For You - sweet moment - 1

「おい、起きろ」
肩を揺すられて、眠気の中で少しだけまぶたを上げた。
明るい室内で先生が私のことを見下ろしている。
「……あと5分」
眠くて眠くって、また目を閉じると途端に頭を叩かれた。
「ぃったぁい」
全力で、ではもちろんないけど、結構強めに叩かれて今度はちゃんと目を開ける。
「あと5分後だと8時だがいいんだな?」
「へ……、は、8時ー!?」
驚いて飛び起きてサイドボードの目覚まし時計を見て見る。
先生が言った通り8時少し前を指している時計の針に慌ててベッドから降りた。
「なんでもっと早く起こしてくれなかったのー!?」
いつもマンションを出るのは朝の8時10分。
先生が車で送ってくれるからその時間でも十分間に合う。
もともと先生は学校近くにマンションを買っていたから。
「起こしたぞ、何回もな」
「えー!? 嘘だー!」
急いで制服を着て、洗面台に向かう。
そういえば朝食先生食べたのかなって少し心配になりながら歯を磨いて軽くメイクしてリビングに。
起こしてくれたときはまだ背広を羽織ってなかった先生も、もう準備万端になっていた。
「これだけでも飲んでおけ」
カバンを取りに行って戻ってきた私に先生がコップを渡してくる。
「なにミックス?」
「メロンとバナナ」
「あ、美味しい」
先生お手製のミックスジュースを一気に飲み干した。
時計を見るともう8時10分。
間に合ったような慌ただしすぎて忘れ物ありそうで不安なような。
ちょっと落ち着かない感じでそわそわしながらカバンを持って、
「先生、行こう」
と声をかけたら
「忘れ物」
先生が私の腕を掴んだ。
「え?」
なに―――って振り返ったとたんに唇に触れてきた温もり。
驚いて、でもすぐにちょっとだけ口を開くと先生の舌が入り込んでくる。
毎朝必ずするおはようのチュウ。
……チュウっていうには深すぎるものなんだけど。
「………っんん……は……っん」
しつこく舌を絡めてくる先生の腕を叩く。
「んんー……」
気持ちいいし、先生とのキスは大好き。
だけど―――。
「……っ、せ、せんせ…っ! 時間!!」
ようやく離れてくれた先生にそう叫ぶと、先生は軽く舌打ちして頬っぺたを抓ってくる。
「早く起きないからゆっくりキスもできないだろうが」
「寝坊したのは私だけど、でも、もともとは先生が昨日の夜しつこかったからでしょう!?」
「あんあん言ってたのはどこのどいつだよ」
「日曜の夜に3回もスるなんて、先生のばかー!」
「うるせ」
「あ、もう15分!」
先生と言い合いながら私だけ慌ててマンションを出た。
先生の車で学校まで5分くらいで、裏門のほうに送ってもらっている。
最初のころは送ってもらうのに抵抗あったんだけど、先生も私を送ったあとそのまま出勤するからついでだっていって聞かなくって、送ってもらうことになった。
「ありがとう、先生」
裏門から登校する生徒は少ない。基本的に正門から出入りしなくちゃいけないから。
だから人気がないのをいいことに―――。
「……っん」
車から出ようとしたら腕を引っ張られてまたキス。でも今度はすぐに離れていった。
「もう! 誰かに見られたらどーするの!」
「誰も見てない。じゃーな」
自分がしたいときにキスしてくる先生に呆れながら、ほんとはちょっとだけ嬉しくて、でもそれを気づかれないように口を尖らせて車を降りた。
1月末の外の空気はとっても冷たくて、暖かい車の中から出てきた身体は一気に縮こまってしまう。
「行ってきます。行ってらっしゃい、先生」
手を振ると、目を細めた先生が片手を上げる。
「ああ、行ってくる」
そうして車が走り去っていく。
それをちょっとだけぼんやり眺めて、ハッとして裏門から入っていった。
携帯で時間を確認したら25分。先生が来るまであと15分くらいあるから、十分間に合いそう。
ほっとしながら小走りして校舎へと向かっていて、ふと足を止めた。
なんか匂いがして。
しかもこの学園では禁止されてる―――煙草の匂い?
え、と思って、ぐるっとあたりを見回す。
そして―――校舎裏の木のところに人影があるのが見えた。
その人はスーツを着てて、ちょうど煙草を消すところ。携帯灰皿に煙草を押しつけながら紫煙を吐き出して顔を上げたところで、私と目があった。
「………」
先生、なのかな?
煙草を吸っていたのが生徒じゃなかったからホッとしながら、見たことがない人だなあって思った。
大きい学校だし、たくさん先生いるから知らないひともいるんだけど、でもすごく―――カッコイイから居たら絶対騒がれているはず。
誰だろう?
不思議で、無意識にじっと見てたら、その人がゆっくりと私の方へと歩いてきた。
薄茶の少し癖のある髪、すらりとした長身、そして……。
「なぁ」
私にかけられた、声。
「名前、なに」
私のかけられた、言葉。
ちょっと低めだけど、耳通りのいい声が私の中に響いて、落ちて。
「………」
「……おい? 名前、きーてんだけど?」
少し口角上げて首を傾げるその人に、我に返って口を開く。
「……橘……実優です」
「ふーん。―――実優、ね」
「―――」
下ろしてくる目に、ぎゅっとスカートを握りしめて、見つめ返していた。
先生より、少し年下か、それとも同じくらいか。
ちょっと雰囲気が……似てる?
