#03 縮まる距離

「ごめんね、急に」
だけど予想外に普通な声色で西宮さんが続けたからすぐに顔を上げた。
西宮さんは苦笑を浮かべている。
「今日たまたま昼休み榊原さんと松原くんが喋ってるのを見かけて、ちょっと気になって。―――この前、松原くんと一緒に帰ったこともあったでしょ?」
「……え」
「一昨日。大雨の日。私別の車両だったんだけど、偶然見かけちゃって」
私が彼にハンカチを貸した日。彼が莉奈ちゃんとなにかあった日。
西宮さんは彼の噂をどう思っているんだろうか。
噂にのぼっている女の子たちに、こうして声をかけているんだろうか。
ふとそう思った。
「でさ、ピンときたんだ。ああ、松原くんのこと好きなんだなって」
「……私は……」
好き、だけどそれを彼女に言う必要はあるのだろうか?
本人にではなく、別の人にそれを言って、たとえ叶わない想いだったとしても、釘をさされるのはイヤだと思ってしまう。
「余計な御世話だと思うけど……」
近づくな、って言われてしまうんだろうか。
「松原くんはやめておいたほうがいいよ」
―――やっぱり。
「あの、変な誤解しないでね? たぶん私が彼のファンクラブしてるって知ってるとは思うけど。それとは関係ないから」
少しだけ慌てたように西宮さんは手を振った。
「ただ榊原さんの"好き"が"本気"に見えたから、気になって」
それまで抱いていた不安の隣に、困惑が浮かび上がる。
西宮さんが何を言っているのかはわかるけれど、何を言いたいのかはわからなくって真っ直ぐに彼女を見つめた。
西宮さんは改札の方へと視線を向け人の流れを眺めた。でもきっとなにか考えてるのだろう。
その目はどこか遠くを見ているから。
「ファンクラブまで作ってる私がこんなこと言うの変かもしれないけど……。松原くんはやめておいたほうがいいと思うよ」
「それは……」
「"本気"で好きになって付き合ったら、たぶんツライと思うから」
ようやくまた私の方へと視線を戻しながら、西宮さんは困ったような笑顔を浮かべる。
「……私……別に告白なんて」
しない。
できない。
叶わないとわかってるのに、告白するなんて勇気、私にあるはずがない。
「―――……そうかなぁ」
自分のことは自分がよくわかってる。
なのに西宮さんはまるで私がいつか彼に告白するみたいに、呟いた。
「そうだよ……。私、ちゃんとわかってるから。私みたいな平凡な子が彼に似合うはずないし」
自分の首を絞めるような言葉。でも事実だからしょうがない。
自嘲の笑みを浮かべ、近づかないから心配しないでと暗に言うと、西宮さんは少し眉を寄せて首を傾げた。
「そういうことじゃ、ないんだけどね」
だったらなんだと言うんだろう。
西宮さんの意図はどこかはっきりしなくて、理解しづらい。
「ちょっと誤解あるみたいだから言っておくけど、松原くんのファンクラブってさ、松原くんを愛でる会みたいなものなんだよね」
「……愛でる?」
「そ。イケメンだわー!とか、ちょっと喋ってやっぱり声ステキー!とか。なんていうんだろ、ミーハーの集まり? キャーキャーいうのは楽しいけど、ファンクラブに入ってる子は松原くんのことを恋愛対象としては見てないの」
だからね、と安心させるような笑顔を浮かべる西宮さん。
「別に彼が彼女を作っても構わないし、彼に近づく子がいても構わない。いろんな噂含めて、キャーキャー言うのが好きな……うーんちょっとマニアの集まりなの。たぶんファンクラブじゃなくって、それ以外に彼に憧れてる子たちは女の子が彼に近づいたらごちゃごちゃ言うかもしれないけどね」
説明してくれる西宮さんの表情に嘘はなさそうで、彼女に対しての不安が少しだけ薄れた。
それが表情に出てたのか、西宮さんは私を見て小さく笑う。
「"好き"になったものはしょうがないと思うけど、深追いはしないほうがいいよ。これ、助言ね」
「………でも」
「なに?」
「どうして? なんで彼はダメなの?」
人気者の彼だから近づくな。釣り合わない。そういうことじゃなく深追いするなと言われる意味がわからない。
「性質が悪いから」
「え?」
「松原くんは私たちが相手にするには性質が悪いのよ」
あっさりとなんでもないことのように西宮さんは答えた。
それは噂のことを言っているのだろうか。
女遊びが激しいことを。
でもそんなことみんな、知っている。
