ざわざわとしたうるささを感じ、ジェルヴェは目を開けた。
 だが睡魔は簡単にはさらず、うつらうつらとまどろむ。
 強烈に眠い。
 だからまた目を閉じるも、階下から物音やら幾人もの喋り声などが響いてくる。
 不快に感じながら、眠ろうと試みる。が、一度浮上しかけた意識は沈むことなく、結局は浮き上がってきた。
「だぁっ!! うるさい! いったいなんの騒ぎだ!!」
 そう叫んで、ジェルヴェは飛び起きた。
 ベッドから降りて、「俺様の眠りを妨げた罪は重いぞ!」とブツブツ言いながら、廊下に出ようとした。
 ドアノブに手をかけたところで、ふとジェルヴェは動きを止めた。
 なにか忘れているような気がした。
 なんとなくジェルヴェは自分を見下ろす。
 窓から差し込む朝日に照らされた部屋の中、パジャマ姿の自分。
 いつもの朝の目覚めと同じ。
 違和感などない。
 だから、違和感がある。
 無意識にジェルヴェは自分の首筋に手を触れていた。
 そしてゆっくりと部屋中を見渡した。
 なんの変哲もない、いつもと変わらない内装。
 天蓋付の大きなベッドも、最高級の調度品も。なにもかも、普段どおり。
 だが、ひとつ目の端に映った小さな影に気づき、ジェルヴェは静かに近づいた。
 それはベッドのそばに落ちていた。掃除しわすれたように、片隅にひっそりと。
 ―――ニンニクがひとつ。
「………………ああああああー!!!」
 そこでようやくジェルヴェはすべてを思い出した。
 この部屋で起こったこと。あの吸血兄妹、不気味な立会人。儀式。
『儀式は完了いたしました』
 聞き覚えのない言葉。だがバールベリトの声が、頭の中に甦る。
 強烈な痛みに、あの時死さえも感じたのだ。
 だが、
「生きている!? 生きているよな!!?」
 あたふたと自分を見回す。腕もある、息もしてる、心臓も動いている。
 うおおおー!、とジェルヴェは歓喜の雄たけびを上げた。
 それからジェルヴェは鏡の前に行き、"誓いの証"と言われていた薄気味の悪い文様が身体から消えていることに気づいた。
 儀式なんていやだ、と思っていたが、済んでしまえば元通りだ。
「なんだ、たいしたことなかったな」
 弾む声で言って、ジェルヴェは着替えをすませてから意気揚々と部屋を出た。
 廊下を歩いていくと喧騒が激しい。階段から下を見下ろすと、玄関フロアに侍女たちが忙しそうに働いている。
 そしてそこには沢山の贈り物らしき荷物。
 リボンのかけられた大きな箱などがところせましと占領している。
 しかも次から次へと新しい荷物が運ばれてきている。
「おい、何事だ?」
 下へ降りていき近くにいた侍女に声をかけた。
「は? ――――ま、まぁ! おぼっちゃま!!」
 侍女はジェルヴェの姿を見ると、とたんに顔を輝かせ、「おぼっちゃまがお目覚めになられました!」と叫んだ。
「おぼっちゃま!」
「おめでとうございます!」
「おぼっちゃま!!」
「感激です!」
 決して若いとは言いがたい侍女たちがわらわらとジェルヴェに駆け寄ってきて、涙を流しだす。
「な、なんだお前ら!」
 ぎょっと後退りするジェルヴェ。
「おぼっちゃま!!」
 一際大きな男の声が響いた。
 執事のランドが満面の笑みで駆け寄ってくる。
「おはようございます、おぼっちゃま! そしておめでとうございます!」
 ランドは目を潤ませて、感極まったように、ジェルヴェの手を取った。
 周りにいる侍女たちも口々に「おめでとうございます!」と叫んでいる。
「だから! 一体何事――――」
「おお、ジェルヴェ!」
 ランドの手を振り切って、苛立たしげに叫んだ。
 と、重なる若い男の声。
 ジェルヴェたちは一斉に声のしたほうを振り返った。
 そこにいたのはエドモンで、侍女たちは一斉に道を開けた。
「よう、ようやくお目覚めか」
 帽子をとりながらエドモンがニヤニヤと笑い近づいてくる。
「なんだ、朝っぱらから」
「なんだとは、なんだ。俺が忠告してやったのに。まさかまさか。聞いて驚いたぜ?」
 エドモンは呆れたような笑いを浮かべ言った。
「何の話だ。朝から騒がしいし」
 ジェルヴェはうんざりと顔をしかめる。
 侍女にコートを渡しながらエドモンが目を丸くした。
「お前、まさか。知らないのか? そんなわけないよなぁ。こんだけの騒ぎなんだし」
「だから、一体なんだ」
「だーかーら、コレ」
 ぴらり、とエドモンが一通の手紙を取り出した。
 渡されて、ジェルヴェは中のカードに視線を落とす。
「お前と、ローペルヌの娘の婚約したという手紙」
 文面に視線を走らせるジェルヴェの顔色から血の気が失せていく。
「それ、社交界中に出されてるぞ。だから、今こんな騒ぎなんだろ? この屋敷」
 な――、大口を開けるも、ジェルヴェは言葉を発することが出来なかった。
 こ。
 こん。
 コンヤクー!?
 そう頭の中で絶叫した。
 手の中にある手紙には、たしかにエドモンが言うとおりジェルヴェとアデールの婚約を伝えるものだった。
 胸のうちからふつふつと湧き上がってくる、荒れ狂うような、叫びだしたいような、そんな激情。
 エドモンが苦笑しながら、「だから忠告してやったのにさ。よりにもよって……あのアデール嬢と儀式を……」と、ジェルヴェにひそひそと喋りかける。
 だが、それはまったくジェルヴェの耳には入らず、かわりにおずおずと横から差し出された手紙が目にはいった。
「……失礼します。あの、おぼっちゃま」
 叫びだす一歩手前だったジェルヴェに、侍女がやたらと分厚い手紙を渡す。
「いまバールベリトの使いという方が見えられまして、これをおぼっちゃまにとお預かりしました」
 その名に、ジェルヴェはあわてて手紙を受け取り、封を開けた。
 儀式=婚約(結婚)、だったなど聞いていないぞ!、と憤りながら。
 だが、そこに書かれていたのは、予想を超えた内容だった。









