『sideA  nightmare-3』











 散歩日和な日だった。
 とても暖かく、雲ひとつない青空が広がっている。
 グライスたちは正午前に家を出、散歩にでかけた。
 向かっている教会は歩いて20分ほどのところにあるらしい。
 昼食はその教会のすぐ裏手にある『フォレスト・ガーデン』と呼ばれる公園で食べることになっていた。
 もう1年近くこの地域に住んでいるが、いまだに近所に何があるかをグライスは知らなかった。
 移動も車だけなので、散歩というのも初めてかもしれない。
 グライスはシルとリーナと手をつないで、教会へと歩いていった。
 やがて一向は教会のある区域に近づく。
 ビルや住宅地とは異なる一角。
 教会、そして公園のある区間は静かな空気で包まれている。
 グライスが生まれた地区にも同じような場所があった。世界中の各地域にかならず憩いの空間が創られているのだ。
 優しい緑に彩られた並木道。
 木漏れ日がまぶしく、だがとても暖かくてグライスは気持ちよさそうに目を細める。
「あ、あそこだよ」
 シルがあいている方の手で、数メートル先を指差した。
 そこに大きな白い建物を見つけ、グライスは息を止める。
 純白の壁。神殿のような概観。尖塔に白い十字架。
 近づくにつれ、窓がすべてステンドグラスであることがわかる。
 無意識にグライスの手がシルたちから離れる。
 足がうずうずして、グライスは一歩踏み出しながら言った。
「あの、先に行って見てくるね」
 レゼは微笑み、姉弟はきょとんと顔を見合わせている。
 グライスは一人教会へと駆け出した。
















 白く重い扉を、ゆっくり押し開ける。
 すきまから冷たい空気と古い香りが流れてくる。
 薄明るい中へ、足を踏み入れる。
 光沢を放つよく手入れされた木の椅子。高い天井。
 グライスは放心したように口をわずかに開いたまま、ぐるりと教会内部を見渡した。
 一つ一つが心に響く。
 白い壁に連なる、息を呑むような一面のステンドグラス。
 受胎告知から始まり山上垂訓、十字架を背負いゴルゴタへ向かうキリスト。復活したキリストそして精霊の降臨。
 外からの光にさまざまな色が床に広がっている。
 グライスは食い入るようにステンドグラスを見ていく。
 そして最奥の壁にかけられた、十字架とキリスト。
 祭壇への真っ赤に敷き詰められたじゅうたんに静かに足を踏み入れる。
 わずかに目を見開いて、グライスはキリストを見つめた。
 なぜなのか。
 なぜこんなにも胸が苦しくなるのだろうか。
 グライスは無意識に息を止めていて、ややして大きなため息をついた。
 小さなグライスのすべてを圧倒する存在感。
 それはただの“モノ”なのに、しかしすべてはそこにあるのだ。
 グライスの目の端に、涙が浮かぶ。
 胸に去来するのは郷愁。
 慈しみと感動が支配する。
 透明なしずくが頬を滑り落ちる。
 そんなグライスにためらいがちに声がかかった。
「……グライス…?」
 涙をぬぐいながら、微笑を浮かべて振り向く。
 リーナとシルが立っていた。
 リーナはグライスの微笑の中にとても優しいものと慈悲深いものを感じて、驚く。
 グライスより数分遅れてリーナたちは教会へついた。
 グライスは夢の中にでもいるかのような表情で、もう30分以上見て歩いていたのだ。
 いつもリーナたちはこの教会に通っている。だがこれほどまでに感銘を受けたことなど無かった。
 この男の子は自分たちと何かが違うのだろうか。
 リーナは言葉をなくして、グライスを見た。
 グライスは満面の笑みで、
「神さまはここにいるんだね」
透き通った声で言った。
 それはいままで聞いた司祭のどんな説教よりも、リーナの心に響いたのだった。























