『第13話』
「寂しくなるわね」
言葉そのままを表情に出し、マリスが言った。
サラはクッキーを頬張りながら横に座るレアーナを横目に見る。
「そうね。マリスとは知り合ったばかりだというのにね。でも永遠の別れと言うわけでもないし、またお喋りしましょう」
穏やかに微笑むレアーナ。
レアーナの母シルディアの公演が始まって1週間たつ今日、早々と『椿姫』は幕をおろした。
もともと正規の上演ではなく劇場側からの招待されての期間限定の上演だったのだ。
人気の高いレアーナの母は名門公爵夫人でもあるため様々な社交の場に赴かなければならないことが多い。そのため滅多に長期上演の舞台には立たないのだ。
「次はどこへ行くんだい?」
ヴィクトールが訊き、レアーナがため息混じりに答える。
「オーストリアよ。でも公演ではなく、お母様のご友人から招待されているの。1ヶ月ほど滞在予定なのよ。もうその間に、どれだけ舞踏会があるのかを考えると気が滅入るわ」
「公爵令嬢も大変なのよね」
クスクス笑うサラ。
レアーナは艶やかに笑みを浮かべて見せる。
「ええ、なにせこの美貌と上品な性格でしょう? 舞踏会では休む暇もないのよ」
「そうね。確かに初めて会った人には優しいものね、レアーナは」
クッキーの入ったガラス皿を手に抱え、目を細めたサラにレアーナはやや頬を引きつらせる。
そしてサラからガラス皿を奪い取った。
「食べすぎよ、サラ」
にっこりと、だが冷たく牽制する。
不服そうに頬を膨らませるサラ。
そんな二人のやり取りは見ているほうにとっては微笑ましいもの。
ヴィクトールはレアーナに取り上げられたクッキーを切なげに眺めるサラを見つめ、微笑をこぼした。
いまサラは平静にしているが、明日レアーナが去っていけばしばらく寂しさに大人しくなってしまうだろう。
ヴィクトールはそう考えながら、マリスに視線を流した。
「それじゃあ、マリス。僕らは退散しようか」
声をかけ、腰を浮かせる。
すると不思議そうにレアーナとサラが顔を見合わせた。
「あら、もう戻るの?」
レアーナが、まだいいじゃない、と目を向ける。
優しい笑みを浮かべ、ヴィクトールは二人を見る。
「これからしばらく会えなくなるんだし、親友二人でゆっくりしたほうがいいだろう?」
「そんな気を使わなくていいのに」
サラはそう言ったが、ヴィクトールはマリスと連れ立って、
「レアーナ、明日は僕たちも見送りに行くから。それじゃあ、お休み」
と言い残し部屋をあとにした。
一気に静かになる室内。
「「どうする?」」
サラとレアーナは互いを見、同時に言った。
そしてそれから30分後、ネグリジェ姿の少女二人がベッドに腰掛けていた。
レアーナがサラの髪を梳いてる。
「私は三つ編みに結ってちょうだいね」
細いリボンで髪を一つに束ねながら言うと、サラが眉を寄せて見上げる。
「ええー。面倒くさいよー」
「なによ、親友の頼みが聞けないの?」
櫛を渡され、しぶしぶと今度はレアーナの髪を梳くサラ。
面倒くさいとは言いながらも楽しそうな表情。
「三つ編み二つ?」
「そう」
髪を半々にまず分け、また丁寧に梳いていく。
「ねぇ、それで…」
レアーナが言った。 二つに分けた髪の束をさらに3つに分けながら、「なに?」と訊きかえすとレアーナがわずかに首を動かしサラを見ようとした。
「動かないでよー」
慌てて言うと、レアーナがはいはい、と正面を向く。
「それで、なに?」
「マリスは最近例の彼とは会ってるみたいなの?」
例の彼、とはラナルフのこと。
秘密にとはなっていたが、レアーナに隠し通せるわけがなかった。
あきらかにそわそわした様子のサラを問い詰め、ラナルフのことを聞き出したのだ。
サラが話し進めていく間、レアーナは頭痛でも抱えているかのように額に手をあて、しきりにため息をついていた。
そして一言、『お馬鹿』と脱力しきった声で言ったのだった。
「さぁ。今週は会ってないみたい。ラナルフが原因かはわからないけど、マリス最近眠れないみたいなのよね」
一昨日の夜、偶然深夜に出くわしたことを思い出す。
そのとき何が原因でマリスが眠れないのかは聞くことができなかった。
「へぇ…。まぁ彼女も難しい立場だものね」
金色の髪を編みながら、ラナルフとマリスのことを想う。
サラとヴィクトールとの関係とは違うが、立場的には同じだ。
「…ん…そうだね…」
