※OSE本編第一部より後、第2部より前の設定です。




 SNOW







 ぱちぱちと火のはぜる音が暖かい空気の中で響いている。
 明るすぎないランプの灯と、暖炉の燃える火で、やわらかく室内は照らされている。
 テーブルの上には暖かい紅茶と、クッキー。
ロッキングチェアーに座り、ゆったりと編み物をしているマリアーヌ。
 膝の上にはカテリアが丸まっている。
 今日はオセの家の休みの日で、夕食のあとの時間をカテリアの部屋で過ごしていた。
「マリー!」
 静かな室内に、大きな声が駆け込んできた。
 珍しく弾んだ声に、マリアーヌはきょとんと、カテリアはちらりと顔を上げる。
「どうしたの?」
 笑みをたたえたハーヴィスはかすかに白い息を吐き出す。
 そばに歩み寄ってきた身体からはほのかな冷気が漂っている。
「いま、ちょっと外に出てたんだがね、雪が降ってきたんだよ」
「雪?」
「そう。雪」
 マリアーヌは「ふうん」と小さく呟き、また編み物を始める。
「おや? 興味なしなのかい」
 マリアーヌのそばに腰を下ろし、ハーヴィスが予想外といった表情で覗き込む。
「マリーは喜びそうな気がしたのにな。初雪だよ?」
 ニャァ。
 確かに―――、とでも言うように、カテリアが鳴きマリアーヌを見上げてくる。
 マリアーヌは再び手を止めて、うつむいた。
 ――――雪は、あまり好きじゃない。
 昔、まだオセに来る前、雪など楽しむすべもなかった。
 寒さは飢えにつながる。
 身を暖めるものなど、ろくになかった。
 それに―――初めて身を売ったのも。
「マリー?」
 ぐるぐると昔のことが思い出され、心は暗く沈みかけていた。
 それを引っ張りあげるようなハーヴィスの声に我に返って、マリアーヌは視線を向ける。
 優しい眼差しをしたハーヴィスがそっとマリアーヌの手を握る。
 さっきまで外にいたせいか、少し冷たい手。
 だが、その分ほのかな熱を感じる手。
 暖かい―――離しがたい手。
「綺麗だったよ。見に行こう?」
 促すように笑いかけてくるハーヴィス。
 雪など別にいい、と思った。
 だが、―――なぜか頷いていた。







 外気の冷たさに、マリアーヌは口元に手を当て、暖かい息を吐き出した。
 ニャァ――――。
 足元をすりぬけ、庭園を軽やかに歩くカテリア。
 まだ降り始めたばかりだから、雪が積もっていることはなく、地面に落ちては溶けていくだけだ。
 薄闇に包まれた世界。
 うっすらと空を覆う灰色の雲と、暗い青色の、だが煌々と明るい月の浮かぶ空。
 ふわり、ふわりと雪が舞い降る。
 小さい、その白い結晶を、マリアーヌはじっと見つめた。
「僕、雪好きなんだよね」
 ハーヴィスが言いながら横に並んだ。
「マリーは? 嫌い?」
 向けられてくる笑みに、あいまいに頷くしかマリアーヌはできずにいた。
 ハーヴィスが空に手を伸ばす。
 その手の上に、雪がふわり、と落ちていく。
 いくつもの雪が降りては溶けていく。
 マリアーヌの頬にも雪がすべり、冷たい跡を残していく。
「手……冷えちゃうよ?」
 手袋もはめていない手で雪を受け止めているハーヴィスの手は、雪のしずくでぬれている。
「冷えていくのが楽しいんだ。凍てつくくらいの冷たさのほうが、心地よくないかい」
 微かな笑いを含んだ声。
 よくわからない感覚に思え、マリアーヌは怪訝な面持ちでハーヴィスの横顔を見つめ、そしてその手を見た。
 冷えていく指先。
 雪を受け止めれば、ただ外気にさらされているよりも、いっそう冷たくなっていくだろう。
 ふっと、無意識に、マリアーヌは手を伸ばしていた。
 そしてハーヴィスの手を包み込みように握った。
 予想以上にハーヴィスの指先は氷のように冷えていた。
「マリー?」
 驚いたようなハーヴィスの声が響く。だがすぐに「どうかした?」と優しく問われた。
 そこでようやく自分のとった行動に気づき、マリアーヌの頬が赤く染まる。
「なんでもないの……」
 そう呟きながらも、ぎゅっとマリアーヌはハーヴィスの手を握り締めた。
 ハーヴィスの手のぬくもりが、ほんの一時でもなくなるのがいやだった。
 それだけ。
 自分の手をとった、この手は―――暖かいままでいてほしかった。
 ただ、それだけ。
 少しして、うつむくマリアーヌの頭上でハーヴィスの小さな笑いがこぼれた。
「マリー、君の手のほうが冷たいよ」
 そうして、ハーヴィスのあいていたほうの手が、マリアーヌの手に重ねるようにして置かれた。
「じゃぁ今度はちゃんと手袋をして、暖かくして雪を見よう」
 雪が積もったら。
 一面の銀世界を暖かい紅茶を飲みながら。
 ね?
 と、ハーヴィスがマリアーヌの手を繋ぎなおし、笑いかけた。
 雪が、ふわりと舞い降りる。
 蒼く暗い夜空に、白く輝く雪の結晶。
 その時マリアーヌはふと、ひどく、ひさしぶりに―――、雪を綺麗だと思った。
 遠い昔。ただ無邪気に降り積もった雪の中で遊んでいた頃が心の底でよみがえっていた。
「雪だるまを作ろう。僕、うまいんだよ」
 ニャァ―――。
 遠くで、二人を呼ぶように、カテリアの鳴き声がする。
 マリアーヌは、ふわりと花がほころぶような笑みを浮かべ、頷いた。


 しんしんと、雪は降り続いていた。




 ―――end.
 

 


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2007,1,7