 フォレスト・ガーデンでの昼食はとても美味しかった。
 シルの希望どおりにベーグルサンドとアップルパイ、ホットレモンティー。
 よく手入れされた芝生の上で食べるお弁当。
 外で食べるのがこんなにも美味しいとは知らなかった。
 新しい出来事が一つ一つ明るくグライスの中に入ってくる。
 また教会に来ようね、と約束した。
 またお弁当持っておでかけしようね、と約束した。
 そしてその後また教会に立ち寄って、家に帰った。
 その日は楽しさと教会に行ったことへの興奮からなかなか寝付くことが出来なかった。


 それから数週間、グライスはシルたちとよく遊んだ。
 昼食をご馳走になることも何度かあった。
 お菓子作りもしたりした。
 すべてが楽しくて、毎日が輝いていた。
 だが日々が過ぎていくのと同時に、避けられない日も近づいていく。






























 その日は朝からずっと雨だった。 
 カーテンを開けると灰色の空が広がっている。重苦しい雲が気分までも暗くするようだった。
 窓に打ち付ける雨音だけの静かな部屋。
 わずかにしめったような空気がした。
 グライスはカーテンを閉め、勉強をはじめた。
 最近はシルたちと遊ぶことが多くなったから、一日中勉強をしているということが少なくなっていた。
 なので今日は一日中勉強に取り組もうと思った。
 勉強や本を読んでいると没頭してしまって、周りの音が聞こえなくなる。
 いつのまにかお昼を過ぎていることにもグライスは気づかない。
 雨はずっと降り続いている。
 そして、雨音にまぎれて音がした。
 グライスがその音に気づいたのは、2回目に鳴ったときだった。
 ドアホンの音。
 グライスはリビングへいき、モニターを見た。
 正面には誰も写っておらず、自分の聞き間違いだったのだろうかとグライスは思った。
 だが下のほうにちらりと影が見えて、ドアホンのカメラの位置を調整する。
 するとシルが写った。
 グライスは急いで玄関へ向かった。
 ドアを開けて、廊下へでる。
 ドアを後ろ手に閉めながら目を向けると、シルがうつむいて立っていた。
 いつも元気で明るいシルが暗く顔を伏せている。
「シル? どうしたの」
 心配げにそっと声をかけると、シルは腕で目をこすりつけながらわずかに顔を上げた。
 シルは目の端に涙を浮かべて唇をかみ締めている。
 なにがあったのだろうと不安になりながらシルの言葉を待つ。
 ややしてシルが重く口を開いた。
「……お姉ちゃんと…けんかした…」
「リーナと?」
 こくんと頷くシル。
「なんで?」
「………お姉ちゃんがぼくの大事にしてた…ロボット壊しちゃったんだ…」
 涙を浮かび上がらせながら言うシルに、グライスはわずかにほっとした。
 なにかとんでもないことでも起こったのだろうかと思っていたからだ。
 だがシルにとってはすごくショックなことだろうし、グライスは優しく声をかける。
「ロボットってあのヒーローのやつ?」
「うん」
「リーナ、謝らなかったの?」
 シルは一瞬沈黙して、首を振る。
「謝ったよ…。でも…」
 小さく頬を膨らませ、ちらりグライスを見る。
「僕がとっても大事にしてるって知ってたのに…」
「…でもわざとこわしたわけじゃないんでしょ?」
「…そうだけど。だって、僕が泣き出したらお姉ちゃん「うるさい」って」
 グライスは内心そっとため息をつく。
 シルたち姉弟と仲良くなって数週間たつが、普段は仲のよい姉弟でもちょっとしたことでケンカをはじめることもしばしばだった。
 それはグライスにとっては仲のよい証にも見えて、微笑ましかったのだが、今回はさらに根深いらしい。
「ひどいよ、お姉ちゃん…。それにあのロボットおじいちゃんに買ってもらったやつだったのに」
 ぽつりと呟いたシルの言葉に、ふと老夫婦のことを思い出した。
「おじいちゃんって、遠くに住んでるんだったよね」
「うん。あのロボットぼくの誕生日に買ってくれたんだ」
 壊れたロボットをシルがとても大事にしていたことをグライスは知っているし、もちろんリーナだってわかっていたはずだ。
 リーナもつい「うるさい」とか言ってしまったが後悔してるのでは、とグライスは思う。
「…リーナも悪いことしたって思ってるだろうし…」
「お姉ちゃんなんて大キライだ」
 グライスの言葉を断ち切るように、シルが言った。
 グライスは困ったようにシルを見つめる。
「僕も一緒に行ってあげるから…。リーナにもう一回謝ってもらって、許してあげよう?」
「やだ! 僕、家出してきたんだもん!」
 そう声高々に叫んだシルにグライスは目を点にさせる。
「…家出…?」
 隣から隣へ?
 その距離の近さに苦笑し、自分が頼られたのだという嬉しさと、みんな心配してるんじゃないか、という気持ちが混ざり合う。
「うん!! だから…グライス」
 ちらりとシルはドアへと視線を向けた。
 中に入れて?、と目で言うシル。
 グライスはシルの視線を追うようにして、我が家のドアを見た。


