Bitter Sweets
18 - 12月23日A いざ玲の家へ。そしてまさかの!?


マンションのエントランスでオートロック解除してもらい上へ上がる。
「こ、こんにちわ!」
とドアフォンでの挨拶は引き攣った笑みとどもった声になってしまい、玲には無言でスルーされてしまった。
キスのことがどうしても頭から離れず、いったいどういう態度をとればいいのかと悶々としてしまう。
エレベーターの中でさんざん悩んで、降りてからも悩み玲の部屋の前に辿りつくまでに10分ほどかかってしまっていた。
インターフォンを鳴らして数秒後玄関ドアから顔をのぞかせた玲は一言「遅い」と呟くと、さっさと室内に戻って行った。
相変わらず引き攣ったままの笑みを浮かべていた美冬は目の前で閉まったドアに、ようやく玲の素っ気なさを実感し苛立ちながら中へ入る。
「お邪魔します……」
キスのことをやたら気にしてたのが馬鹿みたいな気がした。
ぼそり一応そう呟いてリビングに向かう。
リビングのドアを開けると途端に甘い香りに包まれた。
その美味しそうな匂いに苛立ちもわすれて頬が緩む。
ぐるり見まわすと、キッチンにいる玲がせわしなく動いていた。
広めのキッチン。カウンターには焼き上がったスポンジが3個積まれていて玲は真剣な表情でケーキのデコレーションをしている。
「……すごい、美味しそう」
興味津津に美冬は玲の作業を覗きこむ。
ブルーベリーとラズベリー。リボンのような曲線を描く幾何学模様の入ったチョコレートをセンス良く飾って行っている。
最後に粉砂糖を雪のように散らして完成のようだった。
ケーキの仕上がりを最終チェックしている玲の傍らで美冬もじっとケーキを眺める。
お店で売っているものと比べてもなんら遜色のない玲のケーキはとても美味しそうで美冬の頬は自然と緩んでいた。
「おいしそう」
ぽつりとこぼれた呟き。
作業を終えた玲はようやくケーキから美冬へと視線を向けた。
「お前の分は別にある。食うなよ」
美冬に取られないように、とでもいうようにケーキ箱に仕上がったケーキを収めていく玲。
わりと大きい冷蔵庫にはケーキの箱が詰められていた。
出来上がったものを入れる代りに取りだされたケーキ箱。
付箋が貼ってあり『みー』と走り書きされている。
それが自分のことだとわかって、美冬はなぜか顔が熱くなるのを感じた。
たいていいつも『お前』呼ばわりで、名前で呼ばれたことなどあったかと考えなければ思い出せないほどだ。
そんな玲が、仕分けのためとはいえ自分のことを愛称で書いていてくれた、それが嬉しくて―――。
「なんだよ、ニヤニヤして、気持ち悪いな」
胡散臭そうに眉を寄せる玲の冷たい言葉に、緩みきっていた美冬の顔はすぐにムッとしたものに変わった。
玲から視線を逸らし、美冬は口を尖らせる。
そもそもなんで自分が"みー"と書いていたというだけで喜ばなきゃならないのだ、とついさっきの自分の気持ちに疑問がわき上がる。
別に気にするようなことなどなにもないのに。
と、自分に言い聞かせるように美冬はギュッと拳を握りしめ気合を入れる。
「アキ! 別に私あんたのことなんて気にしてないから!!」
勢いよく玲のほうへと再び顔を向けて叫んだ。
だが玲は美冬に背を向けてケーキ箱を紙袋に入れているところだった。
「あ? なんだって?」
聞こえてなかったらしい玲に再び美冬は口を尖らせると背を向けて俯いた。
ひどく自分が空回りして、ひどくばかのような気がする。
だいたいさっき叫んでしまった内容だって、いきなりなんだというものだろう。
冷静になればなるほど、急激に羞恥が襲ってきてずるずると床に座り込んでしまった。
「おい、なにしてんだよ」
不思議そうにキッチンから出てきた玲がケーキ袋を片手に首を傾げる。
「ここ、置いておくからな」
それをテーブルに乗せ、玲は呆れたように美冬を見下ろした。
ちらり顔を上げた美冬だがすぐに視線を逸らす。
「なんだ、お前」
「別に……」
この部屋に来るのにさんざん悩み、来てからはくだらないことで一喜一憂してしまっている自分にうんざりしている、など玲に言えるはずもなかった。
「おい」
それにまるで―――自分が玲のことを―――……。
「おい、みー」
ぼうっとしていた美冬は不意に呼ばれた自分の愛称に、顔を上げ―――背をのけぞらせた。
いつのまにか玲が美冬の目の前に屈みこんで見つめてきていたのだ。
あまりにも近い距離にいる玲に、一瞬にして顔が赤く染まる。
「な、なによ!」
