『Lovely Name』
2
いろんな音が混じり合っている。
ゲームの音、プリクラをとっている女の子たちの笑い声。子供たちの楽しげな声。
UFOキャッチャーのある一角に水都と遊はいた。
遊はひどく真剣な顔でUFOキャッチャーをしている。
景品は抱き心地のよさそうなタオル地の大き目のクマ。
数種類の表情をしたクマがガラスケースの中で寝ている。
クレーンがゆっくりと動いているのを、水都と遊はじっと見つめていた。
コントローラーは上下左右自由に動かせるもので、遊は細かく微調整をする。
そしてボタンを押し、斜め角度を決定、クレーンはクマめがけて下降していく。
ずっしりとクマの胴体真ん中あたりでクレーンが沈み、クマをはさみこむ。
「あっ」
水都の声と同時にクマの体が宙に浮く。
持ち上がれ!、と心の中で叫ぶ遊。
上半身が起き上がり、足も、と思ったところでバタリ、とクレーンから落ちてクマは横に倒れた。
「ああーっ。おしいっ!!」
ガラスに張り付くように顔を寄せ、水都が落胆の声を上げる。
「あとちょっと手前だったかなー」
遊もため息混じりに呟いた。
「うん、そうだね。ほんっとおしかったね。もうちょっとだったのに……」
水都の残念そうな声があがる。
だが言葉は途中から急速にしぼんでいく。打って変わって緊張したような表情でとり損ねたクマを見下ろす水都。
遊はちらり水都に視線を向け、再度ため息をついた。
さまざまな意味合いのこもったその響き。
そして財布からもう8枚目になる百円玉を取り出した。
百円玉を見下ろし、心の中で気合を入れる。
いつもならあっという間に、たいてい1、2回で取れるのに今日に限ってまったく駄目だった。 「今日はイマイチ感覚がつかめないなー。なんでだろうなー」
遊はぼやき、そして笑顔を貼り付け、水都を見る。
「水都の応援が小さいからかなー」
半分いやみ半分本気で言うと、 「えっ………」
わずかに頬を引き攣らせる水都。
視線を泳がせつつ水都は苦笑いを浮かべながら、クマを指差す。
「あの、でもほら、さっきよりも取りやすそうになったよ。今度はきっと取れるよ! せん……。ゆ、ゆ、ゆ」
言葉途中、せん、のところで一瞬止まって、結局最後はしどろもどろ。
ひきつった笑顔のまま固まった水都にまたまたため息をつき遊はUFOキャッチャーに向かった。 慎重に慎重に、クレーンを移動させる。
水都は祈るように手を組み合わせてそれを見つめている。
8度目の挑戦。遊は冷静な視線でクマの位置とクレーンの位置を見極める。 そして、ついに、クマが浮き上がった。 クマの腕の下あたりを挟み込んだクレーンはがっちりとクマを持ってくる。 そしてボタッ、とクレーンから取り出し口へとクマが落ちてきた。
8回かー、と呟きながら遊はクマを取り出す。 そしてポンと水都の腕のかなに抱かせた。
水都は腕の中のクマを見てぱっと顔を輝かせると歓声を上げた。
「やったね、先輩! ありがとっ」
無邪気に喜ぶ水都。
遊も微笑む。
だが内心複雑だ。きっと水都はとれたことにホッとして一瞬忘れてしまっているのだろう。
そう思いつつも、罰ゲームと遊は素早く水都にキスした。
「ん、取れてよかったな」
クマを抱きしめたままの水都の顔から血の気が引く。
水都を見つめながら遊は笑みを消した。今日何度目かわからないため息をつきそうになるが飲み込んだ。
二人がゲームセンターへきて、すでに1時間は経過していた。 そして二人が今日会ってすでに1時間半。 先輩禁止令が出て1時間20分。
その間、すでにふたりは20回近く、街中でキスをしていた。
最初、遊はオロオロしている水都を見ているのが楽しかった。
だが10回を過ぎた時点で心境は微妙に変化してきていた。
