13
「お嬢様はどんなお色もお似合いになりますから、迷いますなぁ」
恰幅のよい小柄な男が顎に手をあてにこやかに困っている。
そしてその視線の先には様々な布地を当てられたマリアーヌが退屈そうに立っていた。
まわりには何十種類もの布地が広げられている。
「どれがよろしゅうございますかねぇ」
オセに出入りする仕立て屋である男サノアはにこにこと傍らに立つハーヴィスに笑顔を向けた。
ハーヴィスは「そうだなぁ」と首を傾げる。
「いつもより華やかなのがいいね。パーティ用だから」
その言葉にサノアは「そうでございますねぇ」と頷きつつ、広げた布地を手にして見ていく。
そしてマリアーヌはキョトンとしてハーヴィスを見た。
「パーティって?」
「1ヶ月後にお得意様、もちろんオセだけでなくノーマルな方々も含めお招きしてパーティをするんだよ。僕の主催でね」
サノアが薄い若草色の布地に銀の糸で細やかな花の刺繍がほどこされたものをマリアーヌに当てる。針子たちが軽くドレープをつくりマリアーヌの身体に合わせピンで留めていく。
「……それに私がでるの?」
マリアーヌは困惑に眉を寄せた。
すでにマナーは完璧といえるほどに修得し、いまはダンスのレッスンなども優雅にこなせるほどになっている。
だがパーティとなると別だ。
なにせ生まれて初めて、まったく無縁な世界。
「カテリアの世話係としてだがね」
ハーヴィスは安心させるように笑った。
「今回はカテリアも出席するからカテリアの世話係である君も必然的に出席ということさ。まぁ出席といってもカテリアはワルツを踊るわけでもないし、特別席で高見の見物というだけだけどね」
わかったようなわからないような回答に、マリアーヌは首を傾げる。
「私はカテリアのそばにいればいいということよね? ダンスはしなくていいのね」
ハーヴィスはにっこりと「一曲くらいは僕の相手をしてもらうがね」と告げた。
またしても不安と早々とした緊張感に顔をゆがめるマリアーヌにハーヴィスが声を立てて笑う。
「きっと楽しいパーティだよ。――――ああ、なかなかいいね、サノア」
顎に手を当てハーヴィスがマリアーヌを眺める。
ざっと身体に合わせて形作られたドレス。
「胸元は広めにとり、袖口にはふんだんにレースをあしらいましょう。ここをこうしてですね―――」
と、サノアが針子に指示をだしてはハーヴィスに説明していく。
着せ替え人形の気分になりながら、マリアーヌはそっとため息をついた。
しばらくしてようやく開放され、部屋の端にあるソファに腰を下ろす。
ソファにはのんびりと身体を丸めている先客カテリアがいた。
ハーヴィスはサノアと仕上がり時期やドレスの細かい点などについて話し合っている。
それを眺めつつ、カテリアの背を撫でる。
「もう疲れちゃった……」
思わず欠伸が出そうになるが、カテリアが一鳴きして、飲み込む。
マナー担当のジョセフィーヌよりも細細とうるさいカテリアを横目にちらり見ると、カテリアもまた厳しい目を向けている。
マリアーヌはわずかに頬を膨らまして針子たちによって片付けられ始めた様々な布地を見つめた。
と、今度は別な装飾品やレース生地などが広げられる。
きょとんとしていると、ハーヴィスが目を細めマリアーヌに手招きした。
「カテリアをつれておいで」
言われるままにカテリアを抱きかかえて行く。
サノアが相変わらずの笑顔でマリアーヌに声をかけた。
「ぜひお嬢様も一緒にお選びください」
何のことかわからずにハーヴィスを見上げると、悪戯っぽい笑みを浮かべている。
そしてマリアーヌの耳元で囁いた。
「カテリア用のドレスも用意してもらったんだよ」
目を点にし、改めて広げられているものを見ると、たしかに子供サイズにも思えるドレスやボンネンット、つばの広い帽子などがあった。
徐々に顔を輝かせるマリアーヌはカテリアを抱きしめたまま、物色を始める。
「これなどいかがでございましょう?」
サノアがふんだんにレースをあしらったピンク色のドレスを見せた。
「可愛いっ!」
思わず叫んだマリアーヌにサノアや針子たちが微笑している。
マリアーヌはその場にうずくまり、カテリアをバンザイさせるように立たせる。
訝しがるようにカテリアが鳴く。
「さぁさ、お似合いになりますよ、きっと」
