『Limits-6』
その日の夜、樹は馴染みの定食屋にいた。
横にはいつものように悪友司が竜田揚げを頬張っている。
「ひっかし、おまえからメヒくいに、ひっこーなんて」
「……口に物入れたまま喋るな。意味不明だ」
冷ややかな樹の声に、司は大きく喉を鳴らし、口いっぱいに詰め込んでいたごはんを飲み込む。
「だからさー、樹から飯食いに行くの誘ってくるなんて珍しいなーって思ってさー」
いつも俺の一方通行な愛じゃん、と司は樹にとっては気味の悪い笑顔を浮かべて言っている。
「なになになにー、なんかあった? あの可愛い〜生徒ちゃんっと」
好奇の眼差しを向けてくる司。
もちろんそれに返事をするわけもなく、樹は黙って味噌汁をすする。
と、店の古い入り口がガラガラと大きな音を立てて開いた。
いらっしゃい、と店主のあまり大きくない声が響く。
店に客が入ってきただけのこと。なにも気に留めることはない。
だが入り口から大きな足音を響かせやってきた人影が、樹の背後に止まった。
「せ・ん・せ・い」
少し高めのアニメ声。
聞き覚えのある声に樹は眉を寄せ振り向く。そして声の主を認めると一層怪訝に表情を歪めた。
「……木沢?」
高校一年、生徒会役員の木沢ヒカル。よく見知った生徒。
薄いピンクのコートにミニスカート、ニーハイブーツ。髪は学校で見るよりもカールがかかっていて、二つに結ばれている。
いかにも若い、女の子、としかいいようのないヒカル。
樹と司がいる定食屋は夜の繁華街の奥まった場所にある隠れ家的な場所だ。
場所に不似合いすぎるヒカルの出現に、樹は思わず呆ける。
「なにしてんだ、こんなところで」
そう言うと、ヒカルは眉を吊り上げ、あまり迫力のない、だが怒ったような表情で樹に詰め寄った。
「先生に会いに来たんです!! いつもなら学校でなんですけどっ! もう明日まで待ってられなくってぇ!!! もー!!!」
いつもなら、待ってられない、と意味不明でしかないヒカルの言葉。
「俺に? なんで……、っていうか、なんでお前この場所」
「そーんなことはどうでもいいんですっ!!!」
「えー、なんだ〜、もしかしてこんなところまで追いかけてきて告白とかぁ?」
眉をひそめる樹に、興奮気味のヒカル。そんな二人にヘラヘラと笑いながら司が割り込む。
「悪いんですけどっ、ちょっと黙っててもらえますぅ?! 仁科さんっ!!」
ピシャリ、とヒカルが司をにらむ。
「す、すみません……。え……なんで俺の名前……」
司は思わず謝りながらも、初対面なはずのヒカルに名前を呼ばれたことに怪訝にする。
「とりあえずっ!!! マスター! 奥のお座敷借りますっ!! 先生っ! 来て下さいっ!!」
疑問はたくさん湧いてくる。
だがヒカルの有無を言わさない眼差しと、非力ながらも必死に樹の腕をひっぱってくる様子に、樹はしょうがなく座敷へと向かったのだった。
8畳ほどの個室といえば聞こえはいいが、店主が休憩するための居間のような座敷だった。
色あせた畳に、古いブラウン管。大き目の木のテーブル。
お茶もなにもないテーブルを挟み、樹とヒカルは向かい合わせに座っていた。
「で、木沢。お前なにしてるんだ。もう9時過ぎてるぞ」
一応教師らしく咎めるように言った。
「だから! 先生に会いにわざわざ来たんですっ!」
むっと口を尖らせるヒカル。
いろいろ訊きたいことはあるがヒカルの興奮状態を見るとなんの話も通じなさそうだ。
しかたなく、樹は大きくため息をつくと「話はなんだ」と尋ねた。
ヒカルは憮然とした表情をし、樹をにらみつける。
「今日の放課後のことです」
「放課後?」
「せ・ん・せー!!! 私の綾センパイになんてことしてくれちゃったんですかぁっ!!!」
バン!、とテーブルを大きく叩いてヒカルが言った。
"私の"というフレーズに微かに眉を上げるも、樹は平然と問い返す。
「なんのことだ」
ヒカルは口を開きかけ、ちらり視線を閉じた襖のほうへ送った。
ワントーン声を落とし、
「先生が綾センパイにキ、キ、キ、キスしてたことですよぉぉぉ!!」
最悪!と言うようにヒカルが頬を膨らませる。
樹は内心ため息をつきつつも、しらばっくれる。
「木沢、目は大丈夫か? 誰かと勘違いしてないか? そんなことした覚えは……」
まるで覚えがないと、首を振りながら言う樹の目の前に、ヒカルが封筒を差し出した。
嫌な予感に眉を寄せ、封筒の中身を取り出す。
それは写真で、そこには―――樹と綾がキスしている姿が映っている。
