『Sweet Eden』



5



 伊織のことがずっと好きだった。



 静寂に包まれていた。
 すぐそばには海があって、波の音はやむことがない。
 なのに、まるで切り離されてしまったかのような静けさを夏希は感じた。
 するり、と握り締めていた手から力が抜ける。
 潮風に乾かされた涙が頬にはりついたような突っ張った感触がした。
 窒息するような静けさが、夏希の足を震えさせる。
 いつのまにか涙は止まっていたが、さっきとは違う思いで泣きたくなった。
 なぜ言ってしまったのだろう、と。
 激しい後悔にこの場を走って逃げたくなる。
 伊織は何も言わない。
 じっと夏希を見つめる目はひどく真剣で、だがその表情からはなにも読み取ることができなかった。
「…………伊織が好き」
 静寂を、いや沈黙をどうにかしたくて、小さな声でもう一度言った。
 伊織は一瞬目を伏せ、そして海に目を向けた。
「夏希」
 ビクンと肩を震わせ、伊織の横顔を凝視する。
「それは」
 ふっとため息をこぼし、小さな笑みを浮かべて伊織は夏希に視線を戻す。
「気のせいだよ」
 穏やかな声。
 夏希は言われた意味がわからず、目をしばたたかせた。
 伊織が再度、ゆっくりと言う。
「俺を好きだなんて、勘違いだよ」
 頬がひきつるのを夏希は感じた。
「………なに……?」
「お前の思い違いだよ」
 足がガクガクと震える。そのまま地面に跪きそうになるのを必死でこらえながら、引きつった笑みを浮かべる。
「なんでそんなこと言うのよ。ねぇ、伊織は………」
 ずっと、ずっと想っていた気持ちをそんな簡単に一蹴するのか。
 ふらりと伊織のそばにより、その腕をつかむ。
「なにが想い違い? 勘違い? ずっと苦しくてずっと好きで」
 なのに。
「どうして、違うって、言い切れんの?」
「じゃあ、夏希は俺のどこが好きなんだ? いつから?」
 冷めた声に、夏希は顔を歪めた。
 いつも一緒にいた双子の片割れ。
 そっくりでなくったって、同じものを共有していると、そう思っていた。
「全部だよ。伊織の全部が好き。あの時、気づいたんだもん」
 あの時、中学生だったあの日、あの放課後。
 思い出しただけでも胸がざわつく。
 伊織がキスを――――。
 耐え切れず、夏希は地面にへたり込んだ。足を沈める砂は少し暖かい。
「勘違いなんていわないでよっ! 全部なかったことになんてしないでよ……っ」
「………夏希……」
「嘘じゃない、私は本当に、伊織が好きなんだよ」
 叫ぶように言って泣きじゃくる夏希。そんな夏希の前に伊織が屈みこむ。
「好き、好きなの」
 伊織に抱きつき、繰り返す。
 身じろぎひとつしない伊織。
 夏希の嗚咽が波の音と重なる。
 ずっとずっと閉じ込めてきた想いは、止まることをしらず溢れる。
 しばらくして、小さなため息とともに「わかった」と伊織が言った。
 泣き続けている夏希からそっと身を離す。
「わかった。わかったよ、夏希」
 夏希は手の甲で涙をぬぐい、伊織を見た。
 わかったと言う伊織は苦しげな表情をしている。だが夏希は自分の想いを認めてもらえたことにホッとした。
 自分の想いは通じたのだ、と――――。
「夏希」
 安心して、だからその先をなにも考えていなかった。
 忘れていた。
 伊織の指が夏希の涙をぬぐう。
 その指先の温かさがひどく切なく感じた。

「夏希の気持ちはわかった。俺――――」

 伊織の表情がいっそう苦しげに歪む。

「お前の気持ちには答えられない」

 想いを告げ、そしてその先にあるものは?