魔国界・立会人バールベリトより、儀式完了の通知――



 ロースト子爵ジェルヴェ・アルダーソン殿

 この度、吸血族ローペルヌ次女アデールとの"主従契約"が完了したので、ここにそれを通知する。
 以下、アデール・ローペルヌを(甲)、ジェルヴェ・アルダーソンを(乙)と表記する。

 甲は乙の主であり、甲の意思および命令は絶対である。
 乙は甲に、永劫の服従をなすこと。
 乙は甲に―――

 (以下、中略)


 尚、乙が契約不履行の場合は、厳正なる裁判をもって、処罰される。
 甲により、契約破棄がなされる場合は、すみやかに乙の死をもって、これを破棄する。

(以下、中略)

 以上


 尚、なにかご不明な点がある場合は、以下の方法にてご連絡されたし。
(以下、中略)




                                            






「…………」
 めまいがし、ふらりジェルヴェはよろめいた。
「おい? どうした、ジェルヴェ」
 不思議そうにエドモンが覗き込んでくる。
 ジェルヴェは、震える手で手紙を握り―――潰した。
「ふっ……ふっ……」
 笑いにも似た呻きをもらすこと、数秒。
「ふざけるなー!!!」
 力の限りに、叫んだ。
 ローペルヌ家が社交界中に配りまくった手紙は"婚約"の知らせ。
 だが立会人バールベリトがよこした手紙は"主従契約"完了の知らせ。
 婚約と、主従関係が、同じこと―――であるわけがない。
 どちらが正しいのか、そんなことはジェルヴェが知る由もない。
 だが、あの天然娘と――、地獄の使いのようなバールベリトを思い出し、ジェルヴェはまたもやぐらりと身体を揺らし、床に膝をついた。
「お、おい!? どうした!?」
「おぼっちゃま!?」
 どうなされました!?、とわらわらと群がる心配そうな声。
 だがジェルヴェはがっくりと手をつき、返事をすることができなかった。
 ジェルヴェの手の中にある、2通の手紙。
 この2通が、はっきりと知らしめるのはただひとつ。

「逃げられない……」

 と、いうこと。
 その事実だけが、ガンガンと頭を叩き割るように響いていた。


「い……」


 イヤダーーーー!!!!

 屋敷中にに、ジェルヴェの何度目かの叫びが響き渡る。




 こうして、くるくると軽やかな音をたて、ジェルヴェの運命は回りだしたのであった。






第一章 『誓いのくちづけ』 了。


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第2章予告(連載時期は未定です)

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2007 ,2,2