14
「さぁ出来ましたわ」
シェアが仕上げの香水を吹きかけ、言った。
いつもより細めのコルセットにピンと背筋を張るしかないマリアーヌがぎこちなくシェアを見る。
「よくお似合いですわ」
1ヶ月前、選んだ布地は今きらびやかなドレスとなってマリアーヌを飾っている。
大きく開いた襟ぐり、袖口は大きく広がり幾重ものレースが覗いている。爽やかな若草色のドレスにあわせ、胸元にはシンプルなダイヤのネックレス。金の細身のチェーンにマリアーヌの瞳よりも大きいダイヤがついている。ピアスもまた同じくダイヤ。
髪は両耳の上でダイヤをあしらった金の髪留めで飾られ、緩く巻かれている。ひとつにまとめるでもなく、そのまま背中を覆っている。
ふわりと広がったスカートを握り締め、マリアーヌはため息をついた。
「どうかなされましたか?」
首を傾げシェアがマリアーヌを覗き込む。
マリアーヌは続けてため息をつくと、軽く首を横に振った。
「少し緊張しているだけなの……」
か細い声に、シェアが安心させるように微笑む。
「ハーヴィス様がお傍にいらっしゃいますから大丈夫ですよ」
マリアーヌはぎこちなく頷きながら、心の中で再びのため息。
と、扉がノックされハーヴィスが入ってきた。
「準備はできたかい? ――――ああ、よく似合っている」
正装したハーヴィスは目を細めながらマリアーヌに歩み寄る。
確かにいつもよりも化粧も念入りに、髪のセットも時間がかかった。
マリアーヌは重い表情でハーヴィスを見上げる。
「おやおや、お姫様は緊張されているのかな?」
楽しそうに笑い、ハーヴィスはマリアーヌの手をとった。
指先から伝わる暖かさに、すこしだけほっとする。
ニャァ―――、とカテリアの鳴き声に下を向くと、ハーヴィスの足元にいた。
あのピンクのドレスもボンネットもつけていないが、サファイヤの埋まった薔薇をモチーフにした首飾りをつけている。
マリアーヌは屈むと、カテリアを抱き上げた。
「心配しなくても大丈夫だよ。僕とカテリアがそばにいるからね」
ぎゅっと手を握り締められ、ようやくマリアーヌは頬を緩めた。
「それじゃぁ、行こうか」
カテリアを片手に抱き、ハーヴィスにエスコートをされ、マリアーヌは初めてのパーティへと向かった。
大広間でのパーティを見るのは初めてだった。
清掃の仕事をしていたとき、入ったことはある。しかし給仕のときはこの大広間を使用したパーティにでたことはない。
大広間は左右の壁が全面鏡張りになっていた。そして扉のある残りの二面には絵画が描かれている。
高い天井には大きなシャンデリアが中央に、間隔をあけ小さ目のシャンデリアが4つ取り囲んでいる。
シャンデリアからの光を受け、鏡がきらきらと反射し光を溢れさせている。
右側の壁の前には演台があり、それを囲むように演奏家たちが座り音楽を奏でている。
玲瓏に響き渡る音楽に、招待客たちは軽やかな笑い声を乗せている。
彼らもまたこの大広間のパーツであるかのような華やかさを演出していた。
貴婦人たちのさまざまな色のドレスや美しい輝きを放つ装飾品。
すべてをあわせてまるで宝石のように見えた。
美しい光景にマリアーヌはカテリアを抱きしめため息をついた。
マリアーヌがいるのは大広間の華やかな喧騒から壁一枚隔てた部屋だった。
鏡張りになった壁の隣にある隠し部屋。
大広間からは見えない、だがマリアーヌの部屋からはすべてが見える。
そんな仕掛けのある鏡をマリアーヌは見たことがなく、驚いてしまった。
「マリー、紅茶が入ったよ」
ハーヴィスの声に、マリアーヌはようやくガラスの壁から離れソファーに腰を下ろした。
紅茶を一口飲むも、視線は相変わらず壁の向こう側のパーティへと向けられている。
一枚の壁の向こう側に広げられた光景はまるで絵巻物のように思えた。
「あとで一曲踊りに行こう」
好奇心一杯に目を輝かせているマリアーヌにハーヴィスが笑いかける。
マリアーヌは踊るという言葉にやや緊張しながらも首を傾げた。
「招待客の方々に挨拶はしなくていいの?」
オーナー主催なのだから、こんな部屋でのんびりしていていいのだろうか。
マリアーヌが思っていると、ハーヴィスはテーブルの上のフルーツを食べながら首を振った。
「挨拶は健全なる支配人ドリールの役目さ。僕は裏方だからね」
一口サイズに切ってあるメロンをそのまま手でつかみ、ハーヴィスがマリアーヌに差し出す。
「……ちゃんとフォークを使わないとダメでしょう?」
マリアーヌはたしなめるように言うも、メロンを口で受け取った。
クスクスとハーヴィスが笑いながら視線を大広間へと向ける。
マリアーヌもまたそれを追うと、ちょうど演台に支配人のドリールがたつところだった。
