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「―――私が、ですか?」
応接室にて商談は滞りなく進んでいた。
クラレンスが希望したブランデー入りの紅茶をいれていたマリアーヌは新たにのぼった話題に手を止めた。
「ああ。もう手順などはすべて把握しているだろう?」
問題はないはずだが、とゆったりソファに腰掛けているクラレンスは葉巻を片手に笑む。
「……もちろんです」
部屋の中にはローランドもマローもエリックもいる。
ローランドはクラレンスの隣でにこやかな表情でマリアーヌを見守っていた。
マリアーヌからは隣に座るマローの様子はわからず、ドアの傍に立つエリックの表情もわからない。
主軸はクラレンスで、その対になっているのは自分自身なのだ。
助けを求めるような素振りなどこの状況で許されるはずもない。
「私のほうでも数人、新たに呼んで欲しい客人がいる。これがそのリストだ」
「はい」
ローランドが書面を取り出しマローが受け取る。
話の内容はオセの家主催の夜会に関するものだった。
上得意の顧客を招待する夜会。
初めてマリアーヌがクラレンスと顔を合わせたのもその夜会だった。
年に二回開くその夜会の準備の手伝いは確かに毎回していた。
前回はハーヴィスの指示を中心にだがマリアーヌの提案なども組み込みこんだりもした。
招待状の手配や料理のメニューなどひとしきりのことは確かにしはした―――が。
「あ……」
あの、とこの場にいる自分以外の誰もがなにも気にする様子もない状況に内心困惑しながらマリアーヌは口を開きかける。
だがそれより早くクラレンスの声が重なった。
「マリーならば素晴らしい夜会にすることができるだろう。ジェイル神父も楽しみだと言っていたぞ」
向けられる信頼を多分に含んだ眼差しと笑みに笑みを返し、淹れた紅茶をそれぞれの前に置きながらマリアーヌは喉元で止まっている言葉を飲み込んだ。
「クラレンスさま、ジェイルさまはもちろんみなさまに楽しんでいただけるよう頑張ります」
「ああ。そうしてくれ」
夜会のすべてを自分が取り仕切る。
突然当然のごとく告げられたことに―――"ハーヴィスは?"、とそのことばかりが胸を占める。
誰も、クラレンスもマローも誰も……本来ならオセの家のオーナーであり主催者であるはずのハーヴィスについて触れない。
クラレンスが今夜来た時、出かけるハーヴィスにあったときも引きとめも咎めもしなかったことが思い出される。
ハーヴィスが不在のまま何事も不備などないようにすべてが動いていく。
その事実が異様に不安で恐怖さえも感じた。
平然を装いながらマローからリストを受け取り、まだこの家の客でない者の詳細を訊きながらマリアーヌはいますぐにでもハーヴィスを連れ戻したくてたまらない気持ちになっていた。




***





クラレンスとローランドを見送り、執務室へと戻ったマリアーヌは主不在の椅子を見ながら執務机に顧客リストを置いた。
「……明日までに夜会の招待状をお送りする方々をまとめておきます」
部屋の中には他にマローとエリックがいる。
マローへと告げれば、「かしこまりました」と頷く。
エリックはいつものようにドアの傍で無表情に立っている。
「詳しいことはまた明日以降に……ドリールも交えて話し合いましょう」
言いながらマリアーヌはそっと視線を椅子へと走らせる。
以前なら常時ワインを傍らに置き飲みながら―――それでも執務をこなしていたハーヴィス。
休みがちになりこの部屋でその姿を見ることは確かに少なくなったが、それでもあの男がオーナーなのだ。
「……それに……ハーヴィスも不在ですし」
クラレンスは結局一度もハーヴィスのことに触れなかった。
マリアーヌ指揮のもと夜会を成功させるようにと言われただけ、だ。
しかしハーヴィスの存在を無視できるはずがない。
マリアーヌはマローとエリックの反応を確認するように視線を向けた。
一瞬―――、間が開いたような気がしたのは不安なせいか、それとも。
「そうですね」
マローが微かに浮かべた笑みに安堵しつつ未だ不安はぬぐえない。
それでもハーヴィスが戻ったら夜会の話をしよう、そして以前のように冗談めかしてでもオーナーたるもの、と説教してみよう。
顔を合わせるのは多少気まずいがそれでも、このままではいけない。
マリアーヌはそっと胸の内で決意した。
「それでは―――」
いくつかの仕事の確認を終えた後、マローが一礼し部屋を出ていく。
それにエリックも続く。
「……エリック」
ドアが閉まる寸前、マリアーヌは咄嗟に呼びとめた。
ハーヴィスがどこにいったのか調べてほしい。
もし可能なら連れ戻してきてくれないか。
エリックならば探してきてくれそうな気がしたのだ。
だがすぐに、言葉は詰まった。
「いかがされましたか」
部屋に入り直したエリックが真っ直ぐに見つめてくる。
思わずマリアーヌは"痕"の残る胸元に拳を押さえつけ、首を振った。
「いえ、なんでもありません」
今この瞬間、間が開いたのは気のせいでもなんでもないだろう。
エリックは「なにかご用があればお呼び下さい」と一礼する。
「……ええ」
マリアーヌの返事を待って、今度こそエリックは出ていった。
さほど騒がしくもなかったがひとりきりになった部屋は静かすぎて息が詰まる。
執務机の上に指を滑らせながらまわりこみ、椅子に腰を下ろした。
出てくるのは深いため息。
「―――……ハーヴィス」
早く帰ってきて、とそっと呟いた。


 




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2013,9,21