『後編』
遠くで声が聞こえた。 『誰だろう・・・・。あ………あずさ…?』
誰かに怒りをぶつけているような声。だがよく聞き取れない。声がこもってぼんやりとしか感じ取れない。
その時になって勇気は自分の状況を思い出した。
自分がカイルの前に立ち、カルディールの銃に撃たれたこと。 『俺、死んだのか……』
ぼんやりと思う。
不思議とそうショックはなく、なぜかいい心地だった。ふわふわと漂っているような感じがする。
ぼーっとする意識の中で、勇気は音のない声で呟く。 『先立つ不幸を許してくれ……』
そして勇気は自分の意識がどこかへ導かれるような、引き寄せられていくような感じを覚えた。 『ついに…天国か……』
そう思ったとき、視界が明るくなった。
「あーっ。やっと起きた!」
ひどく不機嫌そうな声が言った。
まだぼんやりとする意識の中で、勇気はどこかで聞いたことのある声だな、と思った。 「ったく、ほんとにメーワクな奴ね〜!」
イライラしながらあずさは言いながら、バチッと勇気の額を叩く。 「まぁまぁ、勇気くんだって親切でしたんだし」
のほほんと笑うカルディール。 「ありがた迷惑な親切だけどな」
倒れたままの勇気を囲み、三人はまったく心配のかけらもない態度で喋っている。
勇気はややはっきりしてきた頭を押さえながら、半身を起こす。
そしてぼんやりと三人を見回した。 「…あれ……? なんでみんな天国に…?」
きょとんとした声に、三人はそろってため息をつく。
そしてまた、あずさが勇気のおでこを力任せに叩いた。 「ぃてぇーっ! …って…あれ? 俺、死んでないの?」
まじまじとなんの外傷もない自分を見下ろす勇気。 「あのね、勇気くん、さっき僕の持ってたのは麻酔銃なんだよ」
あの張りつめていたものはどこに、と言うほどの柔和な笑みでカルディールが言った。 「ま・すぃ…?」 「俺の持っていたのもな」
カイルが銃を見せる。 「勇気は知らなかったかもしれないけど、私は知ってた」
自信満々に言う、あずさ。
知ってたって!って言い返そうとした勇気にあずさがつんと顔を背け、 「言おうとしたら、あんたもう飛び出してたんだもん」
むっとした顔の勇気。 「あとそれとねー」
言いながらあずさがカイルのそばにすりより、かわいらしいとっておきの笑顔を作ってカイルを見あげる。
カイルはわずかに身を引きながら、勇気を見た。 「お前が寝てる間に三人で話し合ったんだ。それで大きな誤解があることがわかったんだ」 「大きな、誤解?」 「そう。僕たちの住む世界では、この世界でいう『吸血鬼』は差別されていないんだよ。普通に共存しているんだ」
カルディールが続け、そしてあずさが結ぶ。 「血を少し飲むっていうだけで害はないんだって」
勇気はぽかんとして、あずさを見、そしてカイルを見た。 「…え? じゃあなんでカイルさん逃げてたんですか?」
その言葉に、カイルはわざとらしく咳き込み横を向く。
そんなカイルを横目で見ながらあずさが笑っている。 「?」 「えーと…それはー…明日僕の学校でね」 「ガッコ?」 「うん。僕とカイルはクラスメイトなんだ。で、僕が保健委員でね」
さらに勇気はぽかんとする。
あまりに自分たちと大差のない世界のような気がして、勇気の顔に意味不明の笑みが浮かぶ。 「それでね、明日はカイルたち“血を飲む種族”の予防接種なんだ」 「………」 「僕たちの世界はねいろんな種族が共存してるんだ。だから血にもいろいろあって、病原菌があったら大変だから、その予防のね注射を…」 「…はぁ…」 「それで、えーとカイルは……」
言い渋るカルディール。
なんだかわからないがいいにくそうな割に雰囲気は和やかで、勇気はさっきの自分の行動を思い悲しくなってきていた。 「あのね…」
言いよどむカルディールに、カイルがやけ気味に叫んだ。 「俺は注射が大ッ嫌いなんだよ!!!」 (注射が嫌い…? 注射がきらい……。注射が…) 「それで家出して、逃げてきたってわけ」
あずさが笑いながら言った。
あまりに間抜けで予想外の答えに勇気は一瞬気が遠くなった。
(そ………そんなくだらないことに俺は巻き込まれてたのかっ! そんなことであんなに緊迫してたのかー!)