初めて会った頃よりもさらに恰幅のよくなったドリールは人の良い朗らかな笑顔を浮かべている。
支配人の登場に会場内の喧騒が静まり、ドリールはにこやかなまま挨拶を始めた。
「――――今日のパーティをぜひこころゆくまでお楽しみください」
いつしか招待客にはシャンパンが配られていて、ドリールの合図とともに乾杯が交わされた。と、同時に華やかな喧騒が舞い戻る。
ポン、と空気を弾くような音が響き見ると、ハーヴィスがシャンパンを開けていた。
用意されていたグラスに琥珀色のシャンパンをそそぐ。
「はい、乾杯」
カチン、とハーヴィスがグラスを合わせる。
マリアーヌは小さな気泡が沸き立つシャンパンをじっと見つめ、ハーヴィスにならってそっとグラスに口付けた。
ワインをすすめられることもあるが、お酒を好まないマリアーヌにはシャンパンを飲むのは初めてだった。
炭酸とフルーティな香りが爽やかに喉を潤す。
「美味しい―――」
思わず呟くと、ハーヴィスが目を細める。
「そう、よかった。マリーが飲めそうなのを選んだんだよ」
「……ありがとう。――――なに? カテリアも飲むの?」
前足でつんつんと袖を引っ張ってくるカテリアにマリアーヌは笑って、カテリアを抱き上げると少しだけ飲ませた。
満足げにカテリアが鳴く。
そのとき、ノックの音が響いた。
「どうぞ」
ハーヴィスが返事をすると、一人の青年が入ってきた。
黒髪にサファイアのような瞳の青年。20代前半か半ばか、なにか近寄りがたい雰囲気をしている。
青年はハーヴィスに一礼し、そしてマリアーヌにも頭をたれた。
「マリー、紹介しよう。彼はエリック。このオセでお客様へ提供している多くの商品は彼が調達しているんだ。彼にかかれば手に入らないものはないよ」
顔立ちは整っており、美しい分、冷たさをまとっている青年エリック。
だがハーヴィスの紹介とともにマリアーヌに向けられた目が細められ浮かんだ微笑みは優しげなものだった。
「エリック・ファウルズです。マリアーヌ様、よろしくお願いします」
"マリアーヌ"と名を知っているのは一部のものだけだ。
久しぶりに見知らぬ者からそう呼ばれ、自然と頬を緩めながらマリアーヌもお辞儀をした。
「マリアーヌ・クレールです。こちらこそ、よろしくお願いします」
そんなマリアーヌにハーヴィスがシャンパンを飲みながら言う。
「マリー、お礼を言っておくんだよ」
怪訝な眼差しをマリアーヌが向けると、ハーヴィスが目を細める。
「1年くらい前、オセに男たちが押し入ったことがあっただろう」 君を襲った男達のことだよ―――、ハーヴィスの言葉にマリアーヌは眉を寄せた。
あの時の恐怖は今でも思い出せる。
男の生温い手と、壁に打ち付けられた痛み。
「あの時、助けたのが彼、エリックなんだよ」
マリアーヌは驚いてエリックを見上げる。
確かあの時は痛みで意識が朦朧としていた。カテリアが庇うように自分の前に立ちはだかっていたのも、そのあとハーヴィスに抱きかかえられたのもうっすらとは記憶している。
『……腕が!』
男達の悲鳴、なにかが地面に落ちた音。
それはすべてこのエリックによるものだったのか。
マリアーヌは慌てて、エリックのもとに駆け寄る。
「エリックさんが助けてくれたのですね。ありがとうございます。知らなかったとはいえ、こんなにもお礼を言うのが遅くなってごめんなさい」
「いいえ。私こそ、もっと早くに気付いていれば、マリアーヌ様に傷一つ負わせることがなかったのに……。申し訳ありません」
真剣な面持ちのエリックに「そんなことありませんっ」とマリアーヌが首を振っていると、ハーヴィスが苦笑した。
「まぁまぁ、とりあえず二人とも座ったらどうだい?」
互いに謝罪しあっていたマリアーヌたちは、ようやくソファーに腰をおろした。
マリアーヌはちらりとエリックを見る。
美しい顔立ちをしているだけに一度会えば忘れないだろう。だが見かけた覚えはない。それに娼婦たちからエリックという名を聞いたこともない。
あまりオセの家にはいないのだろうか、そんなことを考えていると、それに答えるようにハーヴィスが口を開いた。
「エリックには世界中を飛び回っているんだよ。今日会うのも2ヶ月ぶりくらいかな?」
ええ、とエリックが頷く。
オセの家に客が求めてくるのは様々なものだ。
宝石や、行方知れずの絵画、武器、望めばどんなものでも用意する。
「大変なのですね」
カテリアを膝の上にのせ、その背を撫でながらマリアーヌは感嘆した。
「いいえ。――――取引に出向いているだけですから」
エリックは静かに言う。
もともと無口なタイプなのだろう。だがハーヴィスと親しい間柄のためによそよそしさはない。
「そういえば、珍しい石を手に入れたんだって?」