小さく呟き、編み終えた髪を留める。
二つの三つ編みが出来上がり、レアーナがありがとうと微笑んだ。
ベッドに並べられた数個の枕にもたれかかるレアーナ。
「そのラナルフはこれから先どうするのでしょうね」
サラはベッドにもぐりこみ、枕に頬をつけてレアーナを見る。
「サラから話を聞いた限り、一見軽そうだけど、意外に真剣な印象を受けるのよね」
柔らかな枕とシルクのカバーは肌に心地よくて、サラは目を細めた。
「………うん。いい人そうだった…。でも…なんで」
最後は呟きで消える。
「なんで?」
レアーナが促すと、サラは静かに口を開いた。
「なんで…婚約者がいるってわかってたのに…付き合ったのかなって…」
ラナルフは、マリスとヴィクトールの関係が家族愛的なものだったら、自分が入り込む隙間があるのじゃないか、とは言っていたが…。
だが実際にマリスに気持ちを伝えたときには、かなりの覚悟を要しただろう。
「婚約者がいなくても、好きっていう気持ちを伝えるのって…すごく難しいのにね…」
ため息とともに漏れる。
婚約者の存在を知りながら、マリスを想う心を伝えたラナルフ。
そしてマリスもまた婚約者がありながらラナルフと付き合った。
レアーナは静かな面持ちでサラを見つめた。
「………なんとかなる、なんて思ってはいなかったでしょう…、きっと」
「…そうなのかな………」
「でも、それでも止められなかったんでしょう」
そっとレアーナの横顔を見る。
淡々とした表情のレアーナ。
その視線に気づいてか、小さな笑みを漏らす。
「サラだって、止められないでしょう? ヴィックを好きな気持ちを」
ほんのりと頬が染まる。
ヴィクトールのことを考えただけで胸が苦しくなってしまうのは何故なのだろうか。
「うん…。ね…レアーナは…」
枕を抱きしめ、わずかに身を起こす。
「レアーナも苦しくなるような恋ってしたことある?」
きょとんとサラを見る。
そしてふっと冷笑した。
「秘密」
「ええー、なんでぇ?! ケチっ」
小さく頬を膨らませると、レアーナが軽くつねる。
「ケチとか言うんじゃありません! ほんっとに、もう。サラ今度は家に遊びに来なさいよ、一ヶ月ぐらい」
「招待してくれるの?」
「ええ。屋敷にはサミュエルという、それは素晴らしく躾の厳しい執事がいるから、サラも素晴らしい令嬢にしていただけるわよ」
にっこりと向けられた笑顔に、言葉を詰まらせるサラ。
聞こえなかったふりをして枕に顔をうずめる。
そんなサラを目を細めて見つめ、呟く。
「私が一つ言えるのは…」
そっと息を止め、吐き出すように口を開く。
「想いは伝えなければ意味を持たない。それがたとえ望まない結果であっても。でないと、絶対に後悔するわ」
凛とした声に思わず顔を上げると、そっと頭に手が置かれた。
「だから、最後までがんばりなさい?」
暖かな声が胸に沁みる。
サラはじっとレアーナを見つめて、笑った。
「がんばる」
そう言葉に出した瞬間、本当に一歩前に進めたような気がした。
以前のように素直にヴィクトールと接しきれない日が続いていた。
だが逃げてばかりではなにも始まらないのだ。
捨てきれない想いなら、大切に育てて花を咲かせなければならない。
すっきりとした笑顔に、レアーナも微笑む。
そしてお喋りは続き、二人が眠ったのは明け方近くだった。
次の日。
お昼すぎの汽車で発つレアーナを見送るため、サラたち4人は朝から街へと繰り出していた。
ショッピングを楽しみ、美味しい昼食をとると、あっという間に時間は経ってしまう。
一度レアーナたちはレアーナの母親の待つホテルへと行き、合流し駅へと向かった。
レアーナの母は従者とともに先に席へとつく。
駅のホームは様々な人々が溢れていて喧騒に包まれていた。
サラはそっとため息をつく。
だが寂しさを表情に出さないように気をつけ、笑顔を作る。
「気をつけてね、レアーナ」
サラが言って、ヴィクトールたちも続いて声をかける。
レアーナは笑いながら、
「送っていただいてありがとう。とっても楽しかったわ、今回の滞在は」
と皆を見回した。
「また4人で遊ぼうね」
レアーナの手を取るサラ。
「ええ、またきっと」
強く頷き、レアーナは汽車に乗った。
汽車の中とホーム。
わずかな段差だが、距離はやけに遠く感じる。
レアーナは必死で笑顔のままでいようとするサラを見つめ、「じゃあね」と声をかけた。
