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翌日、いつものようにマリアーヌは仕事をしていた。
昨夜、カテリアは屋敷の外に出ていったのか結局姿を見ることはなかった。
どこに行ったのだろうか、と機嫌も悪かったことから思うも、これまでもたまにカテリアはふらり居なくなることがあった。
さして気にすることもないのだろうか。
顧客リストの整理をしていた手がいつのまにか止まってしまっていたことに気付き、マリアーヌはため息をつく。
昨日あった胸の痛みはまだ微かにあるものの、仕事に集中してしまえば忘れることができた。
これもまた気にしないでいいのかもしれない。
考えてもしょうがないのであるし、もし体調が悪くなるようであれば医者に診てもらえばいいのだ。
そうマリアーヌは結論付けた。
とりあえず途切れてしまった集中力を戻すため、いったん休憩を挟む。
昨日エリックから土産にもらった茶葉でお茶を淹れ、ゆっくり味わった。
香りと豊かな味わいに心が落ち着くのを感じる。
しばらくゆったりしていると扉がノックされた。返事をし、入ってきたのはマロー。
今夜すでに予約を入れてきている顧客についての報告を受ける。
そしてクラレンスがローランドとともに来訪することも告げられた。
ほか業務につていくつか話し、一段落したときにマローが言った。
「オーナーは本日ジェイル神父様のところへ行かれています。帰宅は遅くなるかもしれないとのことです」
それに相槌を打とうとして、ふとマリアーヌは怪訝に問い返す。
「クラレンス様がお越しになられるまでには戻ってきているのですよね?」
「いえ、はっきりとはわかりません。オーナーはマリアーヌ様にお任せする、と言っておりました」
ハーヴィスのそばで仕事をするようになってから二人の支配人マローとドリールは“マリー”ではなく“マリアーヌ”と呼ぶようになっていた。
それがどういった変化かはしらない。突然当たり前のように変わっていたのだ。
「え?」
マリアーヌはマローの思いがけない言葉に困惑する。
「本日はエリックが持ち帰った品をいくつかご覧にいらっしゃるだけです」
エリックが旅から帰ってきたときクラレンスに連絡するようにしている。
だから今回もいつもと同じということなのだろう。
だがクラレンスは上得意―――というよりも、オセの家にとって客以上の存在だ。
それに対応するオーナーが不在でよいのだろうか。
「クラレンス様にはオーナー不在の旨、お伝えしております」
マリアーヌの不安を察したようにマローが言った。
わかりました。そう答えるも、自分のようなものが一人、クラレンスを迎えてよいのかと思わずにはいられない。
「マリアーヌ様でしたら大丈夫ですよ」
思いがけず優しい声がかけられた。
見上げればマローが穏やかな笑みを浮かべていた。
「そうでしょうか?」
「ええ。マリアーヌ様の仕事ぶりを私はずっと見てまいりましたから」
ですから大丈夫ですよ、と言われ、ふっとマリアーヌは頬を緩めた。
オセの家へ来て二年以上の月日が流れている。だがマローからこういった言葉をかけられるのは初めてのことだった。
ただ安心させるためだけに言ったのではない、言うことはないと知っているから素直にうれしい気持ちが湧く。
「頑張ります」
笑顔で言うと、マローは静かに頷いた。そしてマローは部屋をあとにした。
直後、入れ替わるようにカテリアが入ってきた。
冷めかけのお茶を飲み終え今夜の準備について思考を巡らせていたマリアーヌのもとに歩み寄るカテリア。
「おはよう、カテリア。昨日はどこへ行っていたの?」
マリアーヌが手をさし伸ばすと、ひらりと膝の上に乗ってくる。
問いに答えるでもない、まるで挨拶するように小さく鳴き、カテリアは身を丸める。
いつもと変わらない様子。とくに機嫌が悪いということもなさそうだ。
マリアーヌは美しい毛並みをそっと撫でる。
「今日はハーヴィス、遅くなるそうよ」
そう声をかけるも返事はなく、眠るように目を閉じたまま。
うんともすんとも言わないカテリアの雰囲気に、当分膝の上から動きそうにないことを察する。
ハーヴィスが不在の分、多少仕事も増える。クラレンスに勧める商品の選別も早めにしておきたい。
夜に向けいろいろと準備がある。
