like or love or...






 あの、長くて骨ばった指が好き。
 薄茶の、少しくせのある髪も好き。
 知的な感じのする銀フレームの細い眼鏡も好き。
 少し低くて、でも良く通る声も好き。

 誰にでも分け隔てなく接するさっぱりした外面は嫌いじゃない。
 だけど、性格は―――微妙かも。






『TEXT.1』







「広瀬」
 授業が終わり、教室を出て行こうとしていた数学教師・橘樹が思い出したように一人の女生徒に呼びかけた。
 机の上を片付けていた広瀬綾は「はい?」と視線を向ける。
「お前、今日日直だったよな。昼休みに職員室来て。役員のことでも用あるから」
「わかりました」
 綾がそう答えると、教材を持った手を軽く振り、樹は教室を出て行った。
 とたんに、クラスメイトの女の子たちのため息が聞こえてくる。
「あーん、かっこいいー! 樹先生」
「ほんとー!」
「それにしても、いいなぁ。綾は」
「そうそう。いろいろ頼まれごとされてるし」
「あー、私も生徒会入ればよかったぁ」
 口々に言われて、綾は返事の代りに笑いだけを返した。
 樹はこのクラスの担任であり、そして綾が書記をつとめる生徒会の顧問だった。
 まだ25歳と若くて、フランクな雰囲気と、でもわかりやすい授業をする樹は男女問わずに人気がある。
「綾、ごはん食べよー」
 お弁当箱を持ってクラスメイトで仲がいい実花がやってきた。
 うん、と綾もお弁当をカバンから出した。










 お昼ごはんを食べ終えて、トイレに行ったあと実花と別れて綾は職員室に向かった。
 あと15分ほどすれば5時間目が始まる。
 次の授業は生物。眠くなりそうだな、とすでにあくびがでそうになった。
 失礼します、と声をかけて職員室に入る。
 樹のデスクは広い職員室の真ん中付近の窓際にある。生徒たちに人気のある樹だが、さすがに職員室まで女生徒たちも追いかけてはこない。
 一応この高校は進学校で、用がないかぎり職員室には入っていけないことになっていた。
 それぞれの科目の準備室にいるのか、職員室内にいる教師たちの姿はまばらだった。
「先生」
 綾がそばに行くと、デスクの上に紙パックのコーヒー牛乳が目に入った。
 ブラック無糖のコーヒーでも飲んでいそうな先生が甘党らしいということを知っているのは職員室に来なければ――、注意してみていなければわからないかもしれない。
 綾は、いつだったか樹がイチゴミルクの紙パックジュースを飲んでいるのを見て、意外さに笑ってしまったことがあった。
「ああ」
 イスを軋ませ、樹が綾を振り返った。
 涼やかな目元。それなりに整った容姿。きっと学校で、こうして職員室にいなければ教師には見えない雰囲気を樹は持っている。
 クラスメイトの誰かが教師じゃなくて家庭教師のほうが似合いそう、などと言ってたことを綾はふと思い出した。
「これ、配っといて」
 積み重なった書類の山から校内新聞の束を渡された。
「はい」
「それと文化祭のことだけど、実行委員への諸注意だとかの資料用意できたか?」
「はい、今日放課後の委員会で配布する予定です」
「わかった」
 業務連絡な会話。
 "優等生の広瀬さん"とまるでニックネームのように綾は言われることがあった。
 自然な濃い栗色の髪は艶やかなストレートで、肩にわずかにかかるくらいの長さ。すっと真っ直ぐに伸びた背と、相手をきちんと見て話す姿勢、そして穏やかな微笑は清潔感と爽やかさに溢れている。
 さらに成績も優秀で、人当たりもよいとなれば、優等生と呼ばれてもしょうがない。
 綾自身にしてみれば、普通にしているだけ。だが、多少笑みを作っている部分はあったが。
 樹は話しながら、ボールペンをくるりと器用に回していた。
 細くて長くて、骨ばっている指。
 ほどよく焼けた浅黒い肌。
 しなやかなその指に、綾はいつも、つい見ほれてしまうのだ。
「舐める?」
 唐突に、樹が言った。
「え?」
 一瞬呆け、綾は樹の目を見る。
 そこにはさっきまでとは違った、眼差しがある。
「広瀬は指フェチ?」
 樹は綾が1年のときも担任だった。そして1年半ばから入った生徒会にも新しく顧問となって。
 なにかと喋ることも多かった。
 生徒たちにも気さくな性格で接している樹だが、教師という立場はきちんと守っていて、人気をえるために生徒たちに迎合してるわけでもない。
 ただ、たまに樹の眼差しが変わるときがある――――。
「ノーマルです」
 綾が答えると、
「ふーん」
 まるで、つまらない、とでも言うように樹が相槌を打った。
 こうして二人で話しているとき、かならず会話が脱線することがある。
 雑談へと話が転がっていくのはよくあること。
 だが、綾にとって、樹との会話の中のそれは何か違った。
 いつも授業で見る"教師"の樹とは違う眼差し。
 突然、いまのように突拍子もないことを言ったりする。
 そういう時、決まって樹が意地悪なような、からかうような、楽しんでいるような、そんな目をしていることを、綾は知ってる。
 そしてそれが自意識過剰でなければ、綾にだけ、だということも。
「先生は―――」
 綾はあくまで優等生的な姿勢を、笑顔を崩さない。
 でも、その話の脱線に乗る。
「ドSっぽいですよね」
 にっこり、綾は営業スマイルをことさら意識して作ってみた。
 樹は一瞬目を細めたが、とくに動揺する様子もなく、逆に一層楽しそうに目を光らせた。
「そう?」
「はい。だって、性格悪そう」
 ほかの人に聞かれたら、先生に向かってなんてことを言ってるんだと怒られてしまうだろう。
 だがわざと、言った。
 さいわい綾たちのまわりはあまり人がいなかった。いても生徒会役員の綾と、その顧問の樹が並んで喋っていてもよもやこんな話をしているとは思わないだろう。
 そして生徒から『性格悪そう』なんて言われた当の樹は、口元に手の甲をあて笑っていた。
 笑いを収めると机に右ひじをついて頬をのせ、樹は綾を見上げる。
「面白いなぁ、広瀬サンは」
 目が、合う。
 そしてちょうど予鈴がなった。
「じゃぁ、よろしく」
 いつもの教師然とした樹。いつも通りに生徒に向けてる無難な作った笑顔。
「はい」
 綾もまたにっこりと頷いて、職員室を後にした。







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2007,3,11