西宮さんはいまだに真意を理解できないでいる私を見透かしているのか、「話はそれだけ」と切り上げてきた。
「ごめんね、なんだか変なこと言っちゃって」
一歩二歩と改札の方へと向きを変えて西宮さんは足をすすめる。
私は立ち尽くしたまま西宮さんを見ていることしかできなかった。
「榊原さんって真面目そうだから、なんか気になっちゃって。まーでも、人の恋路に口出しなんて余計だよね」
西宮さんのことを知らないから、彼女がどういうひとなのかはわからない。
彼のことを言う西宮さんに悪意はないみたいだったけど、でも私は彼女の言葉に対する言葉をもってなくて、曖昧に笑うしかできずにいた。
「それじゃ」
お互いそれ以上なにも言うことがなくって少しの間を開けて西宮さんはひらひらと手を振ると改札を通って行った。
私は彼女の後ろ姿を見送ってから駅を出る。西宮さん同じ電車に乗るのが億劫で本屋で時間を潰すことにした。
雑誌を立ち読みするけど全然頭に入って来なくて、無意味にページをめくるだけ。
頭の中では西宮さんが言ったことばかりがぐるぐる回り続けてる。
『"本気"で好きになって付き合ったら、たぶんツライと思うから』
『性質が悪いから』
それは、どういう意味なんだろう。
どう考えても彼の噂にある女遊びの悪さが元にあるんだろうってこととしか思えなかった。
いつのまにか雑誌をめくる手は止まってしまってて、それに気づいてため息が出る。
本屋の時計を見ると入ってきてから20分は経過していたから、そろそろ帰ろうかなと雑誌を棚に戻した。
そして出口へと向きなおって―――足早に書籍コーナーに隠れた。
ちょうど自動ドアが開いて二人の高校生が入ってきて、私のいるほうへと足をすすめてくる。
見知った二人は松原晄人と片瀬智紀。
ちょっと前までは全然帰り道に見かけることなんてなかったのに、なんで最近こんなにも遭遇してしまうんだろう。
本当だったら嬉しいはずだけど、さっきの西宮さんの件があって今はなんとなく顔をあわせたくなかった。
二人は私が隠れた列の一つ前の列で立ち止まったことが、二人の話声がその場所で止まったことでわかった。
笑い声を混じらせて二人は談笑してる。
片瀬くんの欲しかった小説を買いに来たようだった。はっきりとした会話は聞きとれなくて、なんとなくな話声だけ。
いつ移動してくるかわからないし、見つかりたくないならもっと他の所に隠れたほうがいいんだろうけど―――たとえ顔はあわせなくっても、声だけは聞いていたかった。
本棚に並ぶ背表紙を意味なく指でなぞりながら棚を挟んで向こう側にいる彼のことを想う。
私と彼の距離は壁ひとつあるまま、これ以上は近づくことがないんだろうな。
昼ハンカチを返してもらって浮かれてたことを思い出しながら自嘲的な笑みがこぼれてしまう。
ハンカチとおまけに5円チョコをもらって。今度会ったときは9枚入ってた意味を訊きたいなんて思っていた。
だけど、やっぱり、もう関わらないほうがいいんだろう。
関わることもないだろう。
重苦しいため息を吐きだしてると、向こう側の二人が動き出す気配がした。
会いたくない、けど顔を見たくってそっと私も動いてみる。
「――――ろ」
「……あ」
二人の声がすぐ近くを通って行く。
「来週ロマンティック誕生日到来だな」
片瀬くんの笑いを含んだ声がはっきりと聞こえてきた。
「なんだよ、ロマンティックって」
呆れた様子の彼と、やっぱり楽しそうな片瀬くんが応える。
「だって晄人、七夕生まれなんて似合わなさすぎんだもんなー」
「うるせー」
……そういえば。
去年の夏休み前、彼のまわりで騒がしい時期があったきがする。
彼の誕生日に女生徒たちがプレゼントをたくさん渡してて―――。
「……誕生日」
ぽつり呟いて彼の方へと視線を向けた。
うんざりしたような表情で彼は片瀬くんに何か言ってて、片瀬くんはからかうような表情をして、二人はレジのほうへ歩いてる。
そして買い終えた二人は本屋から出て行った。
私は雑誌コーナーに戻ってぼんやり雑誌の表紙を眺める。
手に取ったのはメンズファッション誌。
もし―――もし、彼に誕生日プレゼントをあげるなら、なにがいいんだろう?
関わらない方がいいって言われたのに、思いもするのに、そんなことを考えてしまう私はどうしようもなくバカなのかもしれない。