Bitter Sweets
15 - 12月19,20日 パニックの裏側=憂鬱は続くよ


 ピンポーン、インターフォンが鳴って確認すると和人だった。
 一瞬美冬かと思ったが、さっきのあれで戻ってくるわけないか、と思いなおす。
『あけて』
「ああ」
 短い応答。それから少しして玄関の開く音が響いた。
「よっ」
 こうして和人は連絡なく来ることも多い。
 緑茶から紅茶に換え、フォークが突き刺さったままだったイチゴタルトを食べていた玲はらちらり視線を上げる。
「あれ、誰か来てたのか?」
 まだテーブルに残ったままの皿とカレーまんを見て和人が首を傾げながらソファに座った。
 返事もせずに玲はため息をついた。
 どうしてあんなことをしてしまったのだろう、と不思議でならない。
 『分析』と言ったけれど、そんなことのためにキスしたなんて、玲自身本当はありえないことだった。
「なんだよ。なんかあった?」
「……お前さ。美冬のこと好きなのか?」
「は?」
 キョトンとして目をしばたたかせる和人。
 その視線がテーブルのカレーまんや肉まんを眺めて、何かを悟ったように苦笑した。
「もしかして、みーちゃんが来てたんだ?」
「相談しにな」
「あー……」
 和人は苦笑いの中にも楽しげな笑みを乗せる。
「みーちゃんが可愛かったから、ちょっと頬っぺたにチューしてみたんだけど。みーちゃんには刺激が強すぎたかな」
 まったく悪びれた様子もない和人に、玲は冷ややかな眼差しを送った。
「お前、あんまり勘違いさせるような行動とんな。前だって、勘違いさせたせいでひと悶着あっただろーが」
 わずか低い声で言うと、和人は目を細め口元を歪める。
「勘違い? 別にみーちゃんになら勘違いされてもいいけど? それにしても珍しいね。アキが俺の女関係で口出しするなんて」
 玲は無言で紅茶を飲む。
「まさかみーちゃんのこと気にかかっているとか?」
 そう笑う和人はとても楽しそうで、普段美冬たちが見ている爽やかなものとはまるで違う。
「んなわけあるか」
 馬鹿らしいとばかりにため息をつく玲。
「そ? でも意外に仲いいだろ?」
 和人がソファーから立ちあがりテーブルのほうへとくるとイスに座った。
「先週だって2人きりで遊んだんだし」
「あれはお前と由宇って子が来なかったからだろ」
「そーだけど。でも夕方くらいまで一緒にいたんだろ? 珍しいじゃん」
 和人は右腕で頬杖をつき、にやにやしている。
(このドSめ………)
 うんざりとしたため息が自然にこぼれる。
「あいつはあんまり女って感じがしないから、買い物につきあってやっただけだ」
「ひどーい、アキ。かわいいじゃん、みーちゃん。ま、媚びた女が嫌いなお前には付き合いやすいのかもな」
 和人が少しだけ笑みを柔らかくした。
「べつに」
「お似合いだと思うけどなー」
「俺じゃなくって、お前が気にかけてんだろ? そうじゃないなら、さっきも言ったけど勘違いさせるようなこと簡単にするな。だいたいいつも俺にもとばっちりくるんだぞ」
「だからーさっきも言ったけど、別にみーちゃんなら勘違いされてもいいって。ま、アキがみーちゃんのこと気に入っているなら俺は手を引いてもいいけど」
 軽い口調の和人に、今日何度ついているだろうため息を吐く。
 イチゴタルトの残りを食べ終えた玲は返事をする気にもならず皿を片づけ始めた。
「ところでさ。みーちゃん何で帰っちゃったの?」
「は?」
 美冬の食べかけで、冷え切ってしまったチャーシューまんを生ゴミ用のごみ箱に捨て、シンクに皿を置き洗いはじめた玲に投げかけられた質問。
「だってさ食べるの大好きなみーちゃんが、食べ残して帰るなんてありえないだろー」
 ちらり玲が皿から和人へと視線を向けると、また楽しげな笑みにもどっている和人と目が合う。
「なんかあった?」
「………別に」
 すっと視線を手にしたスポンジへと戻す。泡をたてながら皿を洗い、玲は心の中で舌打ちした。
(なにかあったか、なんて。俺のほうが知りたいよ)
 最近できた女友達、たんなる友達である美冬に――――なんでキスなんてしまったのだろうか。
 問いかけてもまったく答えは出ない。
 そして最終的には『気の迷い』で自己完結した玲だった。




