#04 友達のライン

「榊原!」
それは担任の篠田先生。ちょうど階段のところでばったり出くわした。
「ちょうどよかったよ! お前いまヒマ?」
篠田先生は手に分厚いプリントの束を持っている。
私は隣のなっちゃんと視線を合わせた。
ヒマっていえばヒマだけど、でも今からもう帰るし。それになっちゃんは今日バイトは休みだけどこれから彼氏とデートの予定。
「いまから帰るんですけど」
途中までだけど、なっちゃんと一緒に帰るから出来るなら用事は押し付けられたくない。
「学級委員長! そんな連れないこというなよ〜」
「………なんですか」
思わずため息が出てしまう。
学級委員になってからなにかと雑用を押し付けられることが多くなっていた。それも全部この篠田先生からだけど。
「これさ、悪いけど生徒会室に届けてくれないか?」
生徒会室は今いる場所とは真逆の方向にある。コの字型の校舎で今私がいるのは一番右端。生徒会室は左端の三階にある。
「頼むよ、な! 学級委員長!」
「え? ちょっ、篠田先生!!」
まだ返事もしていないというのに篠田先生は私にプリントの束を押し付けると、「じゃーな〜」と呑気に手を振って階段を走り降りて行った。
その逃げ足の速さに呆気に取られてしまう。
「先生が校舎内走っていいのかね?」
なっちゃんは呆れたように苦笑していた。
「それじゃ、行きますか」
そして当たり前のように方向転換しようとするから、慌てて呼びとめた。
「なっちゃん、いいよ! 私届けてくるから、先帰ってて?」
「いっしょ行くよ。生徒会行くだけでしょ?」
「そうだけど、結構遠いし、宮くんと待ち合わせしてるでしょ?」
宮くんっていうのはなっちゃんの彼氏。
宮くんはうちの高校とわりと近いところにある男子校に通ってる。だから宮くんとの待ち合わせはいつも駅前の本屋さん。
せっかくのデートの日に遅れるようなことをしてほしくない。
「平気だよ。まだ余裕で間にあうから」
「そんなこと言って、いつも宮くんの方が先に着いてるよ?」
「まぁそうだけど」
「だから、先帰って? 私も提出したらすぐ帰るし。ね?」
押し切るようにしてなっちゃんの背中を押すとなっちゃんは困ったように眉を下げた。
「んー、わかった。じゃあ先帰るね」
「うん。また明日。デート楽しんできてね」
「了解。じゃーね、陽菜」
手を降り合って、階段の踊り場でなっちゃんと別れた。
私は手にしてるプリントの束を抱え直して、ため息とともに歩き出した。
学級委員なんてなるんじゃなかったな。
これからも篠田先生にこき使われそうな気がして、またため息が出てしまった。
そして生徒会室まで辿りついて、そのドアをノックする。
でも中から反応はない。
「……失礼します」
誰もいないんだろうか?
そっとドアを開けて、中を覗き込んだ。初めて入る生徒会室。
ホワイトボードと長机と、端に職員室にあるような机と、パーテーション。
なかなか広い生徒会室を眺めながら足を踏み入れた。
誰もいなかったから、迷ったけど足をすすめていって長机にプリントが積まれているのに気づいた。近づいてみたら私が持っているプリントの束と同じものだったから、そこに重ねて置いた。
これで任務は完了。さぁ帰ろう―――と後ろを振り返ろうとした瞬間。
誰もいる気配がなかったのに、ポンと肩を叩かれ、驚きに「きゃっ!!」と叫んでしまった。しかも後退りしようとして足がもつれて、バランスが崩れてしまう。
ぐらっと身体が傾いて転ぶ、って思ったら―――。
「おい」
ぐっと腕を掴まれて、引き上げられた。
転ばずに済んだことにホッとしかけて、すぐに聞き覚えのある声に息が止まりそうになった。
「大丈夫かよ」
笑いを含んだ声に顔を上げると、予想通りの声の主……松原晄人が目の前にいた。
「……びっくり……した」
ものすごく動揺して声が上ずってしまってる。
誰もいないと思ってたから驚いたのは事実だけど、それ以上にいたのが彼だったことに心臓がバクバク鳴っている。
「驚きすぎ」
笑う彼の手が私の腕をつかんでいることに顔が赤くなってしまう。もちろんそんなこと彼は気づくはずもなくて、あっさりその手は離れて行った。
残念な気持ちを抑えながら顔の赤さを誤魔化すように笑顔を作る。
「だって、誰もいないと思ってたから。どこにいたの?」
「ああ。向こうにソファーがあるんだよ」
彼はそうパーテーションのほうを指さした。
パーテーションの向こうも奥行きがあるみたいだから休憩スペースのようになっているのかもしれない。
「そうなんだ」
「そうなんです。寝てたらどっかで聞いたことがある声が聞こえてきたからさ」
声をかけようとしたら榊原サンが驚いたわけ、と彼はからかうように口角を上げた。
だって、とびっくりした理由をまた伝えながら、頬が緩むのを止められない。
