『第2話』






 少女二人の鈴のような笑い声が、部屋の中に響いていた。
「ああ、ヴィックったら本当にかわいそう」
 チョコレートを口へ運びながら、ピンクのドレスを身にまとった少女がしみじみと、だが笑いを含んで言う。
「かわいそう? なんでよぉ。私はヴィックの楽しい思い出で和んでるだけでしょう?」
「ヴィックにしてみれば忘れたい過去でしょ〜に」
 言いながら少女は吹き出す。
「だって、蜜蜂になりたい! だもん〜」
「そうね〜。でもサラはちょっとしつこすぎるところあるから」
 親友の発言にサラは頬を膨らませる。
「なによぉ、レアーナ。久しぶりに会ったのに〜」
 艶やかで、サラサラなストレートの金色の髪。レアーナと呼ばれた少女は細い髪を指に絡ませながら、クスクス笑う。
「まぁ、確かにヴィクトールってからかったら楽しいから気持ちはわかるけどね」
「あのねぇ、私は純粋に、出会った日の思い出にしょうっちゅうひたってるだけなのー。ヴィックをからかう気なんてない! それにレアーナ! ヴィックをいじめないでよねぇ」
「はいはい〜。サラ姫のだ〜い好きなヴィック様をいじめたりしないと誓います」
 片手を上げて、軽い口調で言う。
 レアーナは見た目ははっとするような気品ある美少女なのだが、やや外見とは想像つかない砕けた性格をしている。
「あのね〜。もうレアーナったら。ほんとにそれでも貴族なの??」
 サラの言葉にレアーナはきょとんとして、椅子から立ち上がる。
 そして優雅にひらり、と社交界用のお辞儀を披露する。
「どこからどうみても、気品溢れる公爵令嬢でしょ」
 そうレアーナは名門バーモンド公爵家の令嬢なのだ。
 彼女は公爵夫人でありながら有名なオペラ歌手でもある母親について、いろいろな国へ出向いている。
 そしてたまたま次の公演先へ移動の途中でサラの家へと立ち寄ったのだ。
 二人は同い年で、同じ日に、同じ舞踏会で社交界デビューしたのだ。
 そのとき、喋って意気投合。以来たまに会ったり文通したりで友好は続いている。
「それにしても」
 レアーナは椅子に座りなおし、サラを真剣な眼差しで見る。
「ヴィックとはどうなの?」
 サラは不思議そうな顔をする。
「なにが?」
「なにが、って。だからぁ〜」
 レアーナはおもむろにサラの方へ身を乗り出して、サラに抱きつく。
「ちょっ?!」
 驚くサラをレアーナががじっと見つめ、囁く。
「愛してるよ、サラ!とか」
 そしてさらにぎゅっと抱きしめる。
「きゃ〜!!」
 レアーナの言わんとすることに気づいて、サラは明るい悲鳴を上げる。
 そんなの夢のまた夢だよ、と言おうとした時、ドアがノックされた。 
 そして、開く。
 お菓子をのせたトレイを片手に持ったヴィクトールがぽかんと口を開いて立っている。
 抱き合っていた、としか見えない少女二人にヴィクトールは目をしばたたかせて複雑な表情を浮かべた。
「あ……の…お邪魔…だったかな……」
 やや引きつった笑みを浮かべ上擦った声で呟くヴィクトール。
 二人の少女はお互いを見つめあう。そしてクスクス笑い出した。
「全然、邪魔なんかじゃありませんことよ。ヴィクトール様」
 にっこり艶やかな笑みを向けるレアーナ。
「そうそう、ちょっとふざけてただけ」
「……そう?」
 少女二人の言葉にようやくヴィクトールはいつもの柔和な笑みを浮かべてあいている椅子に座る。
 少女二人は新たに加わったお菓子の山に目を輝かせ、手を伸ばす。
「何時の汽車でたつんだい?」
 ヴィクトールがレアーナに訊いた。
「夕方の5時だったかしら」
「そうか、もうあと3時間ぐらいしかないね」
 腕時計に目を落とすヴィクトール。
 サラは頬杖をついて、ため息をついた。
「時間ってあっという間ね」
「そうね。でも」
