『最終話』





 一台の馬車が止まった。
 薔薇園で手入れをしていた庭師は手を休め、視線を向ける。
 止まる音に気づいたメイドが屋敷から出てくる。
 そして馬車から一人の少女が降りた。
 真っ青な青空。
 染み渡るような空の色に少女は目を細め仰ぐ。
「レアーナ様、お帰りなさいませ」
 執事とメイドが出迎え、言った。
 レアーナは笑みを浮べ、荷物を部屋へ運ぶよう言うと、薔薇園へと足を向けた。
 懐かしさと切なさと悲哀の入り混じった眼差しが咲き誇る薔薇を見つめる。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
 庭師のベンが声をかけた。
「久しぶりね、ベン。薔薇たちは元気かしら?」
「ええ。元気ですよ」
 日に焼けた顔を綻ばせ、我が子を見るようにベンは薔薇たちを見上げた。
「それじゃあ、お嬢様、ごゆっくり」
 そう会釈し、ベンは立ち去った。
 レアーナはその姿を見送って薔薇園のなかのベンチに腰を下ろす。
 かぐわしい香りに目を閉じる。
 深呼吸をして、ゆっくりと目を開く。
 目の前に広がる薔薇。
 なにもなかったかのように咲いている薔薇。
「サラ、元気?」
 薔薇に語りかけるかのようにレアーナは呟いた。
 もとヴァス・ヴィリアーズが所有していたこの屋敷をレアーナの父親が買い取ってすでに1ヶ月以上がたっている。
 執事やメイドたちはそのまま引継ぎ雇っている。
 この屋敷が売りに出されると聞いたとき、公爵である父親に無理を言って買い取ってもらったのだ。
 この屋敷にはいろいろな思い出がつまっているから。



 たとえ、目を覆うような惨劇が起こった場所であっても。



 1年前、オーストリアに滞在していたレアーナのもとに一通の手紙が届いた。
 緊急をようする手紙を開いたときの、あの衝撃はいまでも忘れられない。
 その手紙はサラ、そしてその母アルバーサの死を告げるものだった。 
 短い内容に、あわててレアーナは身支度をし、この屋敷へときたのだ。
 そこには妻と娘の遺体を前に憔悴しきったヴァスと、そしてなんの感情もあらわさず佇んでいるヴィクトールがいた。
 声をかけることができず、二人の死について重い口を開いてくれたのは執事だった。
 思いもかけない。
 予想だにしていない出来事。
 アルバーサがサラを撃ち、そしてその後アルバーサも銃で頭を撃ちぬいたと。
 なぜそんなことが、そう言うと執事は目を伏せ教えてくれた。
 ヴィリアーズ家に従事し40年になる初老の執事は、すべてを知っていたのだ。
『アルバーサ様が…銃を向けられたのはヴィクトール様なのです…。
 それをサラ様がお庇いになられ…』
 そして娘を殺してしまったアルバーサはその場で命を絶った。
 執事は淡々と語り、レアーナに1通の手紙を渡した。
 サラが死ぬ前に書いていたレアーナへの手紙。
 そこにはアルバーサのことマリスのこと、ヴィクトールのことが書いてあった。
 自分が旅立ったあと、よもやこんなことが起ころうとは。
 そして手紙の最後にあった『ヴィックに告白するね』という一文を読んだとき、涙が止まらなかった。
 どうしようもなく悲しくてたまらなかった。
 アルバーサが息子であるヴィクトールをなぜ撃とうとしたのか、その心情はわからない。
 だが、それがきっかけでサラは死んでしまったのだ。
 ヴィクトールのせいではないとわかっていても、どうしても話しかけることができなかった。
 そして葬儀が行われた翌日。
 ヴィクトールは姿を消した。
 謝罪の手紙を残し、屋敷を出て行ってしまった。
 それから1年近くして、ヴァスもまたこの屋敷を手放し、新たな土地へと移り住むこととなった。
 新たなこの屋敷の主となったレアーナに、最後の日ヴァスが言った。
『正直…レアーナ…君が買い取ってくれてほっとしているよ。
 私ひとりで住むには…広すぎ…辛すぎる…。
 だが…それでも見も知らぬ人の手にわたるには寂しいからね…』
 疲れのせいか年老いたように見えるヴァスは小さく笑った。
 いつでも帰ってきてください、そう言った。
『ありがとう…。……………もし…ヴィクトールが……戻ってくることがあったら…連絡をくれないか』
『はい…』
『彼には……謝らなくてはならないことが…たくさんある…』
『…………』
 そうして、ヴァスは屋敷を去った。


 すべてが去っていった。
 誰もいなくなった。
 胸をよぎるのは郷愁と切なさ。
 薔薇園にいると、ひょっこりサラが顔をだしそうな気がする。
『レアーナ』
 そう笑いながら。


『ねぇ、レアーナ。私ねヴィックに告白したのよ。えらいでしょう?』 


 そんなことを言っていただろうか。
 もし…生きていたら。



 レアーナは立ち上がり、薔薇のそばに身をかがめた。
 柔らかな花びらに触れる。
 黄色の花びら。
 咲き誇る大輪の薔薇。
 1年の時をへて、黄色の薔薇はその数を増していた。
 愛が広がるように、黄色の薔薇は咲き続けている。
「最初から、わかってたのにね」
 誰に言うでもなく、漏れる言葉。
 サラが昔ヴィクトールに黄色の薔薇をもらったと言っていた。
 その黄色の花言葉の意味を、オーストリアに滞在していたとき、レアーナは知ったのだ。
『恋の告白、という特別な意味もあるのですよ』
 滞在先の夫人が言っていた。
「両思いだったのよ、サラ」
 微笑を浮かべ、薔薇に話しかける。




「この薔薇ぜんぶ…あなたのためのものなのよ……」




 ねぇサラ、見えている?
 ずっと薔薇は咲いている。
 あなたのために。
 愛と一緒に――――――――。








 ずっと――――――――。






  あとがき


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