『Limits-7』
ヒカルにどう向き合っていいのか量りかねる樹。
「……それで? 俺の過去出してどうするんだ?」
ため息混じりに言うと、ヒカルは笑顔を作る。
「"脅迫"ってやつですぅ!」
「………お前、ばか?」
「………ばかじゃありませんっ! 綾センパイが先生の過去を知ったら卒倒しちゃうだろうなー」
樹のほうへとわずかに身を乗り出し、ヒカルは目を細める。
煙草をくわえ、樹もまた目を細めた。そして煙をヒカルの顔に向かって吐き出す。
「言えば?」
「え……」
「つーか、お前は一体なにがしたいんだ」
「だから」
「脅迫? 俺の過去をばらすばらさないで、なにを俺がさせられるわけ? 別に過去知られたってどーもしない。これからはあいつだけなんだし」
樹が言うと、ヒカルは身を引いてうつむいた。
「先生は綾センパイのこと、本気で好きなの?」
ちらり視線を上げて、仏頂面で訊いてくるヒカル。
その瞳はひどく真剣で、綾のことを心配しているのがわかる。
樹は今日何度目かわからないため息をついた。
『関係ない』
そう切って捨てればいい。
だが、
「本気だよ」
短く、それだけを告げた。
沈黙が落ちる。
ヒカルの視線を感じながら、樹は煙草を消した。
「脅迫……聞いてくださいよー……ぉ」
ぼそりヒカルが呟く。
先ほどまでの覇気はないが、それでも頬を膨らまし気味にヒカルは手帳をさわりながら上目遣いに樹を見る。
「……なんだよ」
「先生のサイアクサイテーな過去を詳細!!に綾センパイにばらされたくなかったら――――」
視線がぶつかる。
ヒカルは強い眼差しで言った。
「綾センパイを絶対幸せにしてください。絶対泣かさないでくださいっ!!」
樹は一瞬目を見開いて、すぐに吹き出した。
それにヒカルはさらに頬を膨らませる。
「なんですかぁ〜!」
「そんなんお前に脅迫されるまでもない」
「……じゃぁ宣言してください。いまここで! 絶対幸せにするって」
「やだ」
「えー?! なんでぇ??」
「直接本人に言うから。お前には聞かせないよ」
ニヤリ、樹は笑った。
ヒカルは目を点にして樹を見、そして大きなため息をついた。
「せんせーって、かっこつけな人ですねぇ……」
「木沢の脅迫って、回りくどすぎですねぇ」
わざとヒカルの口調を真似て言う。
ヒカルはムッとした表情で、「あ〜!! こんなムカつく先生の毒牙にかかっちゃうなんって〜!! 綾センパ〜イ」と喚いた。
「毒牙って、お前なぁ……」
呆れた眼差しを向けると、ヒカルはため息一つついて座りなおした。
「とりあえず先生の気持ちはわかりました。それに、綾センパイは先生のことが好きだし、卒業まで先生の言いつけどおり先生のこと待つって思うから」
「……おい」
卒業まで待つ、ってことまで知ってるのかよ、と視線だけで突っ込む。
もちろんでぇーす、とにっこり笑顔のヒカル。
「ま、正直、樹先生っていうのが不本意ですけどぉ」
「あー……、お前、綾と茅野くっつけようとしてたみたいだもんなぁ」
「だってお似合いなんだもーん!」
「俺とのほうがお似合いだから」
「……はいはい。とりあえず、協力しますからぁ」
しょうがない、といった口調と笑みをヒカルが浮かべた。
「別に協力とかいらねーんだけど」
樹の言葉に、ヒカルはにこにこと笑いながらバッグから新たな封筒を取り出した。
「まー、そんなこと言わないでくださいよぉ。ヒカルが味方だなんって、すんご〜く心強いですよぉ〜! これ、脅迫成立のお祝いってことで」
なんだ脅迫成立って、と呟きながら樹は封筒の中を見た。
数枚の写真が入っていて、それらはいずれも綾の写真だった。
それも――――……。
「木沢……。お前やっぱりストーカー?」
居眠りしている綾やら、体育の授業中らしきストレッチしている綾の姿などなど。アングル的に見ても隠し撮り間違いない写真ばかりだ。
「ストーカーなんかじゃないですってばぁ!」
「じゃー、盗撮魔?」
「もー!!! そんなこというなら返してくださいよぉー!!」
「………」
そこは無言で写真をポケットに仕舞う樹だった。
「それじゃぁ、そういうわけで〜。先生、明日からもお仕事がんばってくださいねぇ〜!」