休んでいたのに私にわざわざ声をかけてくれたなんて。
嬉しくて胸が締めつけられた。
「プリント、ここでよかったんだよね?」
長机の上に置かれたプリントの山を指さす。彼はそれを確かめるように覗きこんで頷いた。そしてそのまま近くにあるパイプ椅子に座ると大きく欠伸をした。
うっすらと目の端に涙をにじませる姿が本当に眠そうで、可愛いなんて思ってしまう。
「眠そうだね?」
プリントを持って来ただけだから用事は終わり。でももう少し話していたい。
もう少し、いま二人だけのこの時間を継続させたい。
生徒会室のドアは開いたままだし、そのうち誰かくるかもしれない。彼の親友の片瀬くんとか、来る予定なのかもしれない。
だからそれまでのあいだでいいから、話が続けばいいのに。
「あー……昨日は夜更かししたからな」
プリントの乗っている長机の端に少しだけ寄りかかるようにして首を傾げる。
「寝てないの?」
「2時間は寝た」
「2時間?」
「寝かせてくれなくってさ」
ニヤっと、意味ありげに片肘で頬杖ついた彼が私を見上げた。
その言葉の意味を考え、心臓が嫌な音を立てる。息が止まりそうになった。
だけど直後―――。
「智紀のヤローが」
続いて聞こえてきた言葉に、ポカンとしてしまった。
「え、………松原くんと片瀬くんって付き合ってたの……!?」
衝撃の事実に半分叫ぶように言ってしまう。
今度は松原くんがポカンとして、そして大きな声で笑い出した。
「そんなわけねーだろ! 昨日は智紀んちに泊まり行ってただけだよ」
ゲラゲラとお腹を抱えて笑う彼に羞恥で顔が真っ赤になってしまう。
彼は笑いを机に突っ伏すようにしてしばらくの間笑っていた。
「……にしても、意外にエロいんだ、榊原チャンは?」
まだ笑いながら、でも少し落ち着いたらしい彼が変に艶っぽい眼差しを向けてくれる。
「は? え、なんで?」
「だってさー、"智紀に寝かせてもらえなかった"なんて言ったあとに"付き合ってる"のかなんて聞くってことは変な想像しちゃったわけだろ?」
赤くなってた顔がさらに熱を持つのを感じる。
彼の言うことは間違いなく図星。
彼の言葉を聞いて、誰か知らない女の子と一晩過ごしたのだろうか、と思ったのだから。
いい訳するにもなんて言ったらいいのか分からずに俯いてしまった。
「……そういうんじゃないよ」
それだけをようやくの思いで呟く。
「すっげぇ顔真っ赤」
何度か彼と話してて気づいてたけど、たまに松原くんは意地悪だ。意地悪っていうかからかうのが好きそうっていうか。
でもたぶんそう言うところも人気あるのかもしれないけど。
「そういえば御利益、あった?」
笑ったまま彼は長い脚を組んで、意味ありげに目を細めた。
「……御利益?」
「5円×9枚イコール始終ご縁、だろ?」
「……あ、それってやっぱりそう言う意味?」
ハンカチと一緒に入っていた9枚の5円チョコ。その意味はなっちゃんが言ってたのと同じだった。
「そ。たまたまコンビニで5円チョコ見かけてさ、なんだか懐かしくって買ったんだよ。1枚はセコイなと思ったら9枚しかなくってさ。9枚分で45円だし縁起いいかなと思って」
彼はそう言って、美味しかったか?、なんて屈託のない笑顔をくれる。
本当に何の意味もなかったんだ、って当たり前なのに落胆してる自分がいた。
「美味しかった……。御利益はわかんないけど」
「ふーん、そりゃ残念。でも榊原、モテるし。縁は多そうだけどな」
「………えっ?」
なに言ってるんだろう?
私モテないし。というか、なんで私に彼氏いないの前提に話してるんだろう。
そんなに男っ気なさそうなのかな……。
また少しショックで気分が沈む。
「もてないよ」
拗ねたように呟いてしまってた。
「まー、俺ほどはないだろうけど少しはモテてるんじゃないのか? 俺のクラスの青木ってやつが榊原のこといいって言ってたぞ。彼氏いないらしいから狙おうかな、ってな」
―――青木って誰。
興味もないし、ましてや彼の口からそんなこと聞きたくもなかった。
要は彼にとって私は"恋愛対象外"だということなんだから。
「いい。知らない人だし」
声が強張ってしまってる。だけどそれをどうにかできるはずなんてなく、楽しかった気持ちはいまは暗く変化してしまってた。
理不尽にも、彼に対して"馬鹿"と言いたくなってしまう。
「こういうネタ嫌い? 機嫌悪くなった?」
心配しているとかじゃなくって、ただ私の反応を確かめるように視線を投げかけてくる。
「……別に」
言葉に反して私の態度は悪いものになってる。
俯いて彼のほうを見れないでいる。
そんな自分の態度がひどくウザく感じてしまう。実際、彼だってそう思っているかもしれない。
せっかく彼と二人きりでいるのに空気は微妙になってしまってた。