もしかしてキスをしたいためにわざと"先輩″と呼んでいるのではないだろうか、とさえ思ってしまう。
まぁそんなことはもちろんないのだが。
だからこそ、落胆してきていた。
気を抜いたらあっという間に水都は罰ゲームを発動させてしまう。
「プリクラでも撮る?」
少しぼうっとしていた遊に、にこにこと笑顔を作って水都が言った。
テンションのやや下がった遊を覗き込む。
「んーそうだなー。なんかお腹すいたな。どっか食べ行こうか」
遊は気分を盛り上げるように笑顔を返す。
せっかくのデートをどんな理由があれ、盛り下げるのはいやだった。
「うんっ、セン―――」
ほっとしたように水都が勢いよく頷く。
だがついでに、”センパイ”の言葉がでそうになって慌てて口をつぐんだ。
遊は内心ため息をつき、ちらり水都を見る。
水都は頬をひきつらせて、なにか考えるようにあたりを見回すと、
「………あ、あの……ちょっとトイレ行ってくるね」
と言った。
「わかった。俺、前の本屋行ってていい?」
遊は特に追求せず、視線を店の外へと向ける。
「うん」
手を振って化粧室へと走り去っていった水都を見送って、遊はゲームセンターを出た。
「それにしても……そんなに俺の名前って呼びづらいのかなー」
ゲームセンターを出て、向かいにある本屋へと行く。
通りに面した雑誌コーナーに立ち、ぽつり遊は呟いた。 たった2文字だから呼びやすいように思える自分の名前。 だが水都はどうしても呼べずにいる。 恥ずかしがりやだとは知っていたがあれほど呼べないとなると、なにか落ち込みもする。 「んー……。突然先輩から呼び捨てっていうのがきついのかなー。じゃあ……『遊くん』とか………?」 遊くんなー、ブツブツと呟いていると、隣にいた男子高生が変な目で見ていた。
すっと表情を引き締めて、口をつぐむ。なんとなく居づらくて、本屋を出た。
隣のビルの階段に腰掛ける。
ぼんやりと通りを眺めるとさまざまなカップルがいる。
楽しそうに手を繋いでいたり、ベタベタと腕を組んでいたり。
人目もはばからずキスをしているカップルもいて、思わず苦笑してしまう。
自分と水都も傍から見たらバカップルなんだろうなぁ、そんなことを思った。
「ねぇ! 新しいピアス買ってよー! この前買ってくれるって言ってたじゃない」
拗ねるような甘えるような声が聞こえて視線を向けると大学生くらいのカップルがいた。
口を尖らせて「買って買って」とねだっている。
しかたないなぁ、としぶしぶの男。
遊のいるビルから2軒隣のアクセサリーショップに入っていった。
その後姿を目で追って、それからなんとなく遊もその店の前に行った。
ショーウィンドウにはいろいろなアクセサリーが並んでいる。
「………これ、水都に似合いそうだな」
花の形をしたガラス細工にペリドットがついたシルバーリング。
遊は顎に手をあて、眺め、そして本屋のほうを見た。
水都のくる気配はまだない。
少しほかのも見てみたいな、そう思った。
きっと自分の姿が見えなければ電話してくるだろう。
自分の携帯電話がバッテリー切れになってることにも気づかず、遊はのんきに店内へと入っていった。
化粧室へ行くと、水都は個室に入ることもなく、洗面所の前にたちカバンから空色の化粧ポーチを取り出した。
携帯用のブラシでさっと髪をとかして、リップを塗りなおす。
ラズベリーの香りのリップ。ほのかな甘い匂いにほっとした。
今日はひどく疲れを感じていた。
鏡の中の自分を覗き込む。すこしして水都は大きなため息をついた。
「サイテー……バカ」
ぼそりと呟かれた言葉は、もちろん自分に対してのもの。
唇を尖らせて、自分自身をにらむも、ばからしくなって再度のため息。