『赤の他人は絶対に入れるな』


 シュッドの言葉が脳裏に浮かぶ。
 今まで何度かシルはグライスの部屋のおもちゃが見たいといってきた。
 だがそれは困っているグライスを見て、リーナだったりレゼがシルをたしなめていた。
 でも今は二人ともいない。
 それにシルはケンカして家を出てきたのだ。
 状況もわずかに違う。
「…ねぇ、シル。きっとみんな心配してるよ…?」
「いいの!」
 そうそっぽを向くシルに、いま家に帰るように説得するのは無理だと感じる。
 だが…。
 困惑したグライスの表情に、シルは悲しそうに顔をゆがめる。
「僕のことめいわく?」
「まさか!」
 ただ。
 約束があるのだ。
 シュッドとの約束が。
 約束を破ることはいけないこと。
 だが。
 友達が困っているのに。
 幼い心が揺れ惑う。
 シルはグライスが返事を出すのをじっと待つ。
 そしてグライスは必死に考える。
 そして、しばらくしてグライスは小さな笑みを浮かべてシルを見た。
「入っていいよ。でもシル、一つ約束して? ちゃんと家に僕の家にいるって電話すること。それをまもれるんだったら入れてあげるよ」
 交換条件。
 シルは連絡を入れなければいけない、という言葉にわずかに嫌そうな顔をしたが、すぐに頷いた。
「わかった! ありがとう、グライス」
 いつものような明るい笑顔。
 シルの笑顔を見て、グライスはようやくほっとした。
 約束を破ったことはシュッドにきちんと謝ろう。
 そう玄関のドアを開けながら、グライスは思った。




 これが、悪夢への入り口だということも知らずに。


















 まず家に暗い表情で電話をしたシルは、初めてグライスの部屋に入り部屋の中にあるおもちゃの数と本の量の多さに声を上げて驚いていた。
 もちろんシルの興味が注がれるのはおもちゃたち。
 これ僕も欲しいんだよー、などと言いながら楽しそうにおもちゃを見ている。
 ついさっきまで涙を浮かべていたシルが、いつもどおりの元気さに戻っていて、思わず頬を緩める。
 この部屋にシュッド以外の人が入ってきたのは初めて。
 外の雨が嘘のように、部屋の中は晴れ晴れとして見えた。
 ジュースを取りに行き、昼食がまだだったことを思い出す。
 一人分しか昼食はないから、なにか食べるものを探して、持っていく。 
 戻っると、おもちゃと戯れていたシルがパソコンの前にいた。
 グライスはシルに「ごはん食べよう」と言って、微笑む。
 テーブルに並べながら、パソコンを見ているシルに、
「シルがくるまで、勉強していたんだ」
と言うと、 シルはきょとんとしてグライスを見上げる。
「でもこれって…お姉ちゃんたちが勉強してるのと同じっぽいよ」
「そうなの?」
 本や学ぶことが好きだから、シュッドが与える勉強も黙々とこなしていた。
 だからグライスは学校に通っているリーナと同じ、いやそれより上の勉強を知らずしていたのだ。
 シルが尊敬の色を浮かべた瞳で見る。
「グライスって頭いいんだね!」
「頭はべつによくないよ」
 顔をほころばせる。
「いろいろ知っていくのってすごく楽しいから、勉強してるだけだし」
 世の中にはまだまだたくさん自分の知らないことがある。
 勉強しても勉強しても、奥深いことばかり、だから楽しくて仕方ない。
 笑顔のグライスにシルは一瞬考えるようにして、そしてまたパソコンを見た。
「ね、グライス! ぼくも勉強するよ! 今日は勉強を教えて?」
 そう言って微笑むシル。
 グライスはいつも走り回っているシルから勉強という言葉が出てきたのは初めてで、驚く。 
 だが笑って頷いた。
 なにかとても嬉しい気分になった。


