 思い出したようにレアーナが微笑む。
「一ヵ月後にまた来るわ。お母様の公演があるのよ。今度は一週間の予定だから、ゆっくり遊べるし。それに招待状も送るから、一緒に見に行きましょうね」
「本当?! シルディア様の舞台って久しぶり。ああ〜なんだか今から楽しみ! ―――――ヴィックはレアーナのお母様ってまだお会いしたことないわよね?」
「そうだね。噂はよく聞くけどね、とても素晴らしい歌姫だって」
「そうなの。しかもとってもお美しくって上品で、優雅で、素敵な方なのよ! もうレアーナの性格とは似ても似つかないぐらいに…」
 母親への絶賛を聞いていたレアーナは、最後の言葉に眉を寄せる。
「ちょっとサラ? なにかしら、いまの発言は?」
「はい? なにか私言いましたかしら?」
「ったくもう!」
 ぽんぽんと掛け合う言葉は軽く明るくて、聞いている側までも楽しくなってくる。ヴィクトールは微笑ましく少女二人を眺めた。
 そして紅茶を飲むと、少女二人に提言した。
「ところで、ちょっと買い物にでもでかけないかい? レアーナの出発の時間まで、僕も一緒でよければお供いたしますが?」
 にこにこと笑うヴィクトールに少女たちはいっせいに歓声を上げる。
「「もちろん行く!」」
 声を揃えて、椅子から立ち上がる二人。
「私、新しい帽子が欲しかったのよね」
 と、レアーナ。
「私、新しいリボンと髪飾りが欲しいの」
 と、サラ。
 ヴィクトールは妹のような二人の少女を優しい眼差しで眺めながら、パンと手を打った。
「さあ、そうと決まれば出かける準備をしてください? お嬢様方。馬車の方はもう用意してあるから、僕は玄関で待っているね」
 そう言うと、ヴィクトールは先に部屋を出て行った。
 そして少女たちは大慌てで準備を始め、15分後三人は屋敷をあとにした。















「どうかしら?」
 レアーナが腰に手をあて、ポーズを取りながら言った。
 紫を基調とし、紫とブルーの大きなリボン飾られ、ツバの内側にはふんだんにあしらわれたレース付きのボンネット。
 ダークバイオレットのそれは落ち着いたかんじもあるが、レアーナの白い肌によく映えていて似合っている。
「うん、とっても似合っているわ。大人っぽくみえるわ。口を開かなかったらとても美しい令嬢よ」
「…………お褒め頂いてどうも。サラもよく似合っているわよ」
 言われてサラも両手をボンネットにもっていき、にっこりと笑ってみせる。
 ピンクのベルベット地にレースと真っ白なリボンに小さな花飾りのついた、可愛らしい感じのボンネット。
 サラのイメージにぴったりとあっている。
「うん、とってもよく似合っているよ」
 ヴィクトールも目を細めて頷く。
 サラは、そう? と嬉しそうに笑いながらも、わずかに小首を傾げる。
 ボンネットを外し、ショーケースの上に出された髪飾りを取る。
「でもこれもすごく好きなのよね」
 蝶の形を模した金細工を髪にあててみる。
 どっちにしよう?、と困ったようにレアーナとヴィクトールに視線を流す。
「そうねぇ、どっちも似合ってるから二つとも買えばいいんじゃないの?」
「ううーん、でもついこの前も、新しい帽子かったばっかりだし」
「それなら髪飾りにしておけば?」
「ううーん、でも……」
「………」
 迷い続けるサラに、レアーナはため息をつく。
 ううーん、と頬に手をあて考えるサラ。 
 そんなサラを笑みをたたえて見ていたヴィクトールがピンクのボンネットを持ってきた。
 そしてサラにつけてあげる。
「こっちを買えばいいよ」
 そして、と蝶の髪飾りを店主に渡す。
「髪飾りは僕が買って、サラにプレゼントしてあげるから」
 サラは目をしばたたかせて、そして頬を緩めてヴィクトールを見る。
「ほんとに?!」
「うん」