***




 は〜ぁ、と美冬の大きなため息が響き渡った。
「なによさっきから。朝っぱらから辛気臭いなー」
 眉を寄せて隣を歩く由宇が見てくる。
 ごめん、と小さく謝りながらもまたため息が出てくる。
 月曜の登校時。一週間のはじまりだというのに美冬をとりまくオーラは暗い。いや、一昨日の土曜日からずっと美冬はため息をつきっぱなしだった。
「どうしたの? なんかあった?」
 いい加減様子のおかしい美冬をようやく心配したように由宇が首を傾げる。
「んー……別に」
 相談したい。が、言う勇気もない。自分にまつわる恋バナなんて―――いや恋バナじゃないかもしれないが―――、恥ずかしくて言えない。
 それになんて言えばいいのか。
(和人にほっぺたチューされて、アキに相談しにいったらアキにキスされたんだー、なんて言えるかー!!)
 心の中で叫びつつ、土曜日のことを思い出して一気に顔が熱を帯びる。
「………ほんとなにかあった?」
 顔を真っ赤にさせた美冬をのぞきこむ由宇。
「な、んでもな、い!」
 内心の動揺を鎮めるように深呼吸しながら美冬は強く言った。
 土曜日、玲のマンションから逃げるように帰って来てから昨日まで、ただ呆然とするばかりだった。
 恋愛偏差値がかぎりなく低い美冬にとって突然のキスは混乱以外のなにものでもない。
 玲からはなんの連絡もないし、美冬から連絡することもできずに過ごした日曜日。
 和人からはいつもどおりに他愛のないメールが何度かきていた。頬っぺたチューのことにはまったく触れていなかったが。 
(はー! あー! アキのやつー!! いったいどういうつもりなのよー! キ、キ、キ、キ……)
 心の中でさえも“キス”という言葉を言えずに、ため息をつく。
 玲にとってはきっと何の意味もないものだったのだろう。冗談だったのかもしれない。
(アキも和人も……あのイケメンコンビは何考えてるんだか!)
 もしかしたらモテる2人だからこうやって女の子をからかうことなどよくあるのかも、そんなことをぼうっと由宇の存在も忘れて考える。
 由宇がじっと窺うように見つめているのも気付けてなかった。
(ほんっとに……アキのばか。分析とか、わけわかんないことでキ……すんな!)
 ぶつぶつと悪態つきながら、ほんの少しさびしさを感じる。
 マンションを出て行ったときに『やばい!』と思っていた気持ち。
 美冬はそれを見ないように認めないようにしていたが、ほんとはぼんやりとわかっている。
 突然のキスは驚いたけど――――いやではなかった。
 でもそれはきっと玲にとっては意味のないものだったから、だから―――ショックで。
 そう、たぶん自分が玲に惹か――――……。
「みーちゃん」
 思考を遮るように明るく聞き覚えのある声がしたと同時に肩にポンと手を置かれた。
 真っ白になった頭。ぎこちなく振り返る中で、隣の由宇が「おはよー」とあいさつしているのが聞こえてくる。
 ゆっくり自分的にはスローモーションにでもなったかのように、後ろを見た。
 そこには相変わらず爽やかな笑顔の和人と、相変わらず無表情の玲が立っていた。
「おはよ」
 にこり和人が笑いかけてくる。
「…………ぉはよー……」
 おそらく引き攣った笑顔で美冬は返した。
 視線を和人にも玲にも向けることができずに、意味なく宙にさまよわせる。
「久しぶりだね、朝会うの」
 和人が言う。
「そうだね。時間帯同じだから会いそうなのにねー」
 返事をするのは由宇。
 2人と無言のままの玲は歩き出す。美冬もワンテンポ遅れて、三人の一歩後ろを歩くように歩き出した。
(アキも和人も普通だし……。やっぱりもてるやつはは軽いのかな……)
 どうしてもため息がこぼれてしまう。
「みーちゃん、どうしたの?」
 暗い美冬に気付いたのか、さりげなく和人が肩を並べてきた。
「え、ううん。どうもしないよ」
 玲は由宇と並んで歩いている。とくに楽しそうではないが会話は成立しているようだ。
 ツンと服の袖をひっぱられて、横を見ると和人と目が合う。
「みーちゃん」
 そう言って和人は少し顔を寄せてきた。そっと耳元で囁かれる。
「この間はごめんね」
「え?」
 和人は苦笑いを作って、自分の頬を指でさす。
「……あ」
 顔が赤くなっていくのがわかる。思わずうつむく。
「みーちゃんがなんか可愛くってついしちゃったけど。びっくりしたよね。謝ろうと思ってたんだけど、タイミング逃しちゃってさ。ほんとごめんね」
「う、ううん。いーよ。気にしないから」
「気にしてもいいけどね?」
「へ?」
 可愛い、と言われたことにさらに赤くなっていた美冬は続く和人の言葉にぽかんと口を開く。
 だが和人は目を細めるだけで、「そういやクリスマスパーティ計画立てないといけないね」と話を変えてきた。
 だから美冬はそれ以上何も言えずにただ頷いた。
 それから由宇も加わって、明日の放課後クリスマスパーティの準備のことで話し合う約束をして分かれ道で玲たちと別れた。
 結局玲とは一言もしゃべらなければ、視線さえも会わなかった。
 美冬はちらり遠のく玲の後ろ姿を眺め、ため息をついたのだった。