ヒカルは手帳をバッグに仕舞い、立ち上がる。
「あ、くれぐれーも!!! 綾センパイが卒業するまでは、手出さないでくださいよぉー!!!」
迫力のない目で睨んでくるヒカルに、樹はハイハイと手を振る。
ひどく疲労感を覚えながら、樹は店先までヒカルを見送った。
樹と、その横に立つ司に大きく手を振りながらヒカルはタクシーで帰っていったのだった。
まるで嵐が去ったよう。一気に脱力感が湧く。
「……で。今の子って……何者なわけ……?」
樹とヒカルの話を立ち聞きしていた司が去って行ったタクシーを眺めながらポツリ呟いた。
「………盗撮魔でストーカーでスパイ?」
まさかな思ってもみないヒカルの乱入に正直驚きは大きかった。
ヒカルのマル秘ノートとやらもかなり気になるところではあるが――。
「まぁでも……悪いやつではないな」
ヒカルとの話の中で、綾に対する想いを改めて持ち直したような気もする。
「そーだなー。"綾ちゃん"大好きみたいだしな〜」
ニヤニヤと司が笑う。
横目でちらりそれを睨むと、司はひるむことなく樹の肩に手をかけ耳元に口を寄せた。
「大好きな"綾ちゃん"が卒業するまでは手出しちゃいけませんよ〜。我慢我慢」
楽しくてしかたがないといった風に目を輝かせ言った司に、樹は肘鉄を食らわせ、店に戻った。
もうすっかり冷めてしまった竜田揚げ。味噌汁はすでに飲んだあとだったから、お替りを頼み、冷えたご飯で竜田揚げを食べる。
立ち聞きをしていた司もまた冷えた食事を再開していた。
「しっかしさー、まさかお前がねぇ」
店主から温かい味噌汁を受け取り、すする。熱が喉を過ぎて染み渡っていく感じにほっと息をつきながら、ちらり樹は目だけを司に向ける。
「ほんっとサイテー男だった樹くんがこんなに一途になるなんて。お兄ちゃん嬉しいよ」
(誰がお兄ちゃんなんだ……)
あえて突っ込みをいれたくなく、胸の内で冷たく呟く。
「まぁでもほんと」
からかいの口調に、わずかな真剣味が帯びる。
「いずれ紹介してくれよなー」
向けられた視線は柄にもなく応援している様子が見れて。
樹は口元をふっと緩めると、
「気が向けばな」
そう返した。
可愛くない奴だなー、と司が口を尖らせながらも笑っていた。
翌日、樹は日誌を片手に教室へ向かっていた。
きのうの雨が嘘のように、今朝は目に痛いほどの晴れ間が広がっている。
雨降って地固まる―――か。
樹は空を見ながら考え、そしてすぐに固まったわけではないかと苦笑をもらす。
本来悩む体質じゃない。だから昨日の放課後、綾にたいしての行動について一欠けらの後悔はあったが、してしまったものはしょうがない、そう思っていた。
綾がどういった心境でいるか、気になりはするが。たが、結局見守るしか―――卒業を待つしかできないのだ。
これまでのように無闇に翻弄するような言動は極力控えるつもりだ。しかし綾を目にするとちょっかいを出したくなってしまうのもまたしょうがないことで―――。
悩みといっていいのか微妙なラインの、結局は自分の欲を認め、やはり苦笑だけがこぼれる。
教室に差し掛かり、それら想いを一旦胸の内に静め、戸を開く。
騒がしい室内が少しだけ落ち着く。教卓まで着くと、学級委員長である男子生徒が号令を出し、朝の挨拶をした。
「おはよう」
いつものように軽い口調で樹は言いながら、さりげなく室内を見渡す。
その視界の中に若干強張った綾の顔が映った。
それを見て、思わず笑いそうになり樹は気を引き締め出席をとりだした。
強張った綾の表情。
だけどそれは拒否反応ではないだろう。
ほのかに頬を染めて、必死に平静を装うとして顔が強張っている―――ようだから。
「広瀬」
出欠の確認。
「……はい」
微かに上擦った声。
次々と他の生徒たちの名を呼び続けながら、樹は心の中で笑みをこぼした。
たぶん待っていてくれるのだろう。
そう思いながら。
そしてほっと安堵の吐息を落としたのは、秘密―――。
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2009,6,12
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