#04 友達のライン

「おいしい」
笑う私に、彼も微笑みながら残りのチョコを食べていた。
今日は会うことはないだろうって思っていた彼と、こうして二人でいれるなんて信じられないくらいに幸せ。
ずっとこうしていたいっていう気持ちが抑えきれないくらいに溢れてくる。
「―――……榊原サン? あんまり見つめられると照れるんですけど?」
気づかないうちに彼を見つめてしまっていたらしい私に、彼がからかうように目を細めた。
「えっ」
恥ずかしさに顔を赤くしてうつむくと、彼の小さく笑う声が聞こえてくる。
「まぁ、俺がいい男だから見惚れる気持ちはわかる」
冗談っぽく言う彼に私も思わず笑みがこぼれて―――。
見上げた視線と、彼の視線が交わって、私は吸いこまれるように今度は彼の目を見つめてしまってた。
きっと彼はなんとなく、だろうと思う。
目が合ってお互い見つめ合っているような状況になってしまったのは単なる偶然だと思う。
彼の目がまた悪戯に輝き、その口元がたぶんさっきと同じようにからかいの言葉を紡ごうと開きかけていた。
「―――……の」
だけど、それより先に私の唇が動いていた。
「……え?」
彼が少しだけ首をひねる。
私は、私が発した小さすぎる呟きに驚いていた。
いま私―――。
"好き"だと、言おうとした。
ありえない。
なにをしているんだろう。
とっさに口元を押さえる。
彼はそんな私を怪訝そうに見つめた。
「あ、の……私……」
なんでもない。
そう、言おうと思うのに唇が動かない。
どうしたんだろう。
気持ちをいうつもりなんて全然なかったのに。
どうして―――。
「あの……」
ただ、私はまた―――彼の瞳を見たいって、思った。
彼の目に映りたいって、思って。
またこうして二人で話したいって、思って。
彼のいろんな表情を見ていたいって、思って。
「――――私」
『松原くんは私たちが相手にするには性質が悪いのよ』
頭の端に西宮さんの言った言葉が引っかかったけど、すぐに消え去って、呟いていた。
「………松原くんが好き」
私の、ほんとうの気持ち。
だけど……そう告げた瞬間―――彼の顔から笑みが消えた。
ほんの数秒前まで和やかだったはずの空気が、いっきに冷えたような気がした。
私は呆然と彼を見つめる。
一瞬笑みを消した彼は、いまはまた微笑を浮かべている。
でもそれは、いままで見たことがない笑みだった。
明らかにそれとわかる―――作り笑い。
そのすべてに私の想いに対する彼の答えを知る。
そして急激な不安に襲われて、血の気が引いていくのを覚えた。
知り合い以上、友達未満だったのかもしれない私と彼。
もしかしたら友達のラインに立てていたのかもしれない私。
だけどいまさっきの私の言葉ですべて崩れたんだって、知る。
「そう。ありがとう」
彼は社交辞令のように笑顔を私に向けた。
ありがとう。
その言葉で話は終わり、というように彼がゆっくりと立ち上がった。
「んじゃ、そろそろ帰るかな」
「………」
「榊原さんも、早く帰れよ?」
優しい、けど、いままでとどこか違う口調。
私が想いを告げなければ彼は『一緒に帰るか?』って言ってくれてたかもしれない。
「さよーなら」
「松原くん」
軽く手を上げる彼。その手を、掴んでいた。
自分にこんな行動力があるなんて驚いたけど、いまここで別れたらもう彼と喋ることはないような気がした。
「なんだ?」
相変わらず笑みは浮かんでる。まるで一線を引くような、笑みが。
胸が痛い。
彼に拒絶されてるってわかるから、痛くて痛くてたまらない。
「好き………」
苦しくて苦しくてたまらない。
でも、きっと言わなかったら後悔する。
このままなにもなかったように彼との接点がなくなるなんて耐えきれない。
「お願い……私と付き合って」
勇気を振り絞って壊れそうなくらい動悸が激しいのを必死で抑えながら、言った。
でも彼の目を見ることはできなくって、うつむいてギュッと彼の手に触れる自分の手に力を込めた。
そっと私の手に手が重なって、彼の手から離される。
それに涙が出そうになるのをこらえていると、ギシリと軋む音がした。
すこしだけ視線を上げると彼が長机に寄りかかっていた。
「まさか」
彼の声がして、恐る恐る彼を見る。
彼は窓の方を見ていた。さっきまでの作り笑いは消えて、ほんの少し口角があがっている。
「告白するとは思わなかったな」
窓の外は明るい。今日は晴れで、夕方なのにまだまだ外は暑そうだった。
「……私は……」
彼の言葉の意味するところはなんなんだろう。
まるで私が彼のことを"好き"だっていうことには気づいていたとも取れる。
同時に、告白する勇気なんてないと思っていたと言われているような気がして、胸が痛んだ。
実際、言うつもりなんてなかった。
「気づいたら、好きに……なってたの」
だけどもう告白してしまった。
取り返しがつかないのなら、後悔しないようにしたい。
「松原くんが私のこと……好きじゃないってわかってる。でも……それでもいい」
言いながら、『ああ』と思った。
私のことを想ってなくってもいいから。
そう、言う。その意味が指すのは、噂で聞く女の子たちの話と、この前の莉奈ちゃんとなんら変わらないって気づいた。
"一度だけでもいいから抱いてもらう"。
そこに彼の愛情がなくっても。
"好きじゃなくてもいいから付き合って"。
たとえ彼の愛情がなくっても。
全部―――同じことだ。
それはひどく自分が、彼に対して失礼なことをしているような気がした。
いらないといいながら、欲しいとねだる自分がひどくあさましいような気がした。
「俺、たぶん。いや絶対」
ぎゅっと、自分の愚かさに手を握り締めてると、彼のいつもと変わらない声が響く。
目が合って、彼は私が告白する前とかわらない笑みを浮かべて言った。
「付きあっても榊原のこと、好きにならないよ」
ものすごく、残酷な言葉にすう、っと息を吸いこんだまま止まりそうになった。