急に全身を襲う疲労感。 「ぼく、保健委員だからカイルを説得しにきたんだ。カイルのお姉さんにも頼まれたし。あ、カイルのお姉さんはうちの学校の保健医なんだけどね」 「はあ…」
と言う気力しか勇気には残ってない。 「俺だって…注射を打つのが姉貴じゃなかったら素直に受けてるよッ!」 「別にいいじゃないか。綺麗で優しいラズさんに打ってもらえるなんて」 「は!? お前は姉貴の注射を受けたことがないからわかんねえんだよ! あの超ド下手! すっげぇ痛い上に血が吹き出すんだぜ!」 「えっ。ほ、ほんとに…?」
大きく頷くカイル。ラズさんに限ってと呟いているカルディール。
和気あいあいとしている二人を見て、がっくりと肩を落とす勇気。
そんな勇気の肩にポンと、手が置かれた。
顔を上げると、あずさが何か悟ったような顔つきで、 「あんたの気持ち、わかる」 と、うんうん頷き、言った。
勇気は冒険への夢が打ち砕かれたことに対して泣き崩れるのだった。
そして数十分後。 「このたびは本当にご迷惑かけました」
深々とカルディールが頭を下げた。
ついに二人が異世界へ帰るときが来たのだ。
カイルも勇気の自分を心配する気持ちに打たれて、カルディールの説得に応じたのだった。 「悪かったな。いろいろ迷惑かけて」
あずさと勇気を交互に見て、カイルが爽やかな笑顔を浮かべ言う。
そしてポケットから一枚のカードを取り出した。 「これ、やるよ」
それは異空間ゴールドパス。異世界と異世界をつなぐ鍵。 「これを使ってぜひ、ぼくたちの世界に遊びに来てください」 「ありがとう」
カルディールから勇気へ授与される。 「じゃ、帰るか」
カイルが言った。
それにハッとしてあずさが慌ててポケットからカメラ付きケータイを取り出す。 「ちょ、ちょっと待って!」
とカイルに走りよって、はいチーズ!、とパシャッ。 「カイル様! お元気で!」
手をしっかと握り締めカイルを見つめるあずさ。 「あ、ああ」 「じゃあね、カルディール」
カイルからカルディールへ視線を移し、軽く手を振るあずさ。 (なんなんだ、この態度の差は) と男三人は思った。 「…はい。そ、それじゃあ」 「またな」 「さようならー」
手を振り振り。
そしてカルディールが異空間パスカードを夜空にかざす。 「異界のへ門よ、我が下へ来たれ!! そして我を誘え!!」
呪文を唱えるカルディール。 (なんか大げさね。呪文だけは)
あずさは笑顔で見送りながら、そんなことを考えていた。
こうして、異世界の二人は帰っていったのだった。
二人が帰っていった夜空を、あずさと勇気はしばらくの間見上げてた。 「あーなんか、面白かったけど疲れたー」
言いながら、大きく背伸びするあずさ。 「疲れまくりだよ」
首を回しながら肩を叩く勇気。 「ね、いま、何時?」
あずさは聞くくせに自分のケータイで時間を見る。 「うげげ!!! 12時……」
二人は顔を見合わせ、大きくため息をついた。 「早く帰ろうぜ…」 「うん…」
校舎へと入っていく。 「ねえ、ワリカンでタクシー乗って帰ろうよ」 「だなー。もうきついしなー」
階段を下りていきながら話す二人。 「ていうか明日、文化祭だったよねー」 「うぅー、きつー!」
などなどと、きつくはあるがようやく家に帰れる安堵感で二人の顔には微笑があった。
だが…一階に着いたとき…。 「うわぁぁぁぁ!!!!」
男の叫び声が、響いてきた。 (なによ…。私はもう帰るのよー!) (なんだよー! 俺はもう寝たいんだよー!)
二人はうんざりと心の中で叫ぶ。
げんなりした表情で、声のしたほうを見ると、明かりのついた教室が。そこは職員室。 「…………あ」
二人は呟いた。
ガラッと職員室のドアが開き、出てきたのは気絶していた教師。
教師はあたりを見回し、二人の存在に気づいた。 「し、白鳥…、ま、ま、松村〜!!!」
今にも転びそうな足取りで走ってくる教師。 「し、職員室のま、窓が……さ、さっき変な男が…!」 (さっきてもう、何時間前だよ)
心の中で突っ込む二人。
自分が気絶してる間に何が起こったか知らない教師は、興奮しまくっている。
こうしてあずさと勇気はこの教師をなだめ、警察に電話させないように説明説得するのに時間を費やし、割れたガラスの後片付けなどという、異世界からの訪問者の残していった後始末を深夜に及んでしなければならないのだった。
そして、二人がようやくタクシーに乗り込んだときには、すでに2時半を回っていたのだった。
お・わ・り

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