『人形』





 ママがお人形を買ってくれたの。

 ―――そう、それはよかったね。
 老人が言った。


 ママがお人形を買ってくれたの。

 ―――可愛らしいお人形ね。
 おばさんが言った。


 ママがお人形を買ってくれたの。

 ―――………。
 男の人は何も言わなかった。


 ママがお人形を買ってくれたの。

 ―――可哀想に。そんな傷だらけに………。
 女の人が言った。


 ママが―――――。

 ―――逃げるんだ!
 二人の男が言った。


 ママが―――――。

 ―――もう君のママは死んでいるだろう。
 誰かが、呟いた。







 すごく明るい。
 オレンジ色の光があちこちで瞬いている。
 お月様が空にあるのに、赤く、オレンジ色に、黄色に、夜に映えている。


 きれいだね。


 女の子は人形に笑いかけた。
 でもしばらくしてオレンジ色の明るい光は消えて、かわりに真っ黒な煙が月めがけて立ち昇っている。


 もう終わっちゃった。


 残念そうに呟いて、女の子は歩き出した。





 ママが買ってくれたの。

 人形を差し出して見せてあげる。
 でも返事は返ってこなかった。
 女の子は足元に横たわる女を首をかしげて見つめる。
 そして歩き出す。


 ママが買ってくれたの。可愛いでしょう?

 人形を差し出して見せてあげる。
 建物の形を成していない石の壁にもたれている男がかすれた声がなにか言った。
 なんて言ってるのかわからなくて、女の子はまた歩き出した。




 ママが買ってくれたの。
 可愛いでしょう?
 金色の髪なの。
 私と同じなの。
 可愛いでしょう?




 女の子は立ち止まった。


 なんでみんな。


 女の子は人形を見つめる。


 なんでみんな、返事してくれないのかな……。


 女の子の目に涙が浮かんだ。









 世界はこんなにデコボコ道だっただろうか。
 そう思えるほど道は歩きにくかった。
 石や、物や、肉の塊が、散乱している。
 女の子は歩きつかれて座り込んだ。
 道が赤いものでぬかるんでいて、冷たかった。



 ねえ、マリー。
 なんでみんな返事をしてくれないのかな。
 なんでみんな変な匂いがするのかな。


 女の子は丁寧に人形の髪をとかしてあげながら、話しかける。
 返事はない。












 いつのまにか寝てしまっていた。
 朝日は清清しいほど輝いている。
 でも腐ったような匂いが、もっと強くなってる気がした。
 女の子は人形を抱きしめて歩き出した。



 ねぇマリー。
 みんな起きないのかなぁ。
 きのうもみんなずっと寝てたのに。
 お寝坊さんなのかなぁ。
 おかしいね、マリー。


 日差しに金色の髪がキラキラ輝いていて、そのまっしろな頬も輝いていて。
 まるでマリーが微笑んでいるように見えた。


 マリー。
 笑ってるの?
 楽しい?
 ねぇマリー。
 ねぇマリー。


 ママはどこにいるのかなぁ。









 誰も返事をしてくれない。


 女の子は瓦礫の中に埋まっていたパンを食べる。
 ジャリジャリした感触が口の中に広がった。
 女の子は全部吐き出して、また歩き出した。

 

 ねぇマリー。
 のど渇いたね。


 


 ねぇマリー。
 マリーは返事をしてくれないの?




 女の子は人形をじっと見つめた。
 人形の目はきれいな青い色。
 空とおんなじ色だ。
 女の子のママの目とおんなじ色だ。



 マリーは人形だもんね。


 どうやったらしゃべれるようになるのかなぁ。












 デコボコ、デコボコ道が続く。
 女の子は疲れてふらふらしている。
 瓦礫だらけで、女の子はつまづいて転んだ。
 膝小僧が擦り剥けていた。
 血がにじんでいる。


 血だよ、マリー。


 真っ黒な膝がちょっとだけ赤くなっている。
 マリーはぼんやりと眺めた。
 そして笑った。


 そうだ。
 わかったよ、マリー。
 にんげんには血が流れてるってママが言ってた。
 だから血があればマリーもしゃべれるようになるよ。





 女の子は歩いた。
 ナイフを拾った。
 人がいっぱい折り重なって倒れているところで立ち止まった。
 

 精一杯力をこめてナイフで引き裂く。
 臭いのを我慢して、女の子は固い老人の体を引き裂く。
 でも、赤い血は流れなかった。
 しかたないので近くに転がっているおばさんの体を引き裂く。
 でも、赤い血は流れなかった。
 女の子は少し歩いて、転がっている男の体を引き裂く。
 でも、赤い血は流れなかった。
 そうやって女の子は女の人を、男たちを、誰かを引き裂いていった。



 どうして真っ赤な血がでないの?
 



