16






 パーティが終わったあとは、気が抜けてしまったかのように穏やかな日々が続いていた。
「ねぇねぇマリー、どうなの?」
 一仕事を終え、部屋でくつろいでいるエメリナが上目遣いに見つめる。
 マリアーヌは片づけをしながら、
「どうもないわよ?」
 と、いったい何度目のやり取りなのだろうかと思わずため息を漏らす。
「そうなのー?」
 口をすぼめ、つまらないと言わんばかりのエメリナ。
「エメリナってけっこうしつこいのね」
「だってさー。噂は噂だろうけど、いまでも目に浮かんじゃうんだもん。マリーとオーナーの踊っている姿が」
 噂とはマリアーヌがオーナーの愛人だというもの。
 そしてエメリナがパーティ直後からたまに思い出したように聞いてくるのはマリアーヌとオーナーは恋人同士なのか?、ということだった。
「もう見詰め合っちゃって、二人の世界みたいだったんだもん」
 手を組み合わせて、夢見る少女といった風情で言い、エメリナはにやにやとマリアーヌに笑みを向ける。
 マリアーヌはようやく片づけを終え、エメリナの元へくると、軽く額を小突いた。
「もう! 本当にそんなんじゃないの!」
「そうかなぁ。そうなの」
 エメリナは首をかしげ一人ぼやいている。
「ねぇじゃあ好き?」
 マリアーヌはきょとんとした。
「そうね……、たまに意地悪だけど優しいわよ」
 少し考えてそう答えると、エメリナは不思議そうに目をしばたたかせた。
 そしてじっとマリアーヌを見つめる。
「マリー……、初恋っていつだったの?」
 突然話が飛び、マリアーヌは苦笑しながらも首を振る。
「さぁ、ないと思うけど」
 初恋、思い返してみても思い当たらない。
 このオセに来るまではひたすらお金を稼ぐことだけに無心していたのだ。
「なぜ?」
「……ううん、なんでもないわ。ね、マリー」
「なに?」
 エメリナはマリアーヌのほうへと身を乗り出すと、目を輝かせて言った。
「一番に私に教えて欲しいことがあるの」
 胸に手をあて、同性でも見ほれてしまう愛らしい微笑を浮かべるエメリナ。
「もしこれから先、胸がドキドキしたり苦しくなったりしたら、私に言ってね」
「胸?」
「そう、胸が」
 マリアーヌもまた自分の胸に手を当てて、首をかしげる。
「仕事の後とかたまにドキドキしてるときがあるけど……」
 マリアーヌの言葉に、明らかにエメリナは落胆した表情をした。
 エメリナの様子はマリアーヌにとってまったく理解が及ばない。
 ただ不思議な面持ちをしていると、エメリナは軽く首を振った。
「そういうのではなくって、なにもしていないのに!」
 なにもしていないのに――――?
 マリアーヌは内心首を傾げるも、自分の身を心配しているのだろうと思い、頷いた。
「わかったわ、一番にエメリナに言うから」
「絶対ね!」
「うん」
 エメリナはようやく満足したように顔をほころばせている。
 マリアーヌもよくわからないがつられて笑みをこぼした。
「……ああ、ようやく自分が年上だってことが実感できたわ」
 お茶の準備を始めたマリアーヌを見ながら、ぽつりとエメリナが呟いた。











 それから数日後の午後、ハーヴィスの執務室を覗くとハーヴィスが笑顔で手招きした。
 カテリアはソファーでいつものように丸まっている。
「ちょうどいいところに来たね。ネックレスがさっき届いたんだよ」
「ネックレス?」
 ハーヴィスは幅の薄い箱をマリアーヌに見せ、蓋をゆっくりと開けた。
 白い布張りの中にはパーティのときにエリックが持ってきた暗赤の石をメインにしたネックレスが入っていた。
 いたってシンプルなデザインで白金のチェーンに石と、そして石を蔦のように縁取る白金のみ。
「珍しい石だからね、あまりゴテゴテするよりもシンプルなほうがいいかと思ったんだ」
 ハーヴィスはネックレスを手にするとマリアーヌの首筋に持っていった。
 ひんやりとした感触が肌に落ちる。
「マリーは色が白いから、どんな色の石でも似合うね」
 暗赤の石は大人っぽく、本当に似合っているのだろうかと思ってしまう。
 だがハーヴィスがにこにこと自分を見ているので、マリアーヌも笑顔で「ありがとう」と言った。
「カテリア、似合う?」
 ソファーのカテリアを抱き上げると、カテリアはネックレスをじっと見て、鳴いた。
「まぁまぁ?」
 頷くようにカテリアが喉を鳴らす。
「まだマリーは若いからね。本当の意味で似合うのは数年後だろう」
 クスクスとハーヴィスが笑う。
 やはりそうか、とマリアーヌも納得しつつカテリアの背を撫でる。
「それじゃあハーヴィス、カテリアの部屋に行くわね」
 昼過ぎから夕方まではカテリアの部屋で過ごすのが日課だ。
 いつものようにカテリアを抱きかかえたまま部屋を出ようとすると、ハーヴィスに呼び止められた。
「マリー、最近変わったことはないかい?」
 きょとんとして首を振る。
 ハーヴィスはマリアーヌを見つめると、微笑を浮かべた。
「そう。ならいいんだ。もしなにかあったら、すぐに言うんだよ」
 その言葉に、先日もエメリナから似たようなことを言われたなと思い出す。
 みんな心配性なのね、と思わず頬を緩めながらマリアーヌは頷いた。
 カテリアはちらりマリアーヌを見上げ、そして小さく喉を鳴らした。










