『merry christmas & happy new year』







 ックシュン――――。
 川原水都のくしゃみが静かな校庭に響いた。
 つい2日前、終業式を迎えたばかりの学校は人気がなく閑散としている。
 冷えた空気と風に水都はマフラーに顔半分をうめるようにして小走りに校舎へと走っていった。
「失礼しまーす」
 しんと静まり返った廊下を突き進んでたどり着いた職員室のドアを開けつつ言う。
 暖房のあたたかな空気が水都の頬をほっと緩めさせた。
 ぐるりと職員室の中を見回し、目当ての教師を見つけて向かった。
「こんにちわー」
「おお、川原。すまなかったなぁ、終業式に間に合わなくて」
 そう言って手渡されたのはバイト許可証だった。水都の高校ではバイトをする際には事前に申請して許可証をもらうようになっていた。
「いえいえ。ありがとうございますー」
「忙しいだろうが頑張れよ」
「はい」
「宿題もな」
 苦笑をもらしながら水都は挨拶をして職員室を出て行った。
「あれ?」
 出たとたんに声をかけられ、振り返って水都はわずかに目を見開いた。
「よー、なにしてんの」
 小さな笑みを浮かべて駆け寄ってきたのは水都の1年先輩で3年生の三崎遊。
 水都は思わず周りに誰もいないか見回した。
「挙動不審だな」
 吹き出す遊に、水都は苦笑いを向ける。
 サラサラの栗色の髪と整った顔立ち。女生徒のあいだで人気の高い遊と喋っているところを生徒たちに見られたらなにを言われるかわかったものではない。
 いまが冬休みでよかった、と水都は小さくため息をついた。
「バイトの許可証をもらいにきたんです」
 いつも遊と顔をあわせるのは昼休みの屋上。
 水都が高校入学当初に一人でぼーっとできる場所を探して行き着いた屋上で遊に出会ったのだ。
 あれから1年半近く。屋上では気楽に話せる関係にはなっている。
 だが、屋上を離れると、どうしても遊に話しかけることはできなかった。
 いつも遊は友達や女生徒たちに囲まれていて、なんとなく距離を感じたから。
「冬休みに、っていうか正月にバイトすんの」
「ちょっと知り合いに頼まれたバイトで……」
「ふーん」
 先輩こそ、と言おうとしたら「ちょっと待ってて」そう言って遊は職員室に入っていった。
 水都は首をかしげながら廊下で待つ。
 窓はうっすらと曇っていて外の寒さを伝えている。水都は意味なく指先でガラスに円を描いてみる。
 数分して「ゴメンゴメン」と遊が職員室から出てきた。
「んじゃ、行くか」
 そう先を歩き出した遊。
 水都はきょとんとして「は?」と思わず言う。
「もう帰るんだろ? 俺も帰るから」
 目をぱちぱちとさせ、水都は言葉の意味を考える。
 俺も帰るから、要は一緒に帰ろうということなのだろうか?
 水都がまじまじと遊を見ると、遊はおかしそうに笑った。
「なにしてんだよ。ほら、行こうぜ」
 水都は先を行く遊の後姿を見つめて数秒、戸惑いながら後を追った。






