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ベッドの上で何度も寝がえりを打つ。
馴染みあるシーツの肌触りを頬に感じながら思考の届かない眠りにつきたいと願うもマリアーヌをそこへと誘う手はない。
脳内に浮かぶのはエリックの言葉と―――ハーヴィスのことばかりだ。
触れられた熱さを思い出すと同時に、凍てつくような眼差しも甦り不安に心が萎縮する。
出ていってくれと告げた声音はマリアーヌを拒絶するものだった。
夢うつつの中で触れたのが自分ではなく、もっと大人の女性だったならばハーヴィスはあのまま―――……。
そんなことを思い、さらに苦しくなる胸にため息をそっと吐き出す。
囚われてはいけない。
休んでいる暇はないというのに、一旦ベッドに身を沈めてしまえばなかなか身体を起こすことができなかった。
ハーヴィスの代理として職務をまっとうせねばならないのに、なんて情けないのだろう。
クラレンスが来るまでには気持ちを落ち着かせなければならない。
きつく唇を噛み締め眉根を寄せながらどうしようもない揺れる感情に身を丸くする。
恋というものがこんなにも苦しいものだとは思わなかった。知らなかった。
もっと触れて欲しいと思った甘美な瞬間。
嫌われたのではと思った残酷な瞬間。
オーナーの代理という状況さえなければ、正直もう一度ハーヴィスの様子を見に行きたかった。
いま彼はどうしているのだろうか。
会いにいったらまた拒絶される?
それともいつものように迎え入れてくれるのだろうか。
冷静にと思っているのに思考はループしハーヴィスのことに支配される。
「……ハーヴィス」
掠れる声は小さく静かな室内に消えていく。
押しつぶされそうなほどに苦しい胸。襟元を握り締め、思考を遮断しようと一層きつく目を閉じた。
と―――、不意に頬になにか触れてきた。
それはよく知った感触で、驚いて目を開くといつのまに来ていたのかカテリアが青い目でマリアーヌを見下ろしていた。
「……カテリア」
ぼんやりとカテリアを見つめる。
カテリアは鳴くこともせずに青い瞳をじっと向けていた。
手を伸ばし白い毛並みに触れる。
滑らかな艶のある白い毛を撫で顎をくすぐればようやくカテリアは目を細め喉を鳴らした。
「おいで、カテリア」
小さな身体を引き寄せ頬をすり寄せる。
温もりに細い吐息をつきマリアーヌは目を閉じ呟いた。
「駄目ね、私……」
誰にも弱音を吐くつもりなどない。
だが腕の中にいる小さな親友へと無意識に落ちた呟きだった。
もちろん答えを求めているわけでもなく、サイドのため息を胸の内でつく。
温かな体温が動き、柔らかな毛並みが頬をくすぐる。
ニャア―――。
小さなその鳴き声は大丈夫だというようにどこか優しい響きがあるような気がしてマリアーヌは頬を緩めカテリアを撫でた。
ありがとう、と囁きマリアーヌはいつしかその体温に癒されるように眠りに落ちていた。