「うん」
そして席へと向かおうとした。
だが、ふと振り返る。
なにか妙な不安に胸が締め付けられる。
「サラ」
レアーナは真剣な眼差しでホームへと降りるとサラの手を取り握り締めた。
「なにかあったら…すぐに知らせるのよ。すぐに飛んでくるから」
いつになく真面目な口調。
「………うん」
サラはレアーナの心配気な表情に微笑を返す。
なんだかんだと言っていつも自分のことを気にかけてくれているレアーナの優しさが嬉しい。
「なにかあったらすぐ手紙書くわ。もしかしたらレアーナのところまで私が飛んで行っちゃうかも」
そう言うと、レアーナが一瞬きょとんとしてサラを見つめた。
そして笑いながらぎゅっと抱きしめる。
「ちゃんと元気でいるのよ」
「うん」
大好きよ、とレアーナが囁いた。
離れがたそうに身をひいて、今度こそ汽車に乗る。
発車の合図が鳴り響く。
「私、がんばるね!」
汽車が動き出す瞬間、人目もはばからずサラは大きな声で叫んだ。
レアーナは一瞬目を点にして、そして笑顔をこぼした。
「がんばりなさいよ。今度会うときを楽しみにしてるから」
ガタン、と車輪が回り、汽笛が鳴る。
またね、そう互いに声をかけ手を振った。
汽車はあっという間にホームをさり、離れていった。
サラはしばらくその場所を動かず、汽車の消えて行った先を見ていた。
やがて軽く肩が叩かれて振り向くと、ヴィクトールが静かな笑みを浮かべて言った。
「ケーキでも買って帰ろうか」
マリスも優しい笑顔でサラを見つめている。 自分を心配してくれている二人の気持ちを感じ取って、サラは満面の笑みを向けた。
「うん!」
飛び切りの笑顔で頷いたサラにヴィクトールとマリスは顔を見合わせて微笑んだ。
だが―――――。
沢山のケーキを買い、笑顔で屋敷に帰ったサラたちを待っていたのは、楽しい日々を一瞬で打ち砕くものだった。
玄関フロアに入るとサラたちを出迎えたのは青ざめたメイドだった。
「どうしたの?」
不思議そうに尋ねると、メイドは視線を泳がせうつむいた。
そして搾り出すように声を出した。
「…ア、アルバーサ様が…」
笑顔が消え、顔が強ばっていくのを感じる。
「発作を起こされて…」
サラはメイドに駆け寄る。
「それで大丈夫なの…?」
胸を押さえ、やっとの思いで訊くと、メイドはさらにうつむく。
「いま…主治医のリード様が来られています…」
ただの発作ではないのだ。
あまりにも動揺を隠せずにいるメイドに血の気が引いていくのを感じる。
サラはアルバーサの部屋へと駆け出した。
ヴィクトールたちもサラの後を追う。
アルバーサの部屋の前へつくと、ヴァスと主治医が話し込んでいた。
「お父様っ」
ヴァスが険しい表情でサラを見る。
今にも泣き出しそうな娘の肩を押さえ、しっと口元に指を当てる。
「走ってはいけないよ」
穏やかに落ち着かせるように、背中を優しく叩く。
だがサラは落ち着きなく身体を震わせてヴァスを見つめる。
「お母様のご容態は…? 大丈夫なの?」
ヴァスは不安を色濃く映し出したサラの目を見ることができず、逸らした。
「サラ…。アルバーサはいま発作を起こしててね」
「薬は!?」
「……今回の発作はひどく、薬が効かない状態なんだ…」
じゃあ、とサラが口の中で叫ぶ。
どうなるの?、と訊けない。言えない。
ガクガクと全身が震え、揺れる。
倒れそうになったサラの身体を慌ててヴィクトールが抱きとめた。
「お母様……」
辛そうに漏れる声。
震え続けるサラの肩を抱きしめながら、ヴィクトールは顔を上げる。
ヴァスと目が合う。
言葉はない。
だが二人の間に交わされる無言の会話。
ヴァスはしばらくしてヴィクトールからサラへと視線を流すと、
「もう少し落ち着いたら、呼ぶよ。だからそれまで部屋で待っていなさい。いいね」
と言った。
サラは目を潤ませて、力なく頷いた。
『あの人』の終わりが遠い日であるように―――。
終わりが来ず、自分が出て行く日が、来れば―――。
それは儚い祈りなのだろうか?
ヴィクトールはマリスに付き添われソファーにうずくまっているサラを見つめる。
そして出来るならば、この少女の悲しむ姿を見たくはない。
二つの願いは強くヴィクトールの胸を締め付けた。
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