「にしても、ほんっと寒いなぁ」
 冷たい空気に吐く息は真っ白。
 水都は隣を歩く遊をさりげなく見ながら自分も白い息を吐く。
「年末はとくに冷え込むって昨日の天気予報で言ってましたよ」
「へぇ、そうなんだ」
 雪ふるかな、と遊は空を見上げて呟いた。
 水都は、降るといいですね、と相槌を頷きながら同じく空を見る。
 遊と並んで一緒に帰っているなんて夢のようだ。
 屋上での秘密の時間は水都にとっていつしか特別な時間となっていた。
 でも屋上を一歩出れば遊は手の届かない先輩になってしまう。
 その先輩といま、歩いている。
 胸をくすぐるような感覚がして、水都はそっとため息をついた。
「どういえば、バイトってなにすんの?」
「……えっと、巫女」
「みこ? みこって巫女? 神社の?」
 頷く水都に、遊は珍しそうな表情をした。
「へぇ、巫女するんだ? どこで?」
「家の近くの神社なんです。知り合いのお姉さんが巫女さんしてて、大晦日から2日まで手伝ってと頼まれたんです」
「じゃああの袴みたいなの着るの?」
「もちろん。すごい寒いらしいです」
「寒いだろうなぁ。風邪引かないようにしろよ」
 優しい微笑を向けられ、水都はわずかに頬を赤らめて「はい」と答えた。
 それにしても、と遊が呟く。
「そっかぁ。巫女か。見れないのが残念だな」
 あごに手をあて、しみじみと言った遊に水都はぽかんとその横顔を見つめる。だがすぐに視線を泳がせるようにうつむく。
「……たぶん私、巫女姿似合わないと思うんですが……」
 なんとなく恥ずかしくて、もごもごと口を動かす水都。
 小さな遊の笑いがこぼれ、
「そうか? 似合いそうだけど。川原って可愛いし」
と言った。
 今度こそ顔を真っ赤にさせて水都は遊を見る。
 涼しい顔をした遊はトマトのように頬を染めた水都を楽しそうに見ている。
 目が合い、水都は視線を逸らしながら「それはありがとうございます」と平静を装う。
 褒められたのが嬉しい反面、女の子の扱いになれた雰囲気の遊に寂しさも感じる。
 屋上ではいつも他愛ない話ばかりしていた。
 マンガだったり、ドラマだったり、小さいころの話だったり。
 なんとなく気分が沈んで、沈黙した。
「なー、川原はもう帰るだけ?」
 ややして、遊が言って、水都は頷く。
「あのさ、その川原がバイトするっていう神社今から行かない?」
「え?」
「俺さ正月日本にいないから、初詣代わりに行っておこうかなーと思って」
 でも年末に行っても意味ないんじゃ、と思うも、もうひとつのことが気になった。
「日本にいないって?」
「ああ、家族でオーストラリアに行くから」
「………金持ちですね」
 とっさに水都の口をついて出た言葉に遊は吹き出した。
「まぁね」
「あれ? でも先輩受験生ですよね」
 一番大事な時期じゃないのだろうか。
 だが遊は平然と、「ああ、今日合格したからいいんだ」と言った。
「え? 今日合格発表だったんですか?」
「まあね。推薦で、今日発表で、だから学校にいたわけ」
「ああ。そうだったんですか」
 水都はふと立ち止まった。それに気づいた遊も立ち止まり「なに?」と見る。
 ぺこりと頭をさげる水都。
「合格おめでとうございます」
 深々としたお辞儀に遊は楽しそうに笑いながら「ありがとうございます」とお辞儀を返す。
「じゃあそういうことで、フライング初詣ついてってくれる?」
 断る理由もなく、水都は笑顔で頷いた。