「……………おい、木沢」
樹は絶句し、ヒカルを見つめる。
ヒカルは相変わらずの膨れっ面だ。
「お前、この写真……」
マジマジと写真を再度見る。鮮明に写っているキスシーンは、携帯カメラでは撮りえない高画質。
「……盗撮?」
あきらかに望遠&一眼レフ使用間違いのない写真に、樹はテーブルに頬杖つき呟いた。
「盗撮だなんて失礼ですぅ!! 綾センパイの写真を撮るなら一眼レフ使用に決まってるじゃないですかぁっ!!」
「……お前、ストーカーだったんだ」
「ち、違いますよぅー!!」
むーっとヒカルは下唇を突き出して顔を背ける。
「写真は趣味の一貫ですっ!」
「意味わからないんですが」
「そんなことはどうでもいいんですぅっ!」
(よくねーだろ)
思わず心の中で突っ込む。
「今は私のことよりも、先生っ! 先生デスっ! どういうつもりでキスしたんですかっ!!」
「お前には関係ない」
即答した。
予想外に写真まで撮られていたが、だからといってすべてを打ち明けるつもりはない。
「関係なくないですぅ!!」
「ない、ね」
冷ややかに樹は言い切った。
「お前がどういうつもりでその写真を撮って、そしてここにいるのかは知らないが、写真の示すことが事実だとしても、お前には関係ないことだ」
ヒカルがぐっと言葉を詰まらせる。
「一つだけ言うとしたら、俺が無理やりしたことで、広瀬は関係ない」
ヒカルの真意を知る由もない。綾を慕っている様子のヒカルだから、この写真を学校に提出するようなことはないと――思いたいが。
樹はじっとヒカルを見据えた。
「……関係ありますよぉ……」
ややしてヒカルが拗ねるように呟いた。
「私の大事な、尊敬する綾センパイがキスされたんですよぉ!!!? それがたとえ綾センパイの好きなヒトでもぉー……。だからこそっ、要確認じゃないんですかぁ」
ヒカルの言葉にいろいろと突っ込みたくなるのを覚えながら、樹は少しだけ眼光を弱めた。
「要確認ねぇ。それでここにいるわけか」
綾のことが心配でいても立ってもいられなかった、ということか。
「そうですよぉ」
「なんとなくお前の気持ちはわかった。だが関係ないものは関係ないんだから、とっとと家帰れ」
樹は煙草を取り出し、火をつける。煙がヒカルのほうへ流れるのも気遣わず吐き出す。
煙たさにわずかに咳き込むヒカル。だが樹の冷たい言葉にひるむ様子はなく、小さいバッグから一冊の手帳を取り出した。
A5サイズのゴテゴテとデコレーションされた派手なリングノート。
ヒカルはそれをパラパラめくると、手を止め、開いたページに視線を落とす。
そして―――、
「橘樹くん……、中1で女子高生の初カノジョ。脱ドーテー。わずか3ヶ月で別れる。中2のとき大学生と付き合う。直後OLと二股……」
スラスラと読み上げられていく内容に―――、樹はポカンと口を開いた。
「高1のとき―――○○でピー(効果音)で×××で、ピー(効果音:以下略)。―――○○して、×△△って、ピーピーピー………」
「ちょ、ちょっと待て!!!」
珍しく焦って樹がヒカルの声を遮る。
ヒカルは手帳から視線を上げると、またテーブルを叩いた。
「ほら! センセー!! 私が心配する気持ちわかりますよね!!? こーんなっ!!!サイテー過去を持つ男に……綾センパイの唇を奪われちゃったなんてぇっ!!!」
目を潤ませるヒカル。
「………過去のことだ。つーか、お前なんで知ってるんだよ」
「まぁ過去ってことでもいいんですけどねぇ。綾センパイと出会ってからは女性関係清算したみたいだしー」
「………お前……なに?」
顔を引き攣らせ、樹はヒカルを見る。
にっこりとヒカルは手帳をひらひらさせた。
「このノートにはぁ、学校を良くする為のいろんな情報が詰まってるんですぅ〜。ヒカルチャンのマル秘ノートなんですぅ!!」
「………マル秘?」
「そーですぅ。ヒカルのユメ〜、女版ジェームズ・ボンドなんですぅ!!」
キラキラと目を輝かせるヒカル。
「……………ジェームズ・ボンドって……」
(スパイじゃねーかよ)
訳のわからないヒカル・ワールドに樹は強い疲労を感じがっくりと肩を落としたのだった。
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2009,6,12
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