『中編』
「あのーなんで、あずさじゃなくて俺をさらったんですか?」
連れ去られはしたものの、最初の頃よりは恐怖心も薄れていた。
異界から来たと言うこの男が、そう悪い奴にも見えなかったからだ。
二人学校の屋上にいた。
雨雲の切れ間から、わずかに月が見えている。暗い雲の中で、いやにきれいに金色の光を放っていた。
カイルは月を見上げている。 「女より男のほうがよかったからさ」
そう言ったカイルに、勇気は黙り込む。 (男のほうがよかった? 男のほうがいい…? え…それは) 「さて、血をもらうかな」
片膝をたて、立ち上がろうとするカイルに勇気は慌てる。 「ちょ、ちょっと、待っ」
カイルはずんずん近づいてきて、勇気の腕をつかみ上げる。
ちょっとは落ち着いていた恐怖心がいっきに爆発する。 「うわぁぁぁーッッ!!! やだよーッ! まだ若いのに死にたくないーッ!!」
ギュッ、と目をつむって数秒。なんの気配もなくて見上げると、カイルが不思議そうな顔をしていた。 「なんで死ぬんだ?」 「へ………? だって血を吸うんですよね?」 「吸う…」 「こう…ガーッと噛み付いて」
身振り手振りで吸血鬼の説明をすること2分。
カイルは腕を組んでその説明を聞いたのち、首を振り、 「そんな不衛生なこと誰がするか」 と言った。 「ふえいせい…」
気分がそがれたのか、再び腰を下ろす勇気。 「え…でも吸血鬼なんですよね。先生だって死んでたし」
カイルがまた不思議な顔をする。 「どうやらこの世界の吸血鬼というのは俺と種類が違うようだな。それに、先生というのは倒れていた男のことか?」 「はい…」 「死んじゃいないさ。俺が突然窓から入ってきて驚いたんだろうが、勝手に騒ぎ出して、転んで頭を打って気絶したんだ」 「………せんせい…」
今年30になった体育教師のことを思い、勇気はため息をついた。 「そのあと血を頂いただけさ」
冷たい風が吹いてきて、勇気は身を振るわせた。
腕時計を見ると、もう10時を過ぎている。
勇気は頭をかきながら、カイルを見た。 「えー……と、それじゃあ、血はどうやって飲むんですか…?」
その言葉にカイルはポケットから四角い箱のようなものを取り出した。
万歩計みたいな感じだった。何個かのボタンと、液晶画面らしいもの。
カイルがボタンを押した。すると角のところから針のようなものが出た。 「ちょっと腕を出してみろ。痛くないから、心配するな」
勇気は戸惑いながらも、恐る恐る右腕を出した。
カイルは万歩計みたいなものの針を勇気の腕に刺した。
チクッとした。
そしてカイルは赤いボタンを押す。するとシュッという音とともに透明な容器が底のほうから現れた。次に青のボタンを押す。するとその容器の中に、赤い液体がたまっていく。 「これ、血ですか…?」 「そうだ、痛くないだろう」
握りこぶし半分ほどの容器に血がたまると、カイルはそれを腕から離した。
勇気は刺された部分をまじまじと眺める。
なんの変わりもなく、ただ注射をされたときと同じといった感じだった。 「それで…その血を飲むんですか?」 「まあいろいろだな。そのままだったり、この変換ボタンで固形にしたり」
実演してみせるカイルと、しきりに感心しながら詳しい構造をたずねる勇気。
すっかり打ち解けた空気になった。 「なあ…」 「はい?」
カイルが少し言いにくそうに勇気を見る。 「なんですか?」 「ちょっと頼みがあるんだが…。今夜一晩でいいから、お前の家に泊めてくれないか?」 「え?」 「俺は追われている身で、明日まではどうしてもつかまるわけにはいかないんだ…」
ひどく真剣な眼差し。 (男のほうがいいって言ったのはこういうことなんだ…)
勇気はじっとカイルを見つめた。 「無理にとは言わない…」
勇気はしばらく考えて、ちょっと笑った。 「いいですよ。俺んちでよければ」 「いいのか?」
驚くカイルに頷く勇気。
二人の間に小さな友情の火がともった。
と、その時――――――。
バターン、と屋上の重い扉が開いた。
バタバタと登場する二人。 「見つけたぞッ! カイル」
身構えるカイル。 「あれー? 勇気まだ生きてたのー?」
カルディールの後ろからひょっこりとあずさが顔を出した。 「し…。どういう意味だ、そりゃー!」
憮然と叫ぶ勇気。
その横でカイルが走り出す。 「待てッ! カイル」
カイルが立ち止まりカルディールをにらみつける。 「お前なんかと話すことはない!」
火花を散らせる二人。