なんで「遊」と呼べないのか、自分で自分が不思議に思ってしまう。
たった二文字なのに。
好きな相手の名前を呼ぶのにこんなに苦労している自分が馬鹿らしいととおりすぎて、情けなかった。
「小学生じゃあるまいし……。っていうか……小学生以下だよねぇ」
乾いた笑いが浮かんでしまう。
ゆっくりと深呼吸をひとつして、水都はぐっと唇をかみ締めた。そしてパンと両頬をたたく。
「ぜったい! もう"センパイ”はなし!」
そう自分に向かって叫んだ。
「ゆ、ゆ………」
もう一度深呼吸。
「ゆ、ゆう……。ユウ、遊」
口の中で何度となく呟いてみる。
「遊」
にっこりと笑顔を作って、再度口にする。
鏡にうつる自分の笑みと、きちんと言えた"名前"に、ぐっと水都はガッツポーズをつくる。
「大丈夫! いける!」
気持ちを奮い立たせて、水都はトイレをあとにした。
気合がそがれる前に、この調子が崩れないうちに、早く遊自身に名前で呼びかけねば、と水都は本屋へと急いだ。
積み重ねられた雑誌コーナーから店内に入り、あたりを見回す。
広い店内にはそれぞれのコーナーがある。マンガ、新書、文庫本、洋書。
そんな奥まったところにはいないだろうと思いつつ、探しながら店内を歩く。
そうして水都は入り口へと戻ってきた。
「………あれ……?」
首を傾げ、どこかで見落としたのだろうか、ともう一度探し回る。
だが遊の姿はなく、水都はじょじょに青ざめていった。
「ほ、本屋って言ってたよね………。なんでいないのー……?」
水都は聞き間違ったのだろうかと、あわてながらケータイを取り出し遊にかけた。
だがコール音もなく、機械的な音声案内が流れ出す。
『電波の届かないところにあるか―――電源が―――――』
水都は呆然としてケータイの液晶画面を見下ろした。
青ざめていた表情は蒼白になっていく。
まさか、と不吉な予感が過ぎって水都は眉を寄せる。
"遊"と呼ぶことができない自分にうんざりして怒って帰ってしまったのではないだろうか、そんなことが頭に浮かんだ。
「どうしよう」
いまにも泣き出しそうな表情で水都は呟き、そして遊を探すため走り出したのだった。
店内には女の子同士やカップルが多い。なかなか繁盛している店だった。
ぶらぶらとアクセサリーを見回す。
「なにかお探しですか?」
女性店員がにこやかに話しかけてきた。
遊は特に動じるでもなく、にこやかな笑顔を返す。
「別に探してるわけじゃないんですけどね、なんか可愛いのないかなぁと思って」
若い女性店員は一瞬遊の笑顔に見ほれて、あわててショーケースに視線を落とす。
「あのこれなんてどうでしょう。きのう入荷したばかりなんですよ」
そう言って、ピンクゴールドを使ったシリーズのアクセサリーを出してきた。
(ピンクゴールドかぁ。可愛いけど、水都にはゴールドよりプラチナとかのがいいよなぁ)
「ピンクゴールドがいいな、先生」
ぼんやり考えていた遊は横を見る。
スーツ姿の20代後半くらいの男と若い女の子だ。
女の子のねだる声っていうのはどこもいっしょだな、そんなことを思いつつ、店員が出してくれたアクセサリーに視線を戻す。
「なぁ、お前さぁ、いい加減に先生っていうのやめない? 名前で呼べよ」
「えええー」
どこかで聞いたような会話に再度カップルを見る。
「だってさ。ずっと先生だぞ? いい加減、下の名前で呼んでもいいだろ」
(そうそう、俺だってずっと"先輩"だよ)
心の中で男の言葉にしみじみ頷く。
二人がどういう関係なのかは知らないが、遊はひどく男に共感した。
「ええ、でもぉ」
「なんだよ、なんでダメなんだよ? 俺の名前ってそんなに呼びにくいのか?」
(ほんと。なんでだ?)
