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何かが変わっていっている。
そんな気がして幾度となくマリアーヌはため息をついていた。
ハーヴィスの冷たい眼差しにほんのわずかな恐怖を感じた―――あの夜。
翌日は部屋にこもっていたのか一度も顔を合わせることはなかった。
部屋の前まで行ってノックしようとしたが出来なかったのは数回に及ぶ。
もしかしたら自分はハーヴィスに嫌われているのではないか。
そんなことさえ胸を過り、そのたびに痛みが走る。
だがそんな憂いを取り払うようにさらに翌日、ハーヴィスは仕事に出てきた。
とはいっても以前のように一日中というわけではなかったが、少しの間でも執務室にハーヴィスの姿があったことはマリアーヌの心を落ちつかせた。
『夜会の準備、マリーだけでも大丈夫だろうけど。一応チェックをね』
以前となんらかわりない笑顔とワイン片手に書類に目を通すハーヴィスに心は簡単に浮き立ってしまう。
『明日は用事あって出かけるから。よろしく頼んだよ』
そうして一時の浮上などまたすぐに沈んでいくのだ。
結局ハーヴィスが執務室にいたのはその日だけで、今日までの1週間は少しだけ顔を合わせるくらいで仕事をする様子はなかった。
「……エメリナ、どうしたらいいの……」
それでもまわりの人間は誰も何も言わない。
あまりいることがなかったエリックは旅立つ様子はなく、マリアーヌの傍で従事している。
それもまたどこかマリアーヌの心を落ちつかなくさせた。
今日は息が詰まるのを感じ、昼食を終えると庭の薔薇を摘んでエメリナのお墓へと来ていた。
誰もいない敷地内は静かで、天気も良く爽やかな風が吹いている。エメリナに語りたいことは多々あるようで言葉にはならず、考えもまとまらず時折不安を口にしてはじっと供えた薔薇を眺めた。
答えなどなくそれでもいいといつもこの場所に来ていたのに、心細さが深まるとまたエメリナの声が聞きたくなってしまう。
『マリアーヌ』
そう最後に名を呼んでくれたあの笑顔で『大丈夫』だと言ってほしくなってしまう。
―――自分にそんなことを思う資格などないというのに。
天に上ったエメリナに救いを求めるなんてなんて傲慢なのだろう。
ふと過った想いに、暗く落ちそうになる気持ちを振り払うように首を振った。
自分のため息と同時に耳に足音が重なって響く。
座り込んでいたマリアーヌは人の気配に慌てて立ち上がりそっと振り向き目を見開いた。
「こんにちは、マリアーヌ」
「……ローランド様」
どうしてここに、と内心戸惑いながらも挨拶を返す。
「会いにきたらここに来ているとエリックに教えてもらったので……」
ローランドは微かな笑みを浮かべ、手に持っていた花束をマリアーヌが置いた薔薇のそばに置いた。
「マリアーヌが以前言っていたご親友の?」
「……はい。あの……ローランド様、私になにか御用でしたか?」
さっきまでひとりぼうっとしていたせいでいまきっと自分は暗い顔をしているんじゃないだろうか。
不安を隠すように笑顔を作り問いかける。
ローランドはじっと見下ろしていたエメリナの墓からマリアーヌへと視線を移した。
「最近、マリアーヌが元気がなさそうだったので……気分転換に外出でもと誘いに来たんです」
「まぁ……そうだったのですか。お気遣いありがとございます」
一瞬崩れそうになった笑みをなんとか保ち礼を言えば、ローランドは再び墓を見た。
その横顔は真剣で、マリアーヌは気にかけてくれるローランドの好意に対してどう接すればいいのかわからずわずかに目を伏せる。
想うことを許してほしい、といつしか告げられた言葉。
でもいまそれを思い出す余地もないほどハーヴィスへの感情に振りまわされている。
ローランドと喋るたびにわいていた罪悪感がすうっと甦り、久しぶりの二人きりの状況に居心地の悪さを感じずにはいられなかった。
「エメリナ……、素敵な名前ですね」
優しい声音に我に返る。
「ええ。名前ももちろん、その容姿も性格もすべてが素晴らしい女性でした」
「僕も会ってみたかった」
「……きっと仲良くなれたと思いますよ。エメリナは誰からも愛されるひとでしたから」
いまでも色鮮やかにエメリナの姿は思い出せる。
姉のように妹のように、そして大事な親友だった少女。
「ではそのエメリナに愛されていたマリアーヌもまた皆から愛される女性ですね」
ローランドがマリアーヌへと向き直り手を伸ばす。手に触れ、握りしめられ驚いてしまう。
「……そんなことないですわ。私なんて……」
「マリアーヌ」
「……」
真っ直ぐな視線は逸らせるものではなく、だが逸らしたくなる。
ローランドの想いを無下にはできない。
なのにいまこの瞬間もしいまこうして手を取ってくれているのがハーヴィスだったら。
などと、そんなことを考えてしまった自分に愕然とし嫌悪感がわきあがった。
「あの……ローランド様」
「マリアーヌ、覚えてますか?」
必死で笑顔を作るのが精いっぱいのマリアーヌに対してローランドの声は常に優しい。
繋がった手にぎゅっと力を込められ、マリアーヌは怪訝に見つめ返した。
「僕とマリアーヌは友達だと」
「……え?」
予想していなかった言葉に目を瞬かせる。
「貴女の友達にならせてください、と言ったのを覚えてますか? 僕は―――マリアーヌを好きです。でもそれとは別に、貴女の友人でいるつもりなのです。できればエメリナと同じように親友になれたら、とも思ってます」
はにかむようにローランドが笑う。
その耳元が朱に染まっていてマリアーヌは毒気を抜かれたように笑みを忘れる。
「だから貴女が不安そうに、哀しそうにしていると心配になるのです」
「……」
「頼りないかもしれませんが、僕でよければどんなことでも話してください。友として貴女の助けになりたいのです」
もう片方の手が伸び、そっとマリアーヌの頭を撫で、そして繋いだ手を包むように重なる。
温かな手。伝わってくるのはローランドの嘘偽りのない想い、その誠実すぎるほどの真心。
「……ローランド様」
なんて、自分は子どもなのだろうか。
穏やかで優しすぎるローランドもまた自分よりもはるかに大人なのだ。
「大丈夫ですか、マリアーヌ」
『大丈夫、マリー』
ふと、耳に彼の少女の声が甦り、じわりと目の奥が熱を帯びるのを感じた。


 




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2015,9,21