張りつめた空気の中であずさは身を低くして、二人の邪魔にならないよう気をつけながら、勇気の元へ駆け寄った。 「なんかすっごいわね〜。映画みたいじゃない? ところで血は? 吸われなかったの?」 「あぁ、なんか献血みたいな感じだった」 「献血ー? なにそれー」 「ていうか、あの袴の人ってさ」 「異界からカイルさんを追ってきたカルディールくん」 「なんで袴なんて着てんの?」 「なんか江戸時代かなんかと勘違いしてるみたいなのよね」 (面白いから間違ってるわよって教えてあげなかったけど)
あずさはにやけながら思った。
一方、異世界からの二人は相変わらず、お互いの出方をうかがうように対峙している。
先に口火を切ったのはカイルだった。 「なんだ、お前のその格好は」
冷笑を浮かべ冷たく言い放つ。
カルディールは身構えながらもやや戸惑った顔をする。 「なにがだ! ぼくはこの世界にあった服を着てきただけだ!」
そうだよね、とでも言うようにカルディールがあずさをチラッと見た。
さらにカイルが嘲笑する。 「バカが! ここにいる人間がお前とおんなじ格好をしているか」
さらに戸惑ったような表情でカルディールがあずさと勇気を見る。
数秒見つめて、泣きそうになるカルディール。 「だ、だってガイドブックに…」
カルディールはわずかに目を潤ませる。横を向いて目を激しくこすると、ちょんまげかつらを放り捨て、改めてカイルをにらみつけた。 「い、いい加減にしろ! カイル! ぼくと一緒に帰るんだ!」
無視をするカイル。 「素直になれ、カイル! 君のお姉さんだって悲しんでいるぞ!」
カイルの顔色が変わる。厳しい表情でカルディールを見る。 「お前…姉貴にあったのか…」
頷くカルディール。 「お姉さんは君を連れて帰ってくれと、ぼくに頼んだんだ…」 「……お前、姉貴のことが好きなんだろう?」
カルディールの頬が赤らむ。
カイルは冷笑した。 「お前は本当の姉貴のことを知らないのさ…。お前は騙されてるんだよ」 「なにを…」 「俺がこうやって逃げ続けるのもすべて…」
悲しそうな表情だった。カイルは途中で口をつぐみ、少しして勇気のほうを振り向いた。 「いろいろと迷惑かけたな」
小さく笑う。
勇気はなんと声をかけてよいかわからず、ぎこちなく微笑んだ。 「カイル」
カルディールが呼びかける。
カイルは振り向きもせず、その場を立ち去ろうとした。
そして、パン、という乾いた音が夜空に響く。
カイルが、あずさと勇気が驚きに目を見開いて、カルディールを見た。
その手に拳銃が握られていた。 「お前…」
呆然と呟くカイル。 「君をこのまま逃がすわけにはいかない」
凛とした声だった。 「本当なら、君自身の意思で向こうの世界へ帰って欲しいけど…」
カルディールがカイルを見つめる。
カイルもその視線を受け止める。
数秒の沈黙の後、カイルが言った。 「……俺は絶対に逃げ切ってみせるぜ」
そしてカイルもまた懐から拳銃を取り出した。
一気に緊迫する空気。
カイルが静かにカルディールへと拳銃を向けた。 「カイル…」
呟き、カルディールも拳銃をカイルへと向ける。
雨雲はいつの間にか晴れ、さっきまの雷が嘘のようなしずかな夜空。
琥珀色の満月が、二人の対決者に影を落としていた。
「なんかすっごいことになっちゃったわね〜」 あずさは好奇心に目を輝かせ、言った。 「………」 あずさの言葉になんの反応もない勇気。あずさは不思議に思って、勇気のほうを見ると、ひどく真剣な顔をしてカイルたちを凝視していた。 「ゆーき君?」 「……駄目だ」
「は?」 「カイルさん…そんなことしちゃいけない!!」 「……」 (うわぁ…なんか目がイっちゃってるわ)
あずさは思わず失笑しながら、勇気の肩に手を置く。 「あのさぁ、勇気」 「これで最後だ!」
あずさの言葉にカルディールの声がかぶさった。
顔を上げる。
ゆっくりと引き金にかけられたカルディールの指が動く。
そしてカイルもまた……。 「ダメだ!!!」
銃声より先に轟いた大声にあずさは思わずビクッと体をこわばらせた。
そしてそれが勇気の声であることに気づいたのは、勇気がカイルとカルディールの前に立ちはだ
かった瞬間。 引き金が引かれる寸前。
あずさは、カイルとカルディールは目を見開く。
だが、時すでに遅く、銃声が、響いた。
衝撃を受け勇気の体が大きく痙攣する。
そして崩れるように地面に倒れる。
満月を一瞬映し、その目は、閉じた。

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