からかうように目を細めているその人に、なにかデジャブを感じる。
「あ、あの」
なぜか、勝手に口が動いていた。
不思議そうにその人が目を眇めた瞬間、電子音が鳴りだす。
着信音のそれに、その人はポケットを探って携帯を取り出した。
「はい。―――すみません。トイレから戻ろうとしたら迷って。いま生徒に道聞いたので、すぐ戻ります」
「……」
この辺にトイレないよね。
いまさっきまで煙草吸ってたよね。
生徒に道って―――……私じゃないよね?
電話を終えたその人は「さみぃな」なんて呟きながら携帯をポケットにしまって身をひるがえした。
「橘実優サンも、早く教室行かなきゃなんねーんじゃないの?」
肩越しに振り返ったその人がそう言ったと同時にチャイムが鳴りだした。
「あっ」
すっかり時間のことが飛んでいて、その人が誰か分からなかったけどスーツ着てるし年上だしお辞儀してから走りだした。
―――後ろでなにか言われたような気がして振り返ったらもうその人も歩き出してて、わからないまま校舎に入った。












「おはよー!」
教室に来るとまだ先生はいなくって、ほっとしながら席に着く。
隣は羽純ちゃんで「今日は少し遅かったね」って言われたから「寝坊しちゃった」って笑って返す。
カバンからノートなんかを取り出して机に入れてると羽純ちゃんが、
「初日から遅刻だとマイナスイメージになるかもしれないし、間に合ってよかったね」
そう笑いかけてくる。
意味がわからなくって首を傾げたら羽純ちゃんもきょとんと視線をむけてきた。
「ほら、今日から夏木先生、2週間姉妹校の藍霧学園に交換学習で行くっていってたの聞いてなかった?」
「……あ」
そうえば結構前からそんなこと言ってたっけ。
うちの学校と姉妹校の藍霧学園では毎年この時期に教師同士の交換学習っていうのが二週間あるんだって。
それでたまたま担任の夏木先生が今年は行くことになって、それで代わりに藍霧の先生がうちのクラスに来る。
「そっかぁ。どんな先生なんだろー……」
夏木先生みたいに優しい先生だといいなぁ、なんて思っていたら教室の前のドアが開いた。
そして入ってきたのは教頭先生と―――。
「きゃー!」
「めちゃくちゃカッコイー!」
「ラッキー!!!」
もう一人入ってきたスーツ姿の"先生"に一気に教室の中が騒がしくなる。
「静かにしなさい」
教頭先生が教卓を叩くと、みんなとりあえず静かになった。
「今日から二週間君たちの担任になる橘先生だ。先生、どうぞ」
……橘?
ぽかんとして私は"先生"を見た。
薄茶の髪をした―――裏門でぶつかったその人を。
「どうも、はじめまして。橘樹です。二週間と短い期間だけど、よろしくな」
気負うでもなく砕けすぎるでもない、自然な感じで橘先生は笑う。
その笑顔にまたクラスの女の子たちが騒ぎだす。
でもまた教頭先生が一喝して鎮まって、「じゃあ先生よろしくお願いしますよ」と教頭先生は出て行った。
「じゃー、お目付役もいなくなったし、質問タイムまじえながら出欠とるぞ? あ、あんま騒ぐなよ?」
ふっと教室を見回して良く通る声で言って口角を上げた橘先生はとっても気さくな感じで教室のざわめきが一層増した。
「ふーん、本当にかっこいい先生だねー」
「うん」
羽純ちゃんの言葉に頷きながら橘先生が生徒の名前を名簿を見ながら呼び始めた。
呼ばれた子たちは女の子だけじゃなく男の子も橘先生に質問している。
「カノジョいるんですかー?」
「さあ?」
「好きな女の子のタイプは?」
「秘密」
質問タイムっていったのに結構はぐらかす橘先生にブーイングが起きながらどんどん名前が呼ばれていって。
「―――橘。橘実優」
私の名前が呼ばれた。
呼ばれてるってわかっていたのに心臓が跳ねて緊張してしまう。
「は、はい」
手を上げて返事をすると橘先生が私の方を見て目が合った。
さっき会ったから二度目だけど、橘先生はそのことにはなにもいわなくって、
「同じ名字だな」
とそれだけ言って、あっさりと次の子の名前を呼んだ。
それからどんどん進んでいって、朝のHRは終わる。
でも一時間目は数学で橘先生が担当だからそのままいて授業は始まった。
最初のうちは夏木先生が進めていたところまでの確認と、半分くらいまだクラスメイトたちが好き好きに質問していた。
樹先生は適当に返事をしながらだんだんと授業内容に話を修正していって、気が付いたらいつのまにか普通の授業になっていた。
驚くほどわかりやすくって楽しい授業で、終礼のチャイムが鳴るのはあっという間に感じた。