***



「いらっしゃいませ、クラレンス様。―――ローランド様」
恭しく頭を垂れ、月夜が美しい深夜マリアーヌはクラレンスたちを出迎えた。
カテリアの温もりに一刻ほど睡眠を取り気分は多少すっきりとしていた。
起きぬけに香が焚かれていたのも要因のひとつかもしれない。
紅茶を淹れゆっくりと味わってから仕事に戻った。
エリックの姿はなく、マローと仕事の打ち合わせをする。
頭の片隅にこびりつくようにハーヴィスのことはあったが、マリアーヌは自分を律し仕事に集中した。
そして夜半過ぎクラレンスが来訪したのだ。
こうしてハーヴィス不在のままクラレンスたちを出迎えるのももう何度目だろう。
マローもいる、エリックもいる。
問題ないと言えばそうだがそれでもやはりオーナーが、いやハーヴィスがいないというのはどうしても一抹の不安が残ってしまう。
クラレンスと挨拶を交わし屋敷へと促す。
自然とその後に控えるローランドとも視線が合い微笑を交わした。
―――ため息をつきそうになるのを飲み込む。
クラレンスの隣に並び談笑しながら歩を進めていく。
本来ならここにいるべきはハーヴィスなのだ。早く戻ってきてほしいと―――思わずにはいられなかった。
「先日は……」
母屋に差し掛かったところで静かにエリックが前に周り扉をあけようとし、そのまえに扉が開いた。
喋りかけていたマリアーヌは現れた人影に言葉を止める。
そして相手もまた目を見開き一瞬顔を強張らせ、だがすぐに笑顔を浮かべた。
「これはクラレンス様にローランド様。お久しぶりです」
「おお、ハーヴィス。本当に久しいな」
これから外出するのかコートを着たハーヴィスはクラレンスのもとへとくると一礼する。
「御無沙汰をして申し訳ありません」
「なに構わんさ。休むことも必要だからな」
二人のやり取りにマリアーヌは内心安堵した。
最近のオーナーの不在をクラレンスが不快に思っているのではと不安でもあったのだ。
だがクラレンスの言葉に嘘は感じられない。
ハーヴィスも常と変わらず隙なくクラレンスに対応している。
このままハーヴィスもともに母屋へと戻り、仕事をすればいいのだ。
そうすれば以前と変わらない仕事風景に戻るのだ。
そうすれば微妙に歪み始めている人間関係も元に戻るのではないか。
それが甘い考えであることは充分にわかっていたが、それでも期待するようにマリアーヌはハーヴィスを見つめていた。
だが、
「クラレンス様、何なりとマリーにお申し付けください。僕より数倍仕事ができますからね、彼女は」
そうハーヴィスは目を細めクラレンスへと言いマリアーヌへと微笑みかける。
「お前の指導がよいからな。確かに助かっている」
「……私などまだまですわ」
必死で笑みを作るので精いっぱいだった。
「―――では、クラレンス様」
ハーヴィスが頭を垂れ、「ああ。たまには顔を見せろ」と告げ歩き出す。
それに逆らうことなどできず、マリアーヌもまた皆と同じようにハーヴィスを引き留めたい衝動を殺し足を動かした。
このままでいいのか。
こんな夜更けからどこへいくのか。
後髪を引かれる思いでエリックが開けた扉にクラレンスが進むのを見守る。
中へ入ってしまえば自分もそれに続き、扉は閉められてしまう。
ハーヴィスはいないのに、だ。
クラレンスが足を進めて姿が中へと完全に入りそうになったとき、その歩が止まった。
「――……ハーヴィス」
一歩、再び外へと足を戻し、クラレンスがハーヴィスを見遣る。
「はい」
眇められたクラレンスの目が向けられている。
「遊びはほどほどにしておけ」
「―――もちろんです」
制するような声音に対し、あっさりと返された言葉と笑顔。
ふ、と苦笑しクラレンスは母屋へと入っていく。
ローランドがそれに続き、マリアーヌはハーヴィスを一瞥すると同じく続く。
すでに、ハーヴィスは身を翻していた。
ローランドが中へ入った時点でおそらくもう背を向けていたのだろう。
それに寂しさを覚え、同時にマリアーヌは新たな不安を覚えていた。
『遊びは―――』
と言ったときのクラレンスのどこか哀愁を帯び、かつ反して牽制するような眼差しはなんだったのだろうか。
まるでこれからハーヴィスがどこへ行くか知っているようなそんな雰囲気があった。
ハーヴィスはどこに行く?
ここへは帰ってくる?
もちろん帰ってくるだろう。
それでもいくつも重なる不安にマリアーヌの心は重く沈んでいくばかりだった。


 




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2013,1,1