 女の子は首を傾げ、ナイフを振り下ろしていく。
 何度振り下ろしただろうか。
 そのとき、これまでと違った柔らかい感触がした。
 女の子は手を止めて見る。
 ナイフをさしたところから赤い血が流れている。
 きょとんとして女の子はあわてて拾っておいたコップに流れる血を受け止めた。


 マリー、やっときれいな赤い血がでたよ。
 でもなんでだろう?
 まだこの人温かいからかなぁ?
 みんな固かったからだめだったのかなぁ?
 柔らかくって温かいのを探せばいいんだね。














 マリーの体は固い。
 でも赤い血を入れてあげるところを作らなきゃいけない。
 だから一生懸命に女の子はマリーの体を切る。
 胴体を半分に切って、中を削って、赤い血を注ぐ。
 そしてまた体をあわせて、布でしばった。
 でも血は染み出てしまう。



 マリー?
 ねぇマリー?
 どんな気分?
 まだ血は足りない?
 ねぇマリー?


 まだしゃべれないの?






 赤い血はすぐに臭くなってしまう。
 女の子はやわらかくて温かな体を捜してさまよう。





 疲れたね。
 眠いね。
 ねぇマリー。
 どうしてマリーはまだしゃべれないの?
 なにが足りないのかなぁ。
 なにが足りないのかなぁ?


 女の子は必死に考えた。
 崩れた本屋さんに入って、絵本や小さな字が書いてある本を広げた。
 

 しんぞう。


 ピンクいろの心臓の絵がかいてある本を開いた。


 しんぞう。


 心臓があるとドキドキする。
 心臓があるから―――。
 女の子は自分の胸を押さえた。
 ドクンドクンと動いている。


















 そしてまた女の子はナイフを振り下ろした。
 何度も何度も振り下ろす。
 でも赤い血は流れることはあっても、ドクンドクンと動いている心臓はない。
 女の子はマリーを片手に、ナイフを片手に歩き続ける。





 ねぇマリー。
 ねぇマリー。
 動いているしんぞうってどこにあるのかなぁ。
 ねぇマリー。



 マリー?



 女の子は首をかしげた。
 マリーが女の子の手から滑り落ちて地面に転がった。
 トントンと瓦礫を一転二転する。



 マリー?
 どうしたの?



 女の子はマリーを見る。
 マリーから手を離したつもりはなかった。
 体中がだるいから、知らないうちに力が抜けたのだろうか。




 女の子はマリーに駆け寄った。
 マリーを拾い上げる。
 正面を見て、気づいた。
 なにか動いていた。
 黒ずんだぼろきれが動いている。
 いや人間だ。
 ちいさく、でもたしかに体が動いている。
 耳をすませると苦しげな息が聞こえた。




 ねぇマリー。
 あったよ。
 あったね。
 生きてるしんぞうがあったよ。




 女の子は動くぼろきれに走りよった。
 ふらふらだったのに、すごく元気に走った。




 よかった。
 これでマリーもしゃべれるようになるね。
 これでマリーもにんげんだね。




 真っ黒に汚れた人間。
 苦しそうにうめいている。
 長い髪の毛が地面にちらばっている。
 やせ細った指が地面につめをたてている。




 女の子は精一杯力をこめて、うつぶせになっていた女を仰向けにした。
 心臓をとりやすいように。
 女は顔もどこもかしこも真っ黒だ。


 女の子はマリーを平たい石の上に座らせた。
 そして女の胸に耳をあてる。



 ドクンドクン。



 しんぞうの音、聞こえたよ。





 女の子は笑った。
 ナイフを振り上げる。
 女の胸にナイフを突き立てる。




 女が目を大きく開いた。
 女がよくわからない叫び声をあげた。




 真っ赤な血がどくどくと溢れる。
 いままでとは違って、いきおいよく血が溢れる。




 今までとは違う血の出方と、叫び声に、女の子は女を見た。
 女は空色の目をしていた。
 きれいな目が女の子を見る。



 女の口から血がこぼれる。
 女が女の子をみつめて、血を吐き出しながら何か言った。





 ――――――。









 ………ママ?



 女の子の呟きがこぼれた。


 女の手が大きく震えながら女の子へと伸びる。
 女がまたなにか言う。
 女の手が大きく震えながら女の子の頬へと触れかける。
 だがその手は、寸前で地面に落ちていった。


 女の瞳は閉ざされた。
 女の口は閉ざされた。











「ママ?」




 女の子は泣きながらあふれ出す血を止めようとした。
 だが温かい血は止まらなかった。


 女の子はずっとずっと女の傍らで泣き続けた。
























 ねぇマリー。
 ねぇマリー。
 おなかすいたね。
 のど渇いたね。
 

 ねぇマリー。
 ねぇマリー。
 新しいしんぞうはだいじょうぶ?
 真っ赤な血は足りてる?



 ねぇマリー。
 私たちずっと一緒だよね?
















 ―――――もちろん。





 笑ってマリーは、言った。













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