 エメリナとイアンとイーノスは上得意の客から指名が入っていた。二組とも今日は貸切状態だろう。
 マリアーヌは1人エメリナの部屋の掃除をしている。
 すると遠慮がちにノックの音が響いた。扉を開けると、娼婦のセルマがいた。
 顔は青ざめ、幾分強張っている。
「どうしたの?」
 思わぬ来客に、マリアーヌは怪訝に見つめる。
 セルマはちらりマリアーヌを見上げ、引き攣った笑みを浮かべた。
 その瞳は落ち着きなくさ迷っている。
「あ、あの、マリー」
 震えた声で言って、セルマはマリアーヌの腕をつかむ。
 強い力にマリアーヌは微かに眉をひそめた。
 性技を教えるノアに恋をしてしまったセルマ。
 最近ではノアに溺れすぎてしまい、仕事にも影響が出てきている。指名も少なく、別の娼館へ売られる可能性も大きくなってきていた。
 本人もそれをわかっているのか、情緒不安定になっているという話をエメリナから聞いていた。
 確かに、今目の前にいるセルマの様子はおかしかった。
「なにかあったの?」
 マリアーヌは出来るだけ優しく問い掛けた。
 セルマは不安そうに瞳を揺らし、マリアーヌを見つめる。
「あ…のね……。私……さっき仕事が終わったんだけど……その客室に落し物をしてきてしまったみたいなの」
 おどおどと言うセルマに、マリアーヌは「探しにいってみたら? それにすぐ清掃も始まるから………」
「困るのっ!」
 悲鳴のような声にマリアーヌは驚く。
 セルマはすぐにハッとして俯いた。
「あの……落としたものがノアからもらったもので……、だからあの誰にも触られたくないし……それに見つかったら困るものなの」
 消え入るような声。
 言い終わると、セルマは懇願するようにマリアーヌの手を握り締める。
「マリー、お願い……。一緒に探してくれない? お願い」
 なぜ自分に頼むのだろうか、マリアーヌにはわからない。
 だがセルマはあまり他の娼婦たちと親しくないことも事実で、マリアーヌは戸惑いながらも頷いた。
「いいけれど。でも……」
 清掃のためにメイドたちがすぐに客室へくるのでは、そう言おうとした。
 しかしセルマはパッと顔を輝かせると、「ありがとう!」とマリアーヌを引っぱる。
「ちょっと待って、セルマ」
「お願い、早く」
 セルマは焦ったように先を急ごうとする。
 困惑しながらもマリアーヌはセルマについて客室に向かった。
 だが肝心の客室の前につくなり、セルマは強張った笑みを向けると、
「悪いけど、先に探していてもらえる? あの私、おトイレに行きたくなっちゃって」
 必死に明るく言おうとしている様子が伝わってくる。
 だが笑顔も声も、ひび割れたガラスのようにボロボロだった。
「あのね、ネックレスなの、お願いね」
 早口でそう言うと、セルマは客室に押し込めるようにマリアーヌの背を押した。
 セルマ!、口を開こうとするもあっという間に扉は閉められてしまった。
 マリアーヌはしばらく唖然として扉を眺めていたが、ため息をついて部屋の中へと向き直った。
 客が来るまでの客室にあるのはほのかな蝋燭の光だけだ。
 隠し扉から部屋へと仕切られたカーテンを開け、歩を進める。
 だが、ぴたりと止まった。
 ゆらゆらと揺れる光。
 その中に大きく伸びる一つの影がある。
 驚いて視線を向けると、大きなベッドの向かいにあるソファーに一人の男が座っていた。

「やぁ、また会えたね」

 男は唇を歪め、言った。







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2006,3,27