
私はそのとき晄人に好きだと告白することはない、と伝えたのだ。
なのに、いまこうして私は晄人の手を握っている。
なんとなく後ろめたさを感じて床に視線を落とした。
「すぐ終わるから、気にするなよ」
私が緊張していると思ったのか晄人は優しく声をかけてきた。
「……ん」
顔を上げてぎこちなく笑い返す。
そしてすぐに西宮さんは私たちのところにやってきた。
「おはよう、松原くん」
「ああ」
相変わらず綺麗に手入れされてる髪にばっちりメイク。
にこにこした西宮さんは晄人を見て、私を見た。
「榊原さんも、おはよう」
「……おはよう」
とくに表情を変えずに笑顔のままの西宮さんに少しだけほっとする。
あからさまに白い目で見れるかも、と心配だったから。
「お前ら友達だったか?」
不思議そうに晄人が私と西宮さんを見る。
どきりと心臓が鳴った。だけど西宮さんはけろりとした表情で、
「この前委員会一緒になったでしょ。私、可愛い子のチェックは忘れないの。だからこの前ちょっとお喋りしたのよね」
と、私に笑いかけてきた。
"可愛い"と"チェック"っていうのがどういういい訳なのかよくわからなかったけど、西宮さんの言葉には嫌味だったり裏があるような感じはまったくなかった。
それにお喋りしたのは事実だから、「うん」と頷く。
ふうん、と晄人は自分から聞いたわりにどうでもよさそうに相槌を打った。
……というか。
晄人と西宮さんが意外にフレンドリーなのに正直驚いていた。
ファンクラブ会長と、その対象である晄人。
もっと西宮さんは晄人にたいしてドキドキしたり顔を赤らめたり、そんな態度をするのかなって思ってた。
でも西宮さんは晄人を前にはしゃぐ様子も、テンションが上がってる様子もない。
「それで、榊原さんと付き合うっていう報告?」
「ああ。ここに来るまで手繋いできたしすぐ噂はまわるだろうけど、適当に治めてくれ」
「了解。モテる男は大変だね」
「ま、イケメンの宿命だな」
「それ自分で言わないほうがいいんじゃない?」
軽口をたたき合う二人はどこからどうみても友達っていう感じ。
呆気に取られてたら晄人が繋いでた手をぎゅっと握ってきたから視線を向けた。
「もしなんか嫌がらせとかされたら、すぐに俺か西宮に言えよ? 女って怖いからな。俺のこと別に好きとかじゃなくってもやっかみで絡んでくる場合もあるからさ」
晄人の言ってることはよくわかる。
人気のある晄人に彼女ができて、もしいまそれが私じゃなかったら、私はきっと理不尽にも嫉妬せずにはいられないだろうし。
「そうそう。でも安心して? ファンクラブは松原くん応援団だから、その彼女は私たちの仲間よ。ちゃんと守ってあげるから」
続けて、にっこりと西宮さんがほほ笑んで言った。
「……つか、応援団ってなんだよ。それに西宮、お前の言葉寒い」
白々とした眼差しで晄人がため息をついて、そんな晄人を西宮さんはスルーしてただ笑って、そして私をまっすぐ見つめた。
「がんばってね、榊原さん」
―――……なんだろう。
なんとなく、その言葉はそれまでと違って妙に意味深に聞こえた。
嫌がらせがあるかもしれない、付き合っていくうえでの周りに対することにじゃなくって、私と晄人の仲に対して向けられてる言葉のように感じた。
そこでちょうど予鈴が鳴った。
「じゃ、西宮、よろしくな」
「はーい」
ばいばい、と西宮さんは私に手を振るから、私も手を降り返した。
晄人と一緒に私の教室まで戻る。
やっぱり、西宮さんは本当は……私が晄人と付き合うことを良く思ってないのだろうか。
「陽菜、大丈夫か?」
ぼうっとしていたら晄人の視線を感じて慌てて笑顔を作る。
「う、うん。なんか晄人と西宮さんって仲良いんだね」
とっさにそんなことを言ってしまってた。
でもそれも気になっていたこと。
「ああ」
私の教室の前まで来て立ち止まる。晄人はふっと笑って首を傾げた。
「ヤキモチ?」
「……え? え!? ち、ちがうっ」
「違うのか?」
「…………違わないけど」
正直に言えば親しく話していた二人に戸惑いと同時にヤキモチというか羨ましく……思った。
顔が赤くなるのを感じながら、ニヤッと笑ってる晄人から視線を逸らす。
「西宮は中学からの同級生。3年ときは同じクラスだったしな」
だからそれなりに親しい、と説明する晄人にすぐ顔を上げてしまう。
「クラスメイト!?」
「そう」
知らなかった。
だからあんなに気軽に話してたんだ、と納得できた。
結局気にしていたのか心がほっとするのを感じる。
そのとき廊下の向こうから先生が歩いてくるのが見えた。
「んじゃ、俺戻るな」
「うん」
「あ」
自分の教室へ戻ろうとしていた晄人が忘れてたというように私を振り返る。
「昼飯、どうする?」
「え?」
「一緒に食う?」
「………食べる」
「了解。じゃあまた昼に」
