『sideA  nightmare-1』












 魂は生まれた時は純白なのだろうか
 生まれでた瞬間に魂は穢れてしまうのだろうか
 人はいつから、罪を背負っているのだろう……。















 西暦2073年11月6日深夜、『統聖病院』でグライス・バーディガルは誕生した。
 その日はまだ11月だというのに雪もちらつくような、とても寒い日だった。
 グライスの母は身体が弱く、出産の疲労で深い眠りに落ちていた。
 グライスの父はまだ目も開かない初めての子供を見、そして妻の傍でその夜を過ごした。
 バーディガル家は裕福ではなかったが、特別貧乏というわけでもない、ごくごく普通の家庭だった。
 グライスの父親ダランは建築の仕事をしている。
 世界が統合されてから3年。まだまだ安定していない世界には新しい機関のビルが建ち続ける。
 毎日が忙しすぎる日々の中で生まれた長男グライスだった。
 バーディガル夫人メイはグライスが誕生して4日後に家へと戻った。
 夫妻は息子の誕生をとても喜んでいたし、日々の生活は平穏だった。
 だがグライスが1歳の誕生日を迎えようとする頃、バーディガル家に異変が起きる。
 父ダランの失職である。
 突然の解雇。
 そしてその一ヵ月後、グライスの誕生日の次の日、ダランは失踪した。
 原因は不明。
 取り残された夫人は泣きながらも、たった一人の息子を育てるために病弱な身体で働き始めることになる。



















 人の記憶が始まるのはいつからなのだろうか。
 母の胎内にいるときの記憶は生まれてからほとんどの場合覚えていることはないだろう。
 3歳ぐらいになれば言葉も良く喋るようになっているし、よく動く。
 だが10代20代となっていって3歳ぐらいの記憶がたしかかというとそうでもないだろう。
 例えば2歳や3歳頃に強烈な出来事でもあれば別だが。
 そしてグライス・バーディガルの記憶がはじまったのは、3歳の夏の日だった。
 夏の暑い日。うだるような空気が蔓延していた。
 グライスと母親はアパートに暮らしていた。そしてその日、グライスは隣の家へと遊びに行っていた。子供のいない老夫婦がすんでいて、グライスのことを孫のように可愛がっていた。
 いつものようにグライスは老夫婦のもとでお菓子をご馳走になり、遊んでいた。
 夕方近くだろうか。
 大きな物音が壁越しに聞こえてきた。
 グライスは母親が仕事から帰ってきたのかと思い、嬉々として自分の家へと戻っていった。
 玄関の扉はわずかに開いていて、リビングへ足を踏み入れると、なにかかいだことの無いような匂いがしていた。
 鉄っぽい匂い。
 そして床に倒れた椅子。
 散らばった衣類など。
 まだ幼いグライスはなぜ散らかっているのか、と不思議がることをしない。
 そのとき寝室のほうから、また物音がした。
 グライスはてくてくと歩いていき、開いていたドアから中を覗き込んだ。
 ベッドの上に母親がいた。
 グライスは母親の姿を見て、笑顔を浮かべる。
 母親はグライスの存在に気づいていない。
 真っ青な表情で、顔を歪めていた。額からなにか赤いものが流れ出ていた。
「―――マ」
 ママ、そう言おうとした。
 だがそれは遮られた。
 ドン、という大きな音によって。
 その音はグライスの心臓に大きく響いた。
 激しく全身を震わせるような振動を、感じた。
 そして音とともになにか妙な音が母親からして、母親の頭の後ろのほうから赤いものと小さな塊のつぶのようなものが飛び散った。
 クリーム色の壁が真っ赤に染まる。
 母親の身体がベッドにゆっくりと倒れる。
 柔らかな母親の髪が真っ赤にそまり、ベッドに散らばっている。
 見開かれたままの目が、グライスのほうを見ている。
 なにが起こったのかわからない。
 なにが起こったのかわかるはずがない。
 ただ恐怖をかんじた。
 まだ幼いから恐怖という言葉もしらなかったが、本能は危険を察知し、そしてその身体は震えだす。
 ガクガクと膝が笑う。
 グライスは身を翻して、老夫婦の部屋へ戻ろうとした。
 だが、数歩いったところで、寝室のドアが開け放たれる。
 そして次の瞬間、また大きな音が響いた。
 小さなグライスの身体に衝撃が走る。
 強烈な痛み。めまい。
 何が起こったか知る由もない。
 グライスの小さな身体は床に崩れ落ちる。
 そして、意識を失った。






















 グライスが次に目覚めたのは3日後だった。
 ほんのわずかに見開かれた目にはまだ生気はなかったが、その瞳には心配そうな隣人の老夫婦の姿が映っていた。
 小さな身体に打ち込まれた弾丸は寸前のところで急所を外していた。
 精神的なショックと肉体的なショック。
 幼いグライスには強すぎた衝撃が癒えるのをまたずに母親の葬儀はひっそりと行われ、グライスは一人になった。
 そんなグライスを癒したのは老夫婦だった。
 懇親に看病をし、1ヶ月ちかくしてようやくグライスは笑みを浮かべるようにまで回復した。
 老夫婦はグライスを引き取ろうとした。
 グライスもまた暖かな老夫婦がそばにいるのが当たり前だと思っていた。
 だが老夫婦が養子縁組の手続きをしようとした矢先、母親の弟が現れた。
 葬儀にも現れなかった叔父が。
 仕事が忙しくて連絡が遅くなったと現れた叔父にグライスは引き取られることになった。
 老夫婦との別れはとても辛く、惨事があった部屋さえも母との思い出があり、とても哀しくてグライスは泣きつづけた。
 グライスが叔父シュッドとともに新しい家に引っ越したのは9月の末、秋の入り口のころだった。