「やだ、水都ちゃん彼氏?」
 そう言って笑ったのは巫女装束をまとった知り合いの由香だった。
「えっ、違いますよー」
 ぶんぶんと手を振って、慌てて言う。
 クスクス笑う由香。
「正月旅行で地元にいないんで、早めに来てみたんです。ほんとは川原さんの巫女姿を見たかったんですけどね」
 にっこりと笑みを浮かべる遊。意味深な気もする言葉に水都は目を白黒させる。
 由香はさらに笑いを大きくしながら「それじゃあ、水都ちゃんちょっと巫女装束着てみる? 試しに」と言った。
「え? で、でも」
「年末で暇だし、いいわよ。せっかくだから着方を覚えるのにもいいしね」
 由香がそう手招きをする。
 特別に羽織もつけてあげるわよ、と由香が微笑んだ。
「予行練習と思って着てみれば」
 と、遊も水都の背を押す。
「えええ?」
 戸惑うも「さあさあ」と由香に呼ばれてイヤとは言えない。
 どうしてこうなってしまったのかわからないまま、水都は由香に連れられて着替えに言った。
 大晦日よりも数日早く着ることになった、初めての巫女装束。
 小袖を着て、朱色の袴を着る。ぎゅっとウエストを絞られて少し苦しかった。
 当日は小袖の下に何枚か厚着をする予定だ。いまはキャミソールだけで、肌寒い。
 そして由香が「特別ね」、とこっそり持ってきたのは由香が祈祷のときに使う薄く綺麗な羽織。
 さすがにそれを着せてもらうと、ドキドキして嬉しかった。
「はい、出来上がり。水都ちゃん彼氏に見せてきなさい。私は戻ってるから」
「ありがとうございます。……って! 本当に彼氏じゃないんですよー」
 焦るが、由香は「はいはい」と笑うだけ。
 水都はため息をつきながら境内で待つ遊の元へ戻った。
 外に出ると冷たい風に身がすくむ。
 わずかに体を震えさせながら見回すと、水都に気づいた遊が駆け寄ってきた。
 まじまじと見つめる遊。
 水都は恥ずかしくて顔が熱くなるのを感じる。
「うんうん」
 大きく頷く遊。
 なにが『うんうん』なのかわからず、曖昧に水都は笑みを浮かべる。
「やっぱ似合ってる」
「……そうですか?」
「うん」
 遊の笑顔に、水都は「ありがとうございます」と呟いた。
「さてと、巫女さん、お守りがほしいんだけど。いい?」
「は?」
 遊は由香がいる社務所のほうへと行く。
「川原巫女さん、学業と健康のお守りください」
 あとを追ってきた水都に遊がお守りを指差しつつ言う。
 え、とオロオロする水都に由香がお守りを包み渡した。
「水都ちゃん、1000円頂いて『ようこそお参りくださいました』って言ってね」
 さっと由香が声をかける。
 水都はお守りの入った包みを遊に差出し、緊張気味に由香の言ったとおりに言う。
「どうも」
 と、遊は受け取って笑った。
「ああ、もう緊張した」
 ほっとして水都は胸を押さえる。
「初々しい巫女さん、まぁ本番も頑張れよ」
「あ、はい」
「このまま水都ちゃん働いていってもいいわよ」
 続けて由香が言うと、慌てて水都は大きく首を振った。
「いえ、結構です」
 上ずった声に、遊と由香は声をたてて笑った。
 それから数分他愛もない話をして、水都は着替えるために社務所の中へと向かう。
 パタパタと袴を揺らして小走りの水都に遊が声をかけた。
「川原、なぁ」
「ハイ?」
 と振り向いて、カシャッ、とシャッター音。
 驚くとケータイで遊が水都を撮っていた。
「え? え?」
「記念、記念」
 屈託なく笑う遊に水都は戸惑うだけ。
 着替えておいでと手を振られ、水都は首をかしげながら社務所に入っていった。









 冬休みの学校でたまたま会って、たまたま一緒に帰るだけだったはずなのに、ずいぶん長い時間を一緒にいたような気がする。
 冬休みにわざわざ学校に行くなんて面倒くさいと思っていたがいいこともあるんだなぁ、と水都はぼんやりと横目に遊を見ながら思った。
 神社からの帰り道、数メートル先にバス停が見えて、遊が立ち止まる。
「んじゃぁ俺、バスで帰るから」
「あ、はい」
 水都は家まで歩いて帰れる距離だ。
「今日はなんだかつき合わせてごめんな」
 遊が目を細め言った。
「そんなことないです。楽しかったです、年末初詣」
 遊と一緒に初詣が、それがたとえ年も終わるときだったとしても嬉しい。
 そう?、と遊は笑ってポケットからお守りを取り出した。
「おわびに、これあげる」
 水都の手に渡されたのは学業のお守りだった。
 きょとんとする水都に、
「俺はもう受験終わったからいらないし。来年は川原が受験だろ? だから」
「……え…でも……いいんですか?」
「もちろん。川原用に買ったんだし。まぁお年玉だと思って……って、それも早いし。2日遅れのクリスマスプレゼントってところかな」
 それも色気がないなぁ、と遊は苦笑する。
 水都は手のひらの中のお守りをじっとみつめ、顔をほころばせた。
「ありがとうございます! 大事にします!」
 笑顔で頷く遊。
「それじゃ、川原。また来年屋上で」
「はい、屋上で」
「川原が爆笑するような面白いマンガ探しとく」
「私なかなか笑いませんよ?」
「そりゃ、お前がおかしいの」
「えー?」
 言い合って、二人は顔を見合わせて笑った。
「じゃあな」
「それじゃあよいお年を、先輩」
 手を振って、お互いにきびすを返す。
 しばらく歩いて、水都は振り返った。
 遠くなっていく遊の姿を見つめ、そしてお守りを握り締める。
「やっぱり好きだな……」
 ぽつり呟いて頬を緩め、水都は家路に着いた。