 いつもシュッドに教わり、あとは一人で調べることだけ。
 人に教えるのはもちろん初めてで緊張もしたけど、シルはとっても真面目で遊んでいるときとはまた違った心地よい空気が流れていた。
 時間はゆるやかに流れていった。
 外はあいかわらずずっと雨で、昼間なのか夕方なのかわからない暗さだ。
 勉強をつづけてだいぶ時間がたったころ、シルが立ち上がった。
「グライス、トイレいきたい」
「ああ、うん。休憩しよっか。トイレはね玄関そばの…」
 と言いながら、部屋から出て案内する。
 グライスはキッチンへ行って、ジュースをついで先に部屋へ戻った。
 シルを待つ間、本をぱらぱらとめくる。
 少しして、なんとなく顔を上げた。
 時計が目に映る。
 時間を確認して、また本に目を落とし、そして数秒後また時計を見る。
 針は6時をさしていた。
 心臓が跳ね上がる。
 シュッドは早いときは6時半には帰ってくることもある。
 部屋へ入れたことは謝るとしても、実際シルがいたら、なにか言うかもしれない。
 それに昼食の後片付けもしておかなければならない。
 そう思って、グライスは慌ててテーブルの上を片付けた。
 そしてふと、シルが遅いな、と思った。
 ドアを開け、リビングを抜ける。
 人影が見えて、声をかけようとした。
 だが、止まった。
 シルがいた。
 そしてシルの前にシュッドがいた。
 シュッドがグライスに気づき目を向ける。
 冷たい眼差しに、すっと全身の血の気が引いていく感じがした。
「……おかえりなさい、シュッド。早かったんだね…」
 ようやくの思いで声をしぼりだすと、シュッドは一瞥しただけで返事はしない。
「あ、あの友達の…シル」
 シルのそばに駆け寄って、紹介する。
 シルの背に手をおくと、シルがびくっとして、口を開く。
「こ、こんにちわ」
「こんにちわ」
 無表情なシュッド。
「シル、といったね。隣の家の子かな?」
 シルはなにかシュッドの雰囲気に萎縮するようにして頷く。
「もうすぐご飯だろ? 家の人が心配するだろうし、もう帰りなさい」
 言われて、シルは姉のことを思う。
 だがシュッドの言葉は有無をいわさないものがあって、シルは「はい」と小声で頷いた。
 無理やり笑顔を作ってグライスを見るシル。
「グライス、今日はありがとう」
「ううん」
「じゃあね、またね」
「シル。リーナとちゃんと仲直りしてね」
「うん、わかった。じゃあねグライス…」
「バイバイ、シル」
 バイバイ、と手を振って、扉は閉じていった。
 閉じると同時に重い沈黙が訪れる。
 約束を破ったことを謝らなければ、と思ってグライスがシュッドを見上げると、シュッドはリビングへと入っていった。
 そのあとを追いかける。
「あ、あのシュッド、ごめんなさい」
 上着を脱ぎ、ソファへと放り出す。
 キッチンへ行き、ミネラルウォーターを飲む。
 グライスは自分のほうを見ないシュッドにもう一度、謝る。
「約束破って…ごめんなさい」
 だが無反応。
 グライスはしばらくシュッドを見ていたが、うなだれるようにして部屋へと戻った。
 テーブルにまだグラスに入ったままのジュースを見つけ、片付けなければと思う。
 グラスを持って、キッチンへ行こうとドアを開けた。
 とたんに目の前にいたシュッドにぶつかる。
 驚いて思わず手のグラスを落とす。
 オレンジ色の液体が、じゅうたんの上に零れる。
 あっと思って思わず膝をつくと、シュッドの声が響いた。
「なぜ約束を破った」
 絨毯にジュースが染み込んでいく。
 冷たく微かな怒りを含んだその声に、顔を上げることができない。