それを隠すように、消すようにまた叫ぶと、玲はため息をついて美冬になにかを差し出した。
目の前に差し出されたものをまじまじと見つめる。
透明のフタ付きのデザートカップに入った丸く白いお菓子。
「……クッキー?」
「スノーボールだよ」
ああ、とサクサクで甘いその味を思い出しふっと気が緩む。
「ほら、やる」
「……いいの?」
「ああ」
恐る恐る受け取って、眺める。
このクッキーもお店で見かけるものと変わらない、まるで売り物のように綺麗に完成されていてとても美味しそうだった。
「どうせ腹減って変なんだろ?」
一個食べていいかな―――、と考えていた美冬に玲の声がかかる。
「……は?」
変ってなによ、と玲を睨みつけるが、玲は気にする様子もなく美冬の手に渡ったカップを取る。
くれるといったのにどういうことなのだろうかと呆然と玲を見つめた。
玲はカップを開けてスノーボールクッキーをひとつ取りだす。
味見でもするつもりなのか、と美冬がそのクッキーの行方を眺め―――目を見開いた。
「ほら」
唇に押し当てられたスノーボールクッキー。
シュガーパウダーの柔らかい感触がする。
「食え」
玲の言葉に無意識に美冬は口を開け、そこに玲がスノーボールクッキーを押しこんできた。
頬が大きく膨らむ。もごもごと口を動かしながら噛み砕くと香ばしいクルミとナッツの匂いと味、そしてほろほろと崩れる食感と甘さに膨らんでいた頬はあっという間に緩んで行った。
「おいひいー!」
やっぱり玲のつくるお菓子はその辺のお店のものより美味しいと思う。
美冬は緩みきった顔で玲を見て―――顔を背けた。
心臓の音が一気に加速するのを感じてさりげなく胸を抑える。
「うまいだろ」
「……う、ん」
ちらっと視線を戻すとやはり美冬の見間違いじゃなく玲は微笑していた。
初めて見る穏やかな笑みに妙に恥ずかしくなり顔が熱くなっていく。
赤くなる必要なんてないはずなのに、美冬にはそれをとめることも玲を直視することもできない。
「やっぱり腹へってたんだな」
「はら?」
怪訝に首を傾げると、玲はもう一つスノーボールを美冬の口に押し込んだ。
「なんかずっとソワソワしたり変だったから腹減ってるんだろうと思ったんだよ」
当たってただろ、としたり顔をする玲に口を動かしていた美冬は呆然として玲を見つめた。
「あ、あんたねぇ、私はそんな食い意地はってないっつーの!!」
「張ってるだろ」
思わず叫ぶ美冬に玲が冷静に切り返す。
「ど、どこがよ!」
「いつもピザまんだのチャーシューまんだのケーキだの言ってるし、食いもの食ってる時が一番幸せだろ」
そうとしか考えられないとでもいうように玲の断定的な言葉に美冬は拳を震わせる。
確かにそうだ。
そうではあるけど、でもそればかりじゃない。
この部屋に来るのにどれだけ悩んだか、ここ数日食欲が減ったという事実さえあるのだ。
「わ、私だってね、悩みがあるのよ! ソワソワしたり変だったりしたのは、全部アキのせいじゃん!!」
まったくなにもわかっていない、先日のキスのことを覚えてもいなさそうな玲に苛立って美冬は叫んでいた。
とたんに玲は眉根を寄せる。
「俺?」
「そ、そうだよ! 全部アキのせいだよ!」
「俺がなにしたんだよ」
「な、なにってキスしたでしょ!?」
叫んで、ものすごく自分の顔が熱いことに美冬は気づいた。
そしてすぐに言ってしまったことを後悔する。
気まずくはあったけど、自ら蒸し返すこともなかったのに。
「キス……。ああ、あれか」
玲は不思議そうに首を傾げて思いだしたようだった。
まるでなんでもないことのように呟いた玲に美冬の苛立ちは増す。
「あれかじゃないよ! キスだよ、キス!」
「何回も言わなくてもわかってるよ」
「わかってないよ! 行動の分析でキスとかありえないでしょ! キスだよ!」
「うるせえな」
「うるさくない!」
「ったく」
「ったく、ってなによ―――っ」
言葉の途中で、美冬は固まって目を見開いた。
美冬の視界いっぱいに広がるのは柔らかそうな玲の前髪とそしてドアップの玲の顔だ。
はっきりとした温もりが重なってる唇に、キスされているんだと実感する。
思考も何もかもストップした状態でただ美冬は玲の唇が離れていくのを待った。
ずいぶん長い間にも思えたけれどたぶんほんの数秒のキス。
「ひっ」
思わず悲鳴がこぼれたのは離れる寸前に玲が美冬の唇を舐めていったからだ。
「粉砂糖ついてた。甘い」
玲は唇を指で拭いながら淡々とした表情で言ったのだった。