『Limits-1』
放課後の校内。
樹は生徒会室に向かっていた。
生徒会の顧問をしている樹。つい先刻まで生徒会の会議が生徒会室であっていた。
それを終え、一旦は職員室に戻っていたのだがなかなか鍵を返しにこない。
業務的にはすでに今日の分を終えていたので、あとは帰るだけだ。
(早く返しに来いよ。ったく誰だ残ってんの)
うんざり気味に思い、早々と帰宅すべく生徒会室へと戻ることにしたのだった。
「あのですねぇ、3年の元サッカー部の人なんですけどぉ〜。綾先輩をですねぇ〜」
生徒会室のドアに手をかけたところで、中から元気のよい声が聞こえてきた。
声の主はすぐわかる。高い声のトーン、語尾を伸ばす話し方をするのは一年生の木沢ヒカルだ。
樹はすぐにはドアを開けずに佇む。
「三年? 元サッカー部……。私知ってるかな?」
「知ってますよぉ〜! すっごぃ人気あったセンパイですもんー! 矢崎守センパイですぅ!」
「……矢崎先輩ね。わかったわ。とりあえず……、いつものように言っていてね、ヒカルちゃん」
落ち着いた女生徒の声が話を落着させる。
「はぁい」
不満そうなヒカルの声。
「ていうか、もういい加減に、二人―――」
ヒカルの言葉の途中で樹は片眉を吊り上げる。
この中にいる三人目の生徒の存在に気づき、一気にドアを開け割り込む。
「おい、お前らも暗くならないうちに帰れよー」
視界に入ってきたのはヒカル、そして二年の月日とともに幼さを減らし大人びて綺麗になった広瀬綾。その傍らに男子生徒―――茅野伊織。
「あっ、せんせーい! ちょうどいいですー、一緒帰りましょ」
ちょうどいいところに来た、とばかりに顔を輝かせ樹のもとにかけよってくるヒカル。
「なんだ、ちょうどいいって。いいから、帰れ」
内心面倒臭さ満点。表情にも面倒臭さをだし、樹はしっしと手を振る。
「えええー、だって、もう暗いじゃないですかぁ。こんな可愛い私と、きれいな綾先輩が一緒に帰ってたら悪いやつらに狙われちゃいますよぉ!!」
こぶしを握り締めて言うヒカルに、樹は綾をさりげなく視界に入れる。
「伊織くんがいるし、バス停まで近いし平気よ、ヒカルちゃん」
我侭をたしなめるようにヒカルに笑いかける綾。
伊織ねぇ……、内心呟く樹のほうに綾の視線がわずかに流れ、一瞬目があった。
だがすぐに逸らされる。
「そうですけどぉ。だってぇ、バスよりセンセイの車のほうが乗り心地いいじゃないですかぁ」
屈託のないヒカル。苦笑しつつも静観している伊織。そしてあまり乗り気でなさそうな綾。
それらを一瞥し、樹は仕方なさを装ったため息をついた。
「わかったわかった。お前ら駐車場で待ってろ。あと15分くらいかかるけど、いいんだな」
「わ〜い! いいでーす」
「でも、先生」
黙っていた伊織が遠慮するように声をかけてきた。
樹は教師然とした笑みを作り、
「俺ももう帰るところだったし、ついでだ」
と、伊織に言った。
「じゃあ、あとでな」
「はーい」
「先生、すいません」
ヒカルと伊織がそれぞれ返事をし、綾も小さく礼を言っている。
だがやはり綾の表情は嬉しそうではない。
樹はそれを見ながら、軽く手を振り生徒会室を出て行ったのだった。
「おかわり」
短く告げる。
そしてわずかに残ったグラスをあおる。
細身のグラスには氷と酒―――今日はジントニック。
すでに2杯目だった。
「おいおーい、樹。ペース早くね?」
隣の席でそう言ってきたのは小学校からの腐れ縁・悪友の仁科司。
バーテンダーが新しいグラスをコースターの上に置く。
3杯目のジントニックに口をつけながら「別に」とそっけなく返す。
「なになにー、職場でなんかあった?」
にやにやと楽しげな様子で司が視線を向けてくる。
樹は、うるさい、と冷ややかに一瞥し、煙草を加え火をつけた。
「もしかして、例のカノジョとか?」
それでもしつこい司。
カノジョ――、の言葉につい2時間ほど前別れた綾の姿が浮かぶ。
車内での綾は学校とは違ってえらく大人しかった。
居心地が悪そうに黙っていた横顔を思い出す。
学校ではもっと―――、かわいいのに、と樹は煙草の煙にため息をのせて吐いた。
「なーなー、例のカノジョとなんか進展ねーの?」
ぼんやりと綾のことを考えている。それは心地よい時間だ。
それを邪魔する司に、樹は再び今度は二割り増しくらいの冷たい目を向ける。
「お前に話す話はない」
「つっめてー! お前と俺の仲だろー?!」
「どんな仲だよ、気持ちワリィ」
「だぁっ! なんてひどいやつなんだー! そんなんじゃぜってー例のカノジョはお前にゃなびかねーぞ!」
ギャーギャーと、それでもバーという場所柄そこまで大きくない声でしつこく言ってくる司に、樹はにやりと笑みを返す。
「なびくとかの問題じゃねーの。あいつは俺にほれてるんだから」
当たり前のこと、とばかりのセリフ。
司は深々とため息をついた。
「なー、お前のその自信ってどっからくんの?」
「自信? 俺が堕ちてんだから、あいつだって堕ちてるってだけのこと」
「……お前のものは俺のもの。俺のものも俺のもの……。byジャイアン!!!、とはお前のことだな!」
ポン、と手を叩き、うんうん、と頷いている司。
「あ〜、それにしてもアノ女癖サイアクサイテー樹に"堕ちてる"なんていわせる子ってどんな子なんだろーなぁ。うああー、めっちゃ見てみてぇ! やっぱ美少女だよなー?」
うるさい司に無視を決め込むことにして、樹はジントニックを一口二口のみ進める。
確かに傲慢と言えるものかもしれない。
綾が自分を好きなどというのは―――。
でもあの初めてあった日、一目で堕ちたのが、自分だけではないことは確信している。
女に不自由したことのない樹だから、綾が自分を見る目に、隠そうとしても隠し切れない恋心を浮かべているのは間違いないから。
ただ―――……。
煙草の灰が、崩れ落ちる。
ひとつだけ気になることがあった。
想いの先が自分に向けられていることはわかるが、一線を引かれているような気がしていた。
あくまで教師と生徒。
樹から想いを伝えているわけでもないのだから、仕方ないかもしれない。
だが学校を離れた、たとえば今日綾を送っていった車内。
それなりに会話はしたが、居心地悪そうに、自分を抑えるようにしていた綾のことが気になる。
樹は煙草をくわえ、自分の指先を見た。
送り際―――綾の髪にほんの少し触れた指を。
「まぁ、まだ17だからしょうがないか……」
ぽつり呟く。
え?、なになに?、とすぐさま食いついてくる司の顔に返事代わりに煙を吹きつける。
ゲホゲホとむせながら悪態つく司。
「だーっ! お前なんてフラれてしまえばいい!」
そう睨んでくる司に、「ありえないから」と一蹴し、樹は4杯目を注文したのだった。
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2009,4,25
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