シャンパンを飲みながらハーヴィスがエリックを見る。
エリックは頷きながらジャケットのうちポケットから小さな布袋を取り出した。
「最近ロシアのエメラルド鉱山で発掘された石です」
布袋から出てきたのは赤色の小さな石だった。
ハーヴィスは手に取り光にかざす。
「変色性があるのかな」
「ええ。自然光の下では深緑になります」
マリアーヌもまた興味深げに見る。
鮮やかでない暗い赤い色をした石。それが緑色に変わるのが想像できない。
宝石一つにしても色々あるのだな、と見入ってしまう。
石に向けられた視線に気付いたハーヴィスが小さく笑った。
「宝石好きのアドニー夫人に提供するのもいいが………」
呟きながらハーヴィスは石をマリアーヌの胸元に重ねるようにして見た。
「エリック、これをネックレスに。デザインはマリアーヌに合うようにしてくれ」
はいかしこまりました、とエリックは石を受け取った。
マリアーヌはきょとんとしてハーヴィスとエリックを交互に見る。
「できあがったらマリアーヌにつけてあげるよ」
「えっ。でも……売らないの? すごく珍しいものなのでしょう?」
ハーヴィスはゆったりとソファーにもたれかかり、肘当てに頬杖つくと微笑んだ。
「別にいいよ。注文があればその時に仕入れれば。エリックにしろきっと君へのお土産で持ってきたのさ」
だろう?、とハーヴィスがちらりとエリックに視線を向ける。
エリックはわずかに苦笑を浮かべた。
「……ええ。ご挨拶代わりにですが」
マリアーヌは本当にいいのだろうかと困ったように眉を寄せる。
「でも……」
「石がお気に召さないかい?」
「違うの……。だってすごく大人っぽい印象のある石だから、私なんかに似合うかなと思って……」
ぽつりもらすと、ハーヴィスがクスクス笑う。
そんなことないですよ、とエリックも微笑している。
「そんなことないさ。そうだネックレスに合わせてドレスも新調しようかな」
ハーヴィスは1人あれこれと呟いている。
またドレスか、とマリアーヌが思わずため息をついたとき、再びノックの音が響いた。
「クラレンス様がお越しになられました」
さっとエリックがソファーから立ち上がり脇にどく。
ハーヴィスもまた立ち上がったので、マリアーヌもまたそれに倣う。
扉が開いて入ってきたのは初老の紳士だった。
「やぁハーヴィス。今宵は盛況だな」
ブロンドに白髪が入り混じっている。60歳近くには見えた。
穏やかな笑みを浮かべているが、厳格で他を圧倒するような雰囲気がある。
ハーヴィスは笑顔を浮かべると恭しくお辞儀をした。
「お忙しい中、お越しいただきありがとうございます。今日の宴が盛況なのもすべてニュールウェズ公クラレンス様のおかげです」
ニュールウェズ公……、マリアーヌはその名を頭の中で復唱する。
筆頭公爵であるニュールウェズ。現当主の名は、そうクラレンス。
マナーなどの勉強の中で教わった貴族や王族の知識。その中にあった名前。
このオセの顧客が地位のあるものばかりというのは知っている。だが、実際公爵位をもつクラレンスを目の前にしてマリアーヌは緊張に立ちすくむ。
「いやハーヴィス、君の手腕だよ」
クラレンスは笑いながら言って、一つの鳴き声に目を移す。
ソファーに身を丸めたままのカテリアが顔だけをわずかに上げて、クラレンスを見ていた。
「これはカテリア。久方ぶりだな。おや今日は珍しくめかしこんでいるではないか」
カテリアの首にぶら下がったダイヤの飾りを見て、クラレンスが言った。
ニャア――――、と憮然としてカテリアはそっぽを向く。
クラレンスは大きく笑う。
そしてその視線がカテリアから、マリアーヌへと止まった。
鋭い眼光で見つめられる。
射すくめられるような眼差しに、声が出ない。
挨拶をせねば、そう思っていると、
「彼女がカテリアの――――?」
クラレンスはマリアーヌを見つめたまま、ハーヴィスに尋ねる。
「ええ」
にこやかなハーヴィスの声に、しばらくしてクラレンスはふっと顔を綻ばせた。
「初めまして、マリアーヌ」
優しい微笑みでクラレンスはマリアーヌの手をとると、そっと甲に口付けた。
ぽかんとするも、あわててマリアーヌは社交式のお辞儀をする。
「初めまして、クラレンス様。マリアーヌ・クレールと申します」
緊張しながらも優雅に顔を上げると、ハーヴィスと視線があった。
大丈夫―――、と安心させるようにマリアーヌを見つめている。
無意識にマリアーヌは柔らかな笑みを浮べた。
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2006,3,16
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