だが、それ以上にカテリアの“世話”をするというのがマリアーヌの重要な役目。
優先するべきはカテリア。
そうオセへ来た当初言われていた。
そんなにこの猫が大事なのだろうか。
そうオセへ来た当初思っていた。
だがいま、マリアーヌにとってカテリアの世話をするのは“仕事”だからではない。
ごく当たり前のこととなっていた。
人間のように訳知り顔で、気品に溢れたカテリアは大事な“家族”のようなものだ。
撫でる掌に、カテリアの体温が暖かく伝わる。
可愛らしく愛しい存在。
自分でさえそうなのだから、ハーヴィスは自分以上にカテリアが大切なのだろう。
そう――――マリアーヌは思っていた。
「帰ってきたら仲直りしてね」
微笑を浮かべ、そっと囁いた。
***
夜もだんだんと更けてきたころ、オセの前に一台の馬車が到着した。
マリアーヌ、そして後方にエリックとマローが控え、降りてくるクラレンス達を出迎える。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
頭を下げ、静かな微笑みを向ける。
クラレンスもまたあいさつ代わりに小さな笑みを返す。
わずかに視線をずらせば、クラレンスの一歩後ろに立つローランドと目が合う。
すぐにローランドは柔らかな笑みを浮かべた。
いままでと同じようで、いままでとは違う。
ローランドがいかに自分を気遣ってくれているのかをマリアーヌは感じた。
にこり笑顔をローランドに向け、すっと屋敷へと手をさし向ける。
「どうぞ、こちらへ」
いつものように談笑しながら商談するための部屋へとむかった。
マローは部屋の前で辞し、去っていく。エリックは扉の傍らに立つ。マリアーヌはクラレンスたちがソファに座るのを見届け、自らも腰掛けた。
部屋に着くまでのぼっていた話題が一区切りするまで続けられ、それから本題に入った。
エリックが今回旅した主だった場所を話聞かせる。次いでクラレンスが興味を持つであろう、品々を見せ説明を始めた。
「これは―――……」
テーブルの上にはワイン、そしてジュエリー。
その一つを手に取り、マリアーヌは原産国、石にまつわる話などを説明する。
クラレンスたちが訪れ、すでに2時間近く経っていた。
その間に数点の商品を披露し、いまはクラレンスが奥方へと贈るための宝石選びの最中だった。
「マリアーヌのおすすめはどれだ?」
ケースに並べられたジュエリーを一瞥しながらクラレンスが問う。
マリアーヌは「そうですわね……」と手元に視線を走らせる。
銀ベースに大粒のローズカットダイヤをあしらったドロップ型のピアスを手に取る。
「100年ほど前、フランスで作られたものです。カットに多少荒さはございますが、この大きさはいまでもなかなか手に入らないものです。シャロン様のような華やかな女性にはとてもお似合いになられると思いますわ」
今夜ハーヴィスはいないが、こうして商品についての説明をする役割はマリアーヌがすることが常になってきていた。
一度だけ会ったことがあるシャロン、クラレンスの妻を思い浮かべながらピアスをトレイに乗せてクラレンスの前に置く。
興味あるのかないのか、クラレンスはそれを一瞥すると、
「それでいい」
あっさり、短く言った。
「ありがとうございます」
「マリアーヌの見立てに間違いはないからな。シャロンがいつも喜んでいるよ」
その声は優しく、嘘がないことが窺える。
微笑を浮かべマリアーヌは再度礼を言う。
クラレンスの傍らに座るローランドはまるで自分のことのように顔をほころばせていた。
それを横目に見たクラレンスが苦笑をにじませる。
「誰も彼もが新しい―――――か。幸先よいものだな」
ワインを飲みながら呟いたクラレンスの言葉ははっきりと聞き取れなかった。
独り言という感じの言葉に、訊き返すことは余計かとマリアーヌは黙ってクラレンスのグラスにワインを継ぎ足す。
と、ノックの音が響いた。
失礼します―――、そう声が響き入ってきたのはハーヴィスだった。
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2009,9,5
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