そうサノアが言って、針子の1人がピンク色のドレスをカテリアに着せ始めた。
とたんに身をよじり、ニャーニャーと逃げようとするカテリア。
「カテリア! 動いちゃダメよっ! ああん、もうせっかくのドレスがやぶけちゃうわよ!」
珍しくマリアーヌのほうがカテリアをたしなめる。
カテリアは激しい抵抗を試みたが、数分の格闘の末、結局着せられてしまった。
白い毛並みに薄いピンクのふわりとしたドレスが映えている。
実際はドレスというよりも、ドレスのスカート部分のみと言った感じだ。
広がった裾からは幾層にもなったレースが覗いている。
そして額には同じくピンクいろのひらひらフリルのボンネンットをつけ、顎の下でリボン結びにする。
ようやく完成した姿にマリアーヌはもちろんサノアたちも満足気だ。
「可愛い! カテリアすごく素敵だわ!」
顔を輝かせるマリアーヌに憮然とした様子のカテリア。
「ねえ、素敵よね?」
とハーヴィスを振り返ると、ハーヴィスはお腹を押えて笑っていた。
「……いやいや、素敵過ぎて涙が出てきてしまうよ」
本当にやや目に涙をにじませ手の甲でぬぐっている。
マリアーヌの腕の中で殺気立つカテリアが威嚇するようにうなる。
「似合っていると誉めているのに」
笑いながらカテリアの頭を撫でようと、ハーヴィスが手を伸ばす。
と、カテリアの手が空を切った。
「ッ……痛いよ、カテリア」
引っ掻かれてしまったハーヴィスが手をさすりながらため息をつく。
そんなに怒ることないのに、とぶつぶつ呟いている。
「カテリア! だめよ、そんなことしちゃ」
マリアーヌもまたたしなめるようにカテリアを覗き込んだ。
そっぽを向くカテリアに微苦笑しながら、ハーヴィスはサノアを見た。
「それじゃぁカテリアのドレスはこれにするよ」
瞬間、再び殺気立つカテリア。
かしこまりました、とサノアのにこやかな声がオーナーと愛猫の険悪な雰囲気の中、楽しげに響いた。
仕立屋が帰り、マリアーヌはシェアに用意してもらっていたクッキーを持ってエメリナの部屋へと向かおうとしていた。
「マリー」
ハーヴィスがマリアーヌを呼び止める。
「今からエメリナのところへお出かけかい?」
頷くと、ハーヴィスが2枚のカードを差し出した。
白の封筒の表にはエメリナと、そして双子の名がそれぞれ記されている。
きょとんとするマリアーヌにハーヴィスが微笑む。
「パーティの招待状だよ。支配人から渡すより、君からのほうが彼女たちも喜ぶだろう?」
それを受け取りながら、マリアーヌはわずかに目を見開く。
「……パーティって、もしかしてさっき言っていた?」
「そう。1年に1回くらいの割合でするパーティなんだが、人気の高い娼婦を三人招待するようにしているんだよ」
それが今回はエメリナと双子、そしてエメリナについで人気のある娼婦シェリーなんだ、とハーヴィスは言った。
マリアーヌは喜々として目を輝かせる。
未知で不安だった一ヵ月後のパーティが、一気に心弾むものへと変わった。
だがハッとしてわずかに顔を曇らせる。
「……でも皆には私が出ることも言っていいの?」
おずおずと視線を向けると、ハーヴィスは苦笑した。
「カテリアの世話係として、と言っておけばいいんじゃないかい。まぁいろいろと噂もあるようだが……。そんなことを気にするタイプじゃないだろう、彼女たちは」
マリアーヌは大きく頷いて、再び嬉しそうに微笑んだ。
「夕方には戻って来るんだよ。カテリアが寂しがるからね」
笑いながら言って、ハーヴィスはマリアーヌの背を押した。
行ってきます、と招待状を握り締めマリアーヌは軽く手を振りエメリナの部屋へと向かった。
自然と浮き足立ってしまう。
逸る気持ちを押さえつつ、エメリナの部屋の前へとたどりつく。
深呼吸一つして、招待状を背の後ろに隠し持ち、ノックする。
中からエメリナと幼い男の子の声が二つ混ざり「どうぞ」と返事がした。
頬を緩めながら扉を開けると、双子のイアンとイーノスが一斉に走ってきて、飛びつくようにマリアーヌに抱きついた。
「遅かったね、マリー」
「お菓子残してるからね、マリー」
イアンとイーノスがじゃれるようにしてマリアーヌを見上げてくる。
「遅くなってゴメンね、イアン。そうそうクッキーを焼いてもらったの。みんなで食べましょうね、イーノス」
二人にクッキーを渡すと顔を輝かせて、さっそくクッキーの袋を開けている。
