Bitter Sweets
18 - 12月23日B いざ玲の家へ。そしてまさかの!?


美冬はしばらく動けずにいた。
だがしかけた玲は平然と立ち上がって、「コーヒーでも飲むか?」などと訊いてくる。
美冬に背を向けてコーヒーの準備を始めようとキッチンに向かう玲の背を見て、少しづつ美冬の身体は再起動を始めた。
「―――……ちょ、ちょーっと待てー!!!」
数十秒かかって思考を取り戻した美冬は勢いよく立ちあがって叫ぶ。
「アキ!! な、なんなのよっ!!」
玲の傍にかけよって、拳を握りしめながら見上げた。
「なにがだよ」
平然と訊き返す玲に怒りは増す。
本来なら二度目のキスに顔を赤らめてテンパりたいところだ。だが玲の態度はこの前と同じでキスに大した意味なんてなさそうだ。
羞恥や照れるよりも苛立ちに美冬は玲に詰め寄った。
「いまのよ! キスよ! なんですんのよ!」
玲は一瞬不思議そうな顔をしてまじまじと美冬を見つめる。
そしてそういえばしたな、とでもいうように、頷いて答えた。
「うるさかったから?」
まるで悪びれもない玲の態度に頭の中の神経が音を立てて切れていっているような気がした。
(なにコイツ! ムカツクムカツクムカツクー!!!)
気づいたら言葉よりも手が出ていた。室内に乾いた音が響く。
「うるさいでキスすんな! バカ! ハゲ!!! アキなんて、大っきらい!!!」
生きてきた中で平手打ちをするなんて初めての美冬は、熱い掌を握りしめながら、
「ぼけっ!!」
捨て台詞を吐くと玲の部屋を飛び出した。
頭の中は怒りでいっぱいで、それでもちゃんと用意してもらっていたケーキは手に持っている。
走ればデコレーションが崩れてしまうので、ぶつぶつ悪態をつきながら早歩きで美冬は帰路についたのだった。






***





「いってぇ……」
大きな音を立てて閉められたドア。
玲はじんじんと熱を帯びる頬を押さえて眉を寄せた。
「みーのやつ、どんだけ馬鹿力なんだよ」
あまりの痛さに洗面所に行って鏡を見るとくっきりと手形が残っていてため息がでてしまう。
確かにキスをしてしまったのは自分なのだからしょうがないとしても痛すぎる、と玲はキッチンに戻ると保冷剤をタオルに巻いて頬にあてた。
(それにしても………)
とりあえずコーヒーを入れながらつい数分前のことを思い出す。
なんで……、と考えが行ったところで携帯が着信を知らせ始めた。
表示を見れば相手は和人。妙に嫌な予感を感じながら受話ボタンを押す。
「もしもし」
『アキ? みーちゃんいる? もう帰った?』
「………」
『アキくーん?』
「ついさっき帰った」
『へぇ』
電話越しだが、どこか笑いとなにかを含んでいるような気がするのは気のせいだろうか。
玲はまだひりひりする頬と和人の態度に軽く苛立った。
「なんだよ。用がないなら切りたいんだけど。俺が今日忙しいの知ってるだろ」
そうは言ったものの実際あとケーキを二つ作ってしまえば終わりだった。
『あれ、なんかアキ、機嫌悪い?』
ドリッパーから落ちていくコーヒーを見つめていたら和人がそんなことを言い出す。
「別に」
『みーちゃんとなにかあった?』
(なにかってなんだよ)
なんで和人はいつも断定的なんだ、と玲は眉を寄せながらお湯をドリッパーに継ぎ足す。
和人にすべてを言う必要もないので玲はただ黙って螺旋を描くコーヒー粉の渦を見下ろした。
『……へぇ』
だが無言の肯定と和人は受け取ったらしく、意味深な笑い声が返ってくる。
『どうすんの、みーちゃん』
「なにが」
『おにーちゃんはアキを軽いコに育てた覚えはないぞ!』
「………切るぞ」
『おーい、少しはツッコんでよ、アキくん』
さっきから変わらない和人の笑いにうんざり気味に玲はため息をついた。
ちょうどサーバーにコーヒーが落ち切り、カップにコーヒーを注いでいく。
『口出しするつもりはなかったんだけど、みーちゃんがあんまりにも不憫だから忠告しとくわ。お前恋愛偏差値低いしな』
和人の声を聞きながら淹れたコーヒーを飲む。
それはいつもより苦めの味で、失敗した、と眉を寄せた。
『あーき、女の子にとってキスは大事なものなんだから、よーくお前がしたこと考えな? それに俺の知ってるアキは誰かれ問わずキスなんてするようなヤツじゃないだろ』
「……あいつが言ったのか?」
『ま、カマかけてね』
「………」
『んじゃ、俺はそれだけ。また明日』
バイ、と短く言って、一人喋るだけ喋っていた和人はあっさり電話を切った。
苦すぎるコーヒーと、親友からのダメだしに玲は舌打ちする。
「誰かれ構わずキスなんてするわけないだろ」
返事も聞かなかった和人の代わり、携帯に向かって言い返す。
(一回目は実験、二回目はうるさかったから、それだけだけど)
そう心の中で追加するように呟きながらコーヒーに砂糖をくわえた。
甘くなったコーヒーを飲みながら、玲は自分の矛盾にまったく気づいていなかった。







***








ケーキの入った箱を大事に抱えながらも足早に歩き、帰りの電車に乗り込んだ美冬は時間が経つにつれどんどん落ち込んだ表情になっていく。
2度目のキスもとにかくびっくりで、そしてその理由に憤ってしまったけれど―――……。
(アキのバカ、はげ、バカ!)
心の中で何回も悪態をついてはいるが、それも怒りでとはいうよりも落ち込む原因になっている。
玲にとってキスはなんの意味も持ってないと考えると気持ちが沈んでいってしまうのだ。
(バカバカ! 好きでもないのにキスなんてするんじゃないっつーの!)
だけども妙に泣きそうになってしまう。
あのキスに意味があったらよかったのに。
そうふと考えて、美冬は大きく首を振った。
キスに意味を期待する、それはイコール―――。
(アキなんて好きじゃないし……)
沸き上がった一つの想いに抵抗するように美冬はひたすら電車の中で首を振り続けていた。
だけど認める前に、もう自分の中に確かに居座ってしまってる甘ったるい想いは見逃しようがなく、美冬は深いため息をついて唇を尖らせた。
ばーかばーか、と何度も呟きながら、その夜食べた玲のクリスマスケーキはとても美味しく甘くて自然と頬が緩んでしまっていた。
こんなにも素敵なケーキを作るのに、作った本人は捕らえようがなく苦みばっかりの食えない男。
家族からの冷たい視線を受けながらもホール半分ひとりで食べてしまっていた美冬は、頬が緩むのを抑えは切れなかったけれどそれでも心を奮い立たせて苛立ちのほうを優先させた。
(アキがちゃんと謝るまで、もう絶対会わない! クリスマスパーティももう行かないんだから!)
誓うように決意して。
だけど―――名残惜しいように食べつくされたケーキの後をぼんやり美冬は眺めていた。