17
暗がりの中、男はダークグレイの瞳でマリアーヌを射るように見つめた。
マリアーヌは呆然と男を見つめ返す。
「あなたは………」
見覚えのある顔。
30代後半くらいの壮麗な男。
パーティでぶつかった、あの紳士だった。
なぜ彼がここにいるのかがわからない。
いやオセの客であったとしても不思議はない。
ただ、セルマは『仕事は終わった』と言ったのだ。
混乱して立ち尽くすマリアーヌに男は楽しそうに笑いかける。
「どうしたんだい? 顔色が悪いな」
残酷な光を宿す目が細められる。
「…………あの」
干からびてしまったような喉から、必死で声を絞り出す。
「申し訳……ありません。まだお客様がいらっしゃるともしらずに……」
軋む音がしそうなほどぎこちない動きでマリアーヌは頭を下げた。
だが言い終わらないうちに男は大きく笑い出す。
「気にすることはない。私は君を待っていたんだからな」
マリアーヌは困惑に眉を寄せる。
――――この男が自分を待っていた?
急激に言い知れない不安が身体を駆け巡っていく。
青ざめていくマリアーヌに男は首を傾げて見せ、「セルマを怒らないでやってくれ。彼女もこの店に残りたくて必死なんだよ」と笑いを含んだ声で言う。
セルマが、手引きをしたというのか。
「セルマを買ってあげるかわりに、君を呼んでもらったんだよ」
どくどくと動悸が激しくなっていくのがわかった。
――――もう一度、君を味わってみたいと、思ってね。
なにを言われているのか、わからなかった。
「それにしても、綺麗になったな」
男は言いながら、手にしていた何かを指で弾いた。
ころころとそれがマリアーヌの足元に転がる。
「あの時はただのみすぼらしい子供だったのに」
あの時、とはいつなのか。
みすぼらしい?
男の声が、なぜだろう、パーティで会ったときと同じように遠くで聞こえた。
マリアーヌはゆっくりと視線を足元に落とす。
「今では、悪徳で有名な『オセの家』のオーナーの寵姫とは」
楽しげな声が空気を震わせる。
絨毯に沈むようにして鈍く輝いている一枚の金貨が、目に映った。
雪、が。
金貨、が。
ゆっくりと、金貨が、雪の上に、落ちた――――。
あれは。
「あの時の君はまるで人形のようだったが。今はどうなのかな?」
背筋に、悪寒が走る。
マリアーヌは金貨から男へと、視線を上げた。
『名前はなんというんだい?』
『………マリアーヌ』
「マリアーヌ――――」
今の君はいったい幾らで買えるのかな。
暖かいスープが飲みたかった。
美味しいものが食べたかった。
お腹が、すいていた。
パンを食べていると、男の手が身体を触ってきた。
数えるのもバカらしくなるほど久しぶりにお風呂に入り、綺麗になった髪を、男が触っていた。
まだ柔らかみもなにもない胸に唇を這わせた男。
幼い身体を、初めてこじ開けた男。
なにも、感じなかった、あの雪の日。
暖炉の火の熱だけを感じた。
人形のように、ただ男のされるままになっていた。
だから、だから。
目を、
見ていなかった。
身体にまとわりつく男の手のように、蛇のように、絡みつく男の視線と、一度もマリアーヌは目を合わせなかった。
くらり、とマリアーヌはめまいを感じた。
「おいで。もう一枚あげよう」
男は笑って、金貨をもう一枚マリアーヌへと放り投げた――――。
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2006,3,27
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