#01 平凡のなかのはじまり。

「蒸し暑いねぇ」
手うちわであおぎながらなっちゃんが空を仰いだ。
どんよりとした曇り空。いまにも雨が降って来そうなグレイの空。
熱さと湿気がすごい。
「梅雨ってもうはいったんだっけ?」
6月を先日迎えじめじめした空気が多くなった気がする。
うちの学校は6月から夏服着用で、半そでだけど蒸し暑さってなんでこう不快なんだろう?
「まだ梅雨には入ってないんじゃない?」
「そっかぁ。梅雨いやだなー」
傘持って行くの面倒くさいし、じめじめするし、濡れちゃうし。
でも紫陽花は好きかもしれない。
なっちゃんと並んで歩く駅までの通学路。季節の花をたぶん植えているんだろう歩道の花壇に紫陽花がきれいな花を咲かせてる。
「でもさ梅雨が明ければ夏休みが来る!」
なっちゃんの言葉に、あと1カ月半もすれば夏休みなんだって思いだした。
「夏休み遊びまくろうね」
海にプールにと指折り数えだすなっちゃんに笑顔で頷く。
夏休みのことを考えると梅雨の時期の憂鬱さも少し軽くなった気がした。
それから他愛のない話をしてなっちゃんと駅前で別れた。
なっちゃんはこれからバイトで、私は駅近くにある本屋さんに寄っていこうって思って。
数学の参考書が欲しいんだけどいいのあるかな?
比較的大きい本屋さんに入って参考書のコーナーに向かう。
店内はひんやりと冷房が効いてて、外のまとわりつくような蒸し暑さが発散された。
参考書コーナーには私以外に二人、男子高校生がいた。
一人はうちの学校の制服で、もう一人は他校の制服。
参考書を選んでいるその二人と同じように私も参考書を物色しはじめたんだけど。
「―――……よ」
さっきからブツブツとうるさい他校の制服を着てる人。
メモらしきものを見ながら参考書を探しているっぽい。でも見つからなくってイライラしてるみたいだった。
そっと横目に見てみる。
明るい茶色の髪。耳に3つついたピアス。着崩された制服。顔は―――かっこいい。
その人は必死で参考書と出版社を呟きながら探してる。
大変そうだな、なんて他人事。前を向き直った途端に目に飛び込んだのは隣にいる人が探している参考書のタイトルだった。
「………」
どうしよう? すごく困ってるみたいだしここにありますよって言ってあげたほうがいいのかな?
でもいきなりありましたよ、って声かけても驚かれそうだし引かれないかな。
参考書をとりあえず手にとって、ちらちらと隣を見る。
まったく見当違いのところを探している困った姿が気の毒で、勇気を振り絞ることにした。
「――――あの」
知らない人に話しかけるのってかなり緊張する。そのせいか声がすごく小さくなってしまった。
だから全然気づいてもらえない。
「……あの!」
もう一度今度は大きめに呼びかけるとその人は私の方を見て、それからキョロキョロ周りを見渡した。
きっと私が誰に声をかけたかわかっていないんだろう。
「あの、これじゃないですか?」
そんなその人に参考書を差し出した。
その人はきょとんとしながら参考書に目を落として、驚いたようにメモと参考書を確認するように見比べてた。
「探してる参考書のタイトル言ってるの聞こえたから……。たまたま目について」
決して不審者じゃないんですよ、っていうことを含めるように言いながら参考書を渡す。
その人は受け取りながら、まだ呆けたように私を見ていたけど少ししてようやく笑顔を見せた。
一見チャラそうな外見をしてるその人の笑顔は意外に屈託なくって可愛いものだった。
「ありがとう」
「いいえ」
私もつられて笑顔で首を振る。
その人はどうしてかまた呆けたように、私を見つめてきた。
―――どうしたんだろう?
参考書を持ったまま固まったその人を怪訝に見かえしていたら、携帯の着信音が響いてきた。
アップテンポのメロディ。あんまり流行りの音楽に敏感じゃない私はなんの曲かわからない。
店内に鳴り響くそれに、慌てたようにその人は携帯を取り出し耳にあてた。
それを見て私は参考書選びに戻る。
「いま本屋。………そう。トモは? ああ、わーった。早く来いよ―――アキ」
2冊の参考書で迷う。見やすいのがいいけれど、解説がちゃんとしているのがいいし。
どっちにしようかな?
パラパラとページをめくって載っている問題なんかもチェックする。
さんざん悩んでたから―――気づかなかった。
「………の」
ちょんちょんと肩をつつかれて、ハッとして顔を上げた。
通話が終わったらしいさっきの人が緊張したような笑顔を浮かべてる。
「はい?」
「あの、えーと……」
チョコレート色の瞳が迷うように揺れてる。何か言いたそうにしてるけど、口をつぐんで。
「……どうかしました?」
不思議に思って訊いてみると、その人は頭をかいて小さくため息をこぼして首を振った。
「いや、あのまじ助かった。これ、ありがと」
参考書を見せて、お礼を言うわりに眉はハの字に下がってる。
「いえ……」
「じゃ……あ」
軽く会釈してその人はレジの方へと去っていった。
………なんだったんだろう?
不思議に思ったけどそのまま参考書選びに戻って、10分くらいかかって1冊に決めた。
それを持ってレジに行ってお金を払って。
自動ドアから見える外の曇り空に、ああ暑いんだろうな、って思いながら外に出て。
何気なく駅とは反対の通学路へと視線を向けて、心臓が跳ねた。
松原晄人が一人で歩いてる。
放課後だし彼だって帰り道だから当然といえば当然なんだけど。それでも一人でいるところをあまり見たことなかったから新鮮で、つい見つめてしまってた。
騒がれるのがわかるほどに綺麗な容姿。
やっぱりかっこいいな―――。
ぼんやり思ってると、後ろから人にぶつかられて我に返る。
本屋の入り口の前で突っ立ってたら邪魔になってしょうがない。
それに知り合いでもなんでもない彼をここから見ていたってしょうがない、から―――私は残念な気持ちをもてあましながら駅へと向かったのだった。