 だが、約束を破ったのは自分だから、とシュッドを見る。
「ごめんなさい」
「謝るなら、なぜ破った」
 それは今日のシルとよく似ている、と思った。
 なぜロボットを壊した。
 ごめんなさい。
 とても大切だったのに、なぜ壊した。
 ごめんなさい。
 なぜ―――――。
 終わらない問いかけ、出ない答え。
 だが、違う。
「シルが…友達が困っていたから」
 それが答え。
 友人が困っていた。
 赤の他人が自分の領地に入ることを嫌う。だから、家には誰も入れない、という約束。
 二つを天秤にかけて、友人をとった。
 約束は大事だが、その約束に少し疑問を覚えたこともあったし、実際もしかしたら軽く見ていたのかもしれない。
「俺は、言ったはずだ」
 重く響く声。
「俺は、自分の家に他人が入り込むのが、嫌だ、と」
 グライスを凝視する、深い藍色の瞳。
「ここの家の主は誰だ? 俺だ。俺の言うことは、約束は絶対じゃないのか」
 突き刺すような言葉に、グライスは強張る。
「俺はお前がメイの子供だったから引き取った。血縁だからだ」
 血のつながり。
 それがなければ、一緒にいることなどありえない、という言葉。
 グライスは一瞬、シュッドの全身を見た。
 叔父は、と考える。
 人間が嫌いなのだ。
 人間を信用していない?
「でも」
 思わずグライスの唇からもれていた。
 約束を破った自分が悪い。だけれども、自分は悪いことをしていないと思ったから。
 約束を破った自分が悪い。だけれども――――――。
「でも僕は…シルが本当に困っていたから…。だから、悪いことをしたとは思わない」
 反抗。
 謝れば許してもらえるものだ、と思っていたのだろうか?
 約束は破ってもいいと思っていたのだろうか?
 グライスは自分に問いかけ、否定する。
 違う。
 そうじゃない。
 そうじゃなかったが、ただ。
「お前は、約束を破って口答えをするのか!!」
 怒りをあらわにした声。
 シュッドが大きな声をだしたことなど無かったから、一瞬グライスはひるんだ。
 シュッドの腕が微かに震えているが、グライスは気づかなかった。
 グライスは悲しそうにシュッドを見上げる。
「もう二度としないって、約束するけど…。でも」
 何を言いたいのか、自分でもわからない。
 ただこの家に人を上げないのが、シュッドが人を信用していないということなのなら、それはとても寂しい、と思ったのだ。
「あの…シュ…」
 考えを一生懸命にまとめ、言おうとした。
 だが、
「黙れッ」
 鋭い声にさえぎられる。
 グライスはシュッドを見ようとした。
 だがそれより一瞬早く、頬に強烈な痛みが走った。
 なにが起こったのか考える前に、小さな身体がわずかに宙に弾かれ、壁にうちつけられる。
 身体が、頭が激しくぶつかって、床に崩れていく。
 頭が脳震盪を起こして、意識が混濁する。
 床についた右の頬がとても熱い。
 口の中になにか生暖かなぬるぬるとしたものを感じた。
 朦朧とした眼差しが、薄く床とシュッドの足を映している。
 もうなにも考えることなどままならない。
 立ち尽くしたままのシュッドの足からはその上にある表情を知ることは出来ない。
 暗い、沈黙。
 じょじょに重くまぶたが閉じてゆく。
 自分になにが起こったかを知ることがないまま、グライスは気を失った。
 そしてしばらくして、シュッドは部屋から出て行った。








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