「ごめん」




『ごめんね』
 そう言って、いままで何人かを振ってきた。
 言うのはそれなりに苦しかった。
 だけど、だが。
 その辛さは苦しさは、振られた相手のものと、どう違うのだろう。




「お前は俺にとって大切な双子の妹だよ」
 大切、妹、それだけ。
 夏希の望むものとは違う答え。
 "特別"じゃないってこと。
 シンと沈黙が流れた。
 ぼんやりと涙の枯れた瞳で見上げる。
 月の光が、目にしみた。
 伊織の顔が歪む。
 涙は枯れたと思ったのに。

 わかった―――、とそう夏希が呟いたのはしばらくたってからだった。

 先に戻る、伊織が言って去っていく。
 遠のく足音を聞きながら夏希は砂浜に座り込んで波を眺めた。
 涙が一筋こぼれて、落ちた。



「なんで」



 なんで双子なんかに生まれたんだろう。
 顔なんてちょっとしか似てない。
 二卵性だから、結局生まれたのが同時というだけで、同じ人間じゃない。
 どうせなら、同じ人間がよかった。
 どうせなら見分けがつかないくらい似ている双子に生まれたかった。
 もとは一つだったのだと思えるから。
 この寂しさが、恋しさが、当然なものだと、思えるから。



「なんで、双子なんかに生まれたんだろう」



 立ち上がることができない。
 泣いていない、ただ海を見ているだけ。
 もう少し海を見たら部屋に戻ろう。
 そう、ぼんやりと考えながら夏希は涙を流す。
 すべてを流してしまうように。









 それからどれくらいたったのだろう。
 夏希のものとは違うため息がこぼれた。
「いつまでここにいるんだよ」
 海を見つめたまま、夏希は小首を傾げる。
 その横に腰を下ろすのは伊織。
「寝てればいいのに……」
 疲れたような抑揚のない夏希の声。
「心配だろ……。こんな夜の海に一人なんて」
 ふっと、夏希は笑みをこぼした。
「…………伊織って……ほんとマジメ人間だよね……」
 トーンは低いまま、だが軽い皮肉。
「………妹なんだから……。双子の片割れなんだから、心配するよ」
 ふーん、かすれた声でそっけなく呟く。それと同時に目頭が熱くなるのを感じた。
「…………ね……伊織」
「なに」
「手、つないでいい………」
 返事はなく、そっと握り締められる。
 この手の優しさは、ぬくもりは夏希の望んだものとは違う。
 夏希が"特別"だからじゃない。
 夏希が"妹"だから、そばにいてくれるのだ。
 兄として。
「ありがと。―――――お兄ちゃん」
 小さな呟きは潮風にのって、消えていった。

 そうして二人が部屋へと戻ったのは空が白み始めてからだった。
















「また来てね、伊織兄ちゃん」
 こじんまりとした駅のプラットフォームに健太の声が響く。
 笑って頷く伊織。
 電車に乗り込むと、健太が夏希のそばに走りよった。
「な、夏希もまた来ていいぞ。遊んでやるから」
 そう微かに頬を赤らめて、いばったような口調で健太が言う。
 夏希は目を細めて、健太の頭をなでた。
「ありがとう、健ちゃん」
 バイバイと手を振る夏希と伊織に健太は寂しそうにしたあと、笑顔で手を振った。
 そして電車が動き出す。
 たった1泊の小旅行。だが来たときとはなにもかもが、変わってしまっている。
 流れ出した窓の外の景色を眺めながら、健太の母親が作ってくれたおにぎりを二人で食べた。
 それから二人は心地よい電車の揺れに、お互いによりかかるようにして、眠ってしまった。




「カップルかしら」
 近くの席の女性が仲良く居眠りしている二人を見て言う。
「兄妹だろ。顔が似てるよ。双子かもなぁ、年のころからして」
「そういわれればそうねぇ。いいわねぇ、仲がよくって」
 そう微笑が向けられた。

 双子。

 だがまったく一緒じゃない、だが同じ"双り"。

 一番近いのに、遠い片割れ。

 いつか、自分だけの"特別"な人が現れるのだろうか。






 停車した電車に夏希は目を覚ました。
 ぼんやりと寝ぼけた眼差しで横を見る。
 自分の肩によりかかるようにして眠っている伊織。
 それをぼうっと見つめ、そしてまた夏希も目を閉じ眠りについた。










end。
04,11,24
  あとがき20の質問


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