遊はショーケースに肘をつき、アクセサリーを熱心に見るふりをしてカップルの会話に耳をそばだてている。
「そんなわけじゃないけど」
(じゃぁどんなわけなんだ)
自分の彼女でもないのに、思わず心の中で突っ込む。
「それじゃあさぁ……。俺たち来月結婚するんだしさぁ」
男はため息をつきながら、肩を落としている。
遊は激しく男に同情した。
「だから、結婚するんだから、いまのままでいいじゃない」
「なんで」
(なんで)
男と同時に呟く遊。
「だって―――――」
遊はちらり女の子を見た。
どう見ても男より10歳近く若そうに見える彼女は照れたように笑い、
「だって、結婚したらちゃんと名前で呼ぶんだよ? だからぁ、それまでは先生って呼んでいたいの。だってそんな風に呼べるのってきっと今だけだし。貴重じゃない?」
貴重――――。
思わず遊の口から呟きがこぼれた。
「……お客様?」
店員が訝しげにしている。
だが遊はお構いなしに「……貴重」と繰り返し呟いた。
頭の中でめまぐるしく駆け巡るさまざまな想い。
今か、未来か。
あとの楽しみに取っておくべきか。
ブツブツと口の中で呟く。
「ううん。そう言われればそうだなぁ」
のんきそうに男が言う。
「まぁいいよ。呼び方なんて! それより指輪ぁ!」
彼女に押し切られるようにして二人は再び指輪探しを始めたようだ。
だが、遊は、困惑している店員の前でひどく真剣な顔をしてまだ悩んでいる。
(遊か先輩か……。今を生きろ。今しか呼べない呼び方――――)
顎に手をあて、さらに悩む。
「あのー……」
店員がどうしようというように声をかけた。
そしてようやく、遊が顔を上げた。
晴れやかな満面の笑みを浮かべる。
「またあとで、彼女と一緒に見に来ます」
そう言うと、遊は呆気に取られる店員を残しさっさと店を出ると本屋へと向かった。
本屋に入り、あたりを見回す。
水都の姿は見えない。
首を傾げつつ、本屋から出てケータイを取り出す。と、そのケータイが充電切れということにようやく気づいた。
「げ………」
ヤバイ、と思った次の瞬間、グイッと腕が引っ張られる。
「先輩!」
振り返ると半泣き状態の水都がいた。
目を潤ませた水都にきょとんとして遊は声をかける。
「どうした?」
「どうした……って。だって先輩いないんだもん!」
上擦った声で言う水都に、思わず笑いがこぼれてしまう。
ずいぶんと探し回ったのだろうか。不安そうな表情に、遊は不謹慎と思いつつも可愛いなぁと思ってしまう。
遊はぽんと水都の頭をたたくと素直に謝った。
「ごめんごめん、ちょっとブラブラしててさ」
笑顔で言うと、ようやくほっとしたように水都はため息をついた。
「怒って帰っちゃったのかと思ったよ」
「怒る?」
不思議に思う遊に、だって、と水都は視線を落とす。
「私がぜんぜん先輩のこと名前で呼べな……」
あ、と水都は口を押さえた。
恐る恐る遊を見上げる。
「ごめ……。私また。あ、あの。ちゃんとこれから言うから。あ、あの……」
一生懸命な表情で水都は顔を赤くさせながら『遊』と言うべく、口を開きかけた。
だが。
「………っ!?」
突然、遊は手で水都の口をふさいだ。
眉を寄せて困惑する水都に、遊は静かに首を振る。
「もう、いいよ」
言って、ゆっくりと手をのける。
「え? ……いいって?」
目を点にする水都に遊は爽やかな笑顔を向けた。
「今までどおり先輩って呼んでいいから」
「はぁ?!」
ぽかんとしてから水都はオロオロとしている。
「え、あのでも私、もう大丈夫だよ? ちゃんと呼べるよ?」
焦った様子の水都は可愛い。だが、その口が
「ゆ―――」
と、開いたとたん、再び遊は水都の口をふさぐ。
「ダメ」
にっこりと、だが命令口調。
水都は一転して変わった遊の態度に「え?」と言うしかできない。
「ダメって……」
「もういいよ。あの罰ゲームも解除! いままで通りに先輩、な?」
「なんで?」
なんで…って、と遊はニヤニヤする。
(わざわざ名前で呼ばせるなんてもったいない。いつかはどうせ名前で呼ばなきゃいけなくなるんだしな)
センパイ、という響きがいかに"貴重”であるか。
遊は一人考え頷きながら、「まぁ気にしなくっていいよ」とだけ言った。
わけのわからない様子の水都の手をとる。
「な、それよりさ。水都に似合いそうなデザインのアクセサリー見つけたんだけど、買いにいかないか?」
指輪はまだ早いかもしれないが、似合いそうならそれでもOKか。
「なにそれー!? 私すっごく頑張ったのに、もうっ!」
水都はやや怒った様子で、
「先輩ってほんっとワガママなんだからっ」
と口を尖らせ、ため息混じりに言った。
だが遊は一向に気にする様子もなく、楽しそうに水都の手を引いて歩き出した。
いつまでだって一緒にいるんだし、呼び方なんていつでも変えられる。
先は長い。
今は今しかできないことを楽しむだけ。
いつか"遊″と呼ばれることを楽しみにして。
遊は一人笑いながら、ぎゅっと水都の手を握り締めたのだった。
end。
[2005/9/21]
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