 微笑むヴィクトールに幸せそうなサラ。
 横でレアーナが大きなため息をつく。
「あのお二人方? 人前でいちゃつくのやめていただけます?」
 しらじらとした口調でレアーナが言う。
 サラが顔を真っ赤に、頬を膨らませてレアーナに詰め寄った。
「ちょっとー変なこと言わないでよ〜」
 小声で抗議するサラに、レアーナはそっぽを向く。
 もう!、とさらに頬を膨らませるサラ。
 ヴィクトールは小さく笑いながら、レアーナに視線を向ける。
 そしてうやうやしく頭を下げる。
「レアーナ様もお気に召したのがあれば、ぜひプレゼントさせていただきますが?」
 笑いながらかしこまった口調で言うヴィクトール。
 レアーナは艶やかな笑みを浮かべ、軽く手を振る。
「お気になさらないで、ヴィクトール。贈り物ならいつもうんざりするぐらい頂いているから」
 レアーナほどの美少女ならさもありなん。
 ヴィクトールは、ではぜひ今度また、と苦笑する。
 そうして帽子屋での買い物を終えると、三人はカフェで休憩をし、いくつかの店を見て回った。
 時間はあっという間に過ぎていく。
 楽しければ楽しいほど早くて、別れの時間が来ていた。
 レアーナはいったんホテルに戻らなければならないということで、馬車はレアーナの宿泊先へとむかった。
 ホテルの前に付き、レアーナが馬車から降りる。
「それじゃあね、サラ、ヴィクトール」
「うん…」
 なかなか会えないから、やはり別れは寂しくなってしまう。
 目を潤ませるサラに、レアーナは優しく笑う。
「一ヶ月ごにはまた会えるでしょう? それに手紙も書くし、泣かないの」
「うん」
 普段はケンカでもしているかのようにぽんぽんと言い合っている二人だが、やはり親友なんだなとヴィクトールは二人を見ながら思った。
 じゃあね、と言い合って、さっとレアーナがサラの耳元で囁いた。
「今度会うときまでに、ヴィックと少しはなにか進展しておくのよ」
 瞬間頬を真っ赤に染め上げるサラに「バイ!」と手を振るとホテルの中へ入って行った。
 レアーナを見送って、馬車は走り出した。
「またすぐ会えるよ」
 ヴィクトールが微笑む。
「うん」
 寂しい気持ちもヴィクトールの笑顔ですぐに癒されていく。
「ああ、でも」
 と思い出したようにヴィクトールが呟く。
「レアーナが次に来る前に、僕の知り合いが来るんだった」
「ヴィックのお知り合い?」
「うん。おじさんが、ぜひ屋敷にって言っていたから、多分1〜2ヶ月ぐらい滞在するかもしれないね」
 ヴィクトールが家に来てもう1年がたつが、いまだにヴィクトールの友人には会ったことがなかたった。
 もともと住んでいた街が違うからもある。
 だから初めて昔からのヴィクトールを知っている人がくるということに、興味が沸いてくる。
「とても優しい人だからきっといい友達になれると思うよ。それに年も近いし」
「いくつなの?」
「サラより一つ年上かな」
「ふーん」
 ということはヴィクトールより2つ年下。
 どういった知り合いなのだろうと、思うと同時に、疑問が沸く。
 その知り合いというのは男なのだろうか?、と。
「ほんとに優しくてレアーナとは少し違うけど、とても綺麗な人だよ」
 心臓が高鳴る。
 女性なのだ、と動揺する。
「サラもすぐに打ち解けるよ」
 サラは顔が強ばりそうになるのを必死で押さえながら、訊く。
「あのその人って…」
 頬をむりやり緩めて作った笑顔。
 微かに頬が痙攣する。
 ヴィックは目を細め、「幼なじみでね、妹のような子で…」と言った。
 妹のような、ということばに、幾分気がそがれる。
 だが、次の瞬間、ヴィクトールが照れたような笑みを浮かべた。
 心の準備ができないまま、サラは次の言葉を聞く。

「そして―――――、僕の婚約者なんだ」

 目の前が真っ暗になった。