「ほら、ちゃんとテーブルに置かなきゃこぼしちゃうわよ!」
母親のように叱咤する声に目を向ければ、ソファに寛いでいるエメリナがこっちへおいでと手招きしている。
「「はーい」」
クスクス笑いながらマリアーヌは双子たちとともにエメリナのところへ行った。
テーブルの上には柔らかな香りを立ち上らせるハーブティーと、すでにお菓子が散乱している。
朱色で描かれた花柄のお皿にクッキーを盛り付ける双子。
「ごきげんよう、エメリナ」
「ごきげんよう、マリー」
少し取り澄ましたように言い、二人は顔を見合わせて笑う。
「ねぇ、マリー? 何を隠してるの?」
マリアーヌが左手を背中に回していることに気付いたエメリナが小首を傾げ、マリアーヌを覗き込んだ。
すでにクッキーを頬張っていた双子は「「なに? なにか隠してるの?」」と口をモゴモゴと動かす。
マリアーヌは後ろ手にもっていた招待状を、エメリナと双子たちに渡した。
不思議そうに自分達の名が記された招待状を見つめる三人。
「開けてみて」
弾んだ声でマリアーヌが言うと、三人は不思議そうな面持ちで封を切った。
中のカードに目を走らせ、エメリナが「……パーティ?」と呟く。
イアンとイーノスは相変わらずキョトンとして顔を見合わせている。
「来月、ここでパーティがあって、エメリナとイアン、イーノス、シェリーも参加できるの!」
その言葉にエメリナたちは不安そうな戸惑った表情になった。
つい先刻、ハーヴィスからパーティのことを聞かされたときの自分と同じ様子の三人にマリアーヌは思わず笑いながら「私も参加するのよ」と告げた。
「ほんと?」
イーノスが三人を代表するように訊いてくる。
うん、と頷くとほっとしたように三人の表情が緩んだ。
「でも一緒にいられるかはわからないの」
「ええーなんで?」
イアンがクッキー片手に頬を膨らませる。
「……もしかしてオーナーの猫の付き添いだったり?」
下ろしたままの艶やかな金色の髪を指先に絡めながらエメリナが言った。
「そうなの。でも少しくらいは一緒にいれるかもしれないし。それに初めてのパーティで私だけだったらどうしようって不安だったんだけど、同じ場所に皆がいると思ったら心強く思ったの」
その言葉にエメリナは目を細める。
「そうよね。私も初めてのことだし緊張しちゃうけど、マリーが一緒だと思うと心強いわ!」
「僕も!」
「僕も僕も!」
エメリナに続き、挙手して我先にと宣誓するように叫ぶイアンとイーノス。
マリアーヌとエメリナはそんな双子に声を立てて笑った。
「それにしてもパーティかぁ……。田舎にいたころは想像もしてなかったな、こんなこと」
エメリナがぽつりと呟いた。
双子達はお菓子を食べつつおもちゃで遊びはじめている。
その相手をしながら、マリアーヌも頷く。
「……私も信じられない」
オセへ売られ、娼婦として働くつもりでいた一年前。
ほんの一年前なのに、ずいぶん遠い昔のような気がする。
あの頃の自分と今の自分。
変わったつもりはないが、それでも当時胸の内にあった冷たく暗いものは霞んだように思えた。
「ただ身を売って、ボロボロになっちゃうのかなーって不安もあったりしたんだけど」
そうエメリナが微笑む。
「それがこんな贅沢な娼婦だなんて、ほんっとびっくり。それに、マリーに会えて、友達になれてよかった」
マリアーヌには友達などいなかった。できるとも、ほしいとも思ったことがなかった。
だけど――――。
「私も、エメリナと友達になれて嬉しい」
マリアーヌは顔をほころばせた。
少し照れたようにエメリナがはにかむ。
そして、
「「僕たちは?」」
揃った二つの声にきょとんとすると、イアンとイーノスが置いてけぼりをくらったように頬を膨らましていた。
「「もちろん、二人に会えて幸せ」」
マリアーヌとエメリナは目配せをし、声を揃えてそう言った。
闇につつまれているはずのオセ。
なのに、ただただ――――幸福だった。
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material by Cloister Arts

2006,3,8
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