軽く手を上げて今度こそ晄人は去っていった。
本鈴が鳴りだして私も教室に入って席に着く。すぐに先生も入ってきてホームルームが始まったけど、私はずっと上の空だった。
お昼……一緒に食べれるんだ。
誘ってくれたことに驚いて、でも嬉しくっていまからお昼が待ち遠しくてたまらなくなった。
でも―――ホームルームが終わってなっちゃんが私に駆け寄ってきて、しまった、って思い出した。
毎日なっちゃんとお昼一緒に食べているのに。
「ねぇ! 松原くんと付き合ってるの!? ……ていうか、どうしたの?」
晄人とのことを聞こうと興奮してるなっちゃんに、お昼どうしようって悩んでたら不思議そうにされた。
それで晄人と付き合いだした経緯を簡単に話して、お昼のことを言ったら。
「いっしょ食べてきなよ。せっかく付き合えるようになったんだし、もったいないしさ。私はミコたちと食べるから気にしなくっていいよ」
なっちゃんは笑顔でそう言ってくれた。
そして「よかったね」って頭をぽんぽんと撫でてくれる。
なっちゃんに反対されたらとか不安に思ってたから、満面の笑顔をくれるなっちゃんにちょっとだけ目頭が熱くなった。
「ありがとう、なっちゃん」
頬が緩む私に、なっちゃんは、
「あとでゆっくり松原くんとのこと聞かせてね!」
と悪戯っぽく目を輝かせて笑った。
うん、と頷く。私たちの会話をクラスメイトの女の子たちが興味津津に聞いてるのは感じていたけど、なっちゃんがいてくれるからそれもあまり気にせずにすみそう。
そうしてドキドキしながら過ごす時間はあっというまで、気づけば4時間目の授業の終了を告げるチャイムが鳴っていた。






***






昼休み、お弁当袋を出してると晄人が教室に来た。
振り向かなくっても、呼ばれなくってもすぐにわかる。
まわりの女の子たちがざわめきだすから。
「松原くんだぁ」
「ねーやっぱ、榊原さん?」
「付き合ってるんだぁ」
「いいなぁ」
そんな声が聞こえてきて、何とも言えない気持ちになってお弁当袋をぎゅっと握りしめてたら名前を呼ばれた。
「陽菜」
ハッとして振り返ると、教室の後ろのドアのところに立った晄人が小さく笑いながら手招きした。
「早く来いよ」
私に向けられる笑顔と声。
それだけで簡単に私のテンションは上がってしまう。
ひらひら、ニヤニヤ笑ってるなっちゃんに「行ってくるね」と手を振って晄人のもとに走った。
「弁当?」
「うん。晄人は?」
「俺も弁当。あのさ、食べるの屋上でいいか? ちょっと暑いかもしれねーけど」
ちらり視線を落としたら確かに晄人の左手にはお弁当が入ってるらしい小さなライトグリーンのトートバッグが握られている。
なんとなく似合ってない可愛いバッグに思わず顔が緩みながら頷いた。
「うん、いいよ。でも屋上って入れるんだね?」
「ああ。まぁいまから行くとこは秘密だけどな?」
まわりがうるせーから、とぼやく晄人。
確かにお昼ご飯くらいは静かに食べたいだろう。
たまに中庭で片瀬くんと食べているときはかなり目立ってて、騒がれてたし。
「……あ。片瀬くんは?」
そういえば、と思い出して晄人を見上げると、途端に嫌そうな表情になっている。
「あー……悪いけど、あいつも一緒。ごめんな?」
だんだんと教室から離れていって、準備室なんかがあつまった校舎のはずれのほうへと進んでいく。
「ううん、大丈夫だよ? 逆に私、お邪魔じゃない?」
一番端まで来たところにある階段が目当ての屋上への道らしい。
晄人は私の手を繋いで昇りながら失笑した。
「どうかんがえても智紀が邪魔だろ。あいつうるさいから無視していい」
あんまりな言われようだけど、それだけ仲が良いってことなんだろうな。
なんだかんだいつも一緒にいる二人だから、微笑ましく感じた。
「それより陽菜はよかったのか? なっちゃん、だっけ?」
「うん。ほかの友達と食べるって」
「ならいいけど。あれだったら連れてきてもいいからな」
そう気遣う晄人は本当に優しいと思う。
基本的に優しい人なんだろうけど、"彼女"という立場になったとたんにもっと優しくなった気がする。
それが彼の"彼女"への扱い方なんだろうか。
これまでも―――彼に告白してきて付き合うようになった子に、優しくしてたんだろうか。
私だって所詮彼の過去の女の子たちと何ら変わりない立場だっていうのに、嫉妬してしまう自分がいた。
「……ありがとう」
黒い気持ちを奥底におしやって、笑顔を向ける。
一瞬晄人は目を眇めて私を見つめた。そして何故か頭をぽんと撫でてくる。
どうしたんだろう、って思ったけど、伝わる暖かさにほっと心が緩んだ。
そして屋上に辿りつく。重いドアを開けると、とたんに強い日差しと熱気。
眩しさに目を細めていると晄人は「暑……」と呟きながら私の手を引っ張って屋上に出ていった。