***









「あれ? これって」
 水都のバッグからはみ出ていたお守りに気づき遊が手にした。
 それを見て、慌てて水都は遊からお守りを取り返そうとする。
 だが遊はそれをひらりとかわし、お守りをしげしげと眺めた。
「へぇ、ちゃんと持ってたんだ。感心、感心」
 と、ニヤニヤと笑って水都を覗き込む。
 水都は頬を膨らませながらジュースを飲んだ。
「受験生ですから、どんなお守りだって持ってるの」
「ふーん? これって誰からもらったのかなぁ? たしか去年の年末に、かっこいい先輩からもらったものじゃなかったのかなぁ?」
「かっこいい………って、普通自分で言う?」
 うんざりと遊を見ると、遊は声をたてて笑い出した。
「事実だし」
「………。っていうか先輩があの日のこと覚えてたことのほうがびっくりした」
 あれはまだ付き合うようになる3ヶ月も前のことで、新年あけてから神社でのことが話題になることはなかったからだ。
「ボケ老人じゃないし、何ヶ月か前のことくらい覚えてるさ」
 言って、遊はテーブルに乗り出し水都を見つめる。
「あのさぁ、俺ひとつ聞きたいんだけど」
「なに……?」
「あの頃から水都は俺のこと好きだった?」
「えっ?」
 思わず素っ頓狂な声をあげ、顔を真っ赤にさせる水都。
「べ、べつに」
「ふーん、そうか。もう好きだったんだな」
「っていうか、先輩はどうだったの?」
 水都はじっと遊を見つめ返す。
 遊は笑顔のまま首を傾げ、
「さぁ、どうだったかなぁ?」
 すっとぼけた声で言った。
 むーっと頬を膨らます水都に遊はさらに顔を近づけ、内緒話でもするように小声で話す。
「水都にすんごいレア写真見せてやるよ」
 そう遊はケータイを取り出した。
「レア写真…………? ………って、まさかー!?」
 慌てる水都の目の前に差し出された遊のケータイ。
 その液晶画面に映し出されたのは、ぽかんと口を開いて巫女装束をまとった自分の姿だった。
「け、消す〜!!」
 遊のケータイをとろうと手を伸ばすがあっさりとさえぎられ、遊はベーッと舌を出して笑う。
「ダメー。宝物だから」
 そんなー!、と言いかけて数秒後、水都は顔を真っ赤にさせた。
 遊は一瞬優しい眼差しで水都を見つめた後、ニヤリと笑った。
「こんなポカーンとした巫女さんなんて滅多にお目にかかれないからな」
「………は?」
 眉を寄せる水都に考える隙をあたえないように、遊は続ける。
「まぁまぁ気にすんな。あ、そうだ! 俺そういえば今年まだ初詣行ってなかったな。今からいこっか?」
 いいこと思いついた、とでもいうような笑顔に水都は手を振る。
「私、お正月ずっと神社に行ったからいい」
「……いいじゃなくって。ほら、あの巫女さんにも晴れて俺が彼氏になったって報告しなきゃだろう?」
 水都は思わずジュースを噴出しそうになった。
 そんな水都に席をたった遊が手を差し出す。
「ほら、行こうぜ」
「……わがままなんだからー」
 ぶつぶつ言いつつ、その手をとる。
「今日は水都がお守り買ってくれよ」
「えー?」
「交通安全のでいい」
「はいはい」
 手をつないで店を出る。
「これからは毎年初詣は一緒に行こうな」
 さりげなく遊が言って、水都は満面の笑みで頷いた。
 


 ずっと一緒にね――――――。











[2004/12/31]