『sideB perfect garden +5』
涼しい風が入ってきた。
アールは窓を全開にしようとしていたが、やめて半分だけ開けた。
「ねーねぇ、今日から学校だったんでしょ?」
少し離れたところで孤児院の仲間たちの話し声が聞こえてくる。
アールはその会話に加わることをしなかったが、学校が始まる時期なのか、と思った。
今は9月。すでに残暑は過ぎ去り秋の空気が漂いはじめているのをアールは実感する。
ちらりと仲間たちが集まっているほうへと視線を向けた。
見知った仲間たちの中にいる、見慣れてきた顔。
真新しい制服に身をつつんだシアリスをアールはぼんやりと眺める。
シアリスが孤児院へ遊びにくるようになって1ヶ月が過ぎていた。
すでにシアリスはほぼすべての仲間たちと仲良くなり、受け入れられている。
まるで違和感なく溶け込んでいるのが不思議に思う。だがそれもすべてシアリスの人柄の良さなのだろう。
これといって仲良くしているわけではないが、ここ一ヶ月のシアリスをみていてアールはそれなりにシアリスを認めていた。
髪を揺らす風に流されるようにアールは視線を動かし、部屋の後方に一人いるミシェルにとめた。
人形の髪をといているミシェル。
ミシェルとシアリスの関係は一向に進展していなかった。シアリスは挨拶をしてなにかと話しかけようとするが、ミシェルがそれに答えることはない。
「なぁ! 外でサッカーしようぜ」 8歳のジニーが言って、みんなわらわらと部屋を出て行く。 サッカーをするのは主に男の子たちだが、女の子達もまた観戦しについていっている。 だがミシェルは動こうとせず、ずっと一人人形遊び。 アールもまた、一人窓際に座っていた。 「おい、アール! お前もこいよ!」 最後に部屋を出て行こうとしていたダンがアールに呼びかけた。 アールは「眠いからいい」と手を振る。 「だめだよ、来いよ」 ダンのそばにいるシアリスが表情を曇らせアールを見ている。 「今日はパスー。この次ははいるからさ」 そう軽く手を振ってアールは机に突っ伏した。 ちぇっ、とダンが呟いて部屋を出て行く。 足音が響いて少しして、遠慮がちに声がした。 「……ミシェル、見にこない?」 シアリスの声が静かな部屋に響く。 アールは突っ伏したまま、様子をうかがう。 いつものようにミシェルになんの反応もない。 「気が向いたら、見にきなよ。楽しいよ、きっと」
残念そうに、それでも明るい声でシアリスが言った。 「おーい、シアリス〜。早く行こうぜー」 ダンが廊下から呼んでいる。 シアリスは返事をしながら部屋をでかけ、一瞬止まって「……今日いいお天気だから、ほんとうに気が向いたら来てね……ミシェルもアールも」と言った。 そして今度こそ部屋を出て行った。 遠のいていく足音とともに静けさが訪れる。 アールとミシェルだけ残った部屋に、ややして庭から遊び声が聞こえてきた。 「悪い奴じゃないんだけどなぁ」 ぼそり、アールの声が部屋に響く。
ミシェルはなにも聞こえなかったように、ひたすら人形の髪を梳いていた。
思わずため息をつきそうになって、シアリスはあわててそれを飲み込んだ。 ため息をつくと幸せが逃げていく、そう言っていた祖母の言葉を思い出す。 シアリスは教科書をカバンにつめながら気持ちを切り替えるように今日は何をしようかと考える。 三日前孤児院にいったときはみんなとサッカーをした。今日は何をしようか。 サッカーもいいが、女の子達も一緒に遊べるようなことがしたい。 そうすればミシェルやアールだってきっと一緒にあそぶかもしれない、と思う。 それでもダメだったら、そこへ考えがめぐるとまたため息が出そうになるので、シアリスは大きく首を振った。 きっと今日は大丈夫、そう自分に言い聞かせる。 常に笑顔をわすれずに楽しい気持ちを持って接していれば、きっと一緒に遊べる。 幼い心でシアリスはそう考えていた。
「ねぇシアリスくん」
不意に声をかけられ、一瞬間をおきシアリスは呼ばれたほうへと振り返る。
笑顔を浮かべた同級生が二人いた。
名前はチャールズとイアン。あまり喋ったこともない二人だった。
「どうしたの?」
誰に対しても常に笑顔のシアリス。
チャールズとイアンはシアリスのもとへやってくると、明るい声で話し掛けた。
「今度一緒に勉強しない?」
栗色の髪をしたチャールズが言った。
「実はぼくたち前からシアリスくんと仲良くなりたいなって思ってたんだ」
銀髪のイアンが満面の笑みで言った。
シアリスはきょとんとして二人を見る。
だがすぐに頬を緩ませ、嬉しそうに顔を輝かせた。
「僕も、友達になれたらとっても嬉しいよ」
自然と弾むシアリスの声。
チャールズとイアンは目配せをし、ほっとしたような笑顔を浮かべた。
「よかった。よろしくね、シアリスくん」
二人が手を差し伸べ、それぞれ握手をする。
「いつもシアリスくんを誘おうと思ってたんだけど、シアリスくんすぐ帰っちゃうでしょ?」
「そうそう。やっぱりハイラッド家の後継者だから忙しいんだろうなって思ってたんだけど」
チャールズとイアンが笑いながら言う。
シアリスは日頃の自分を思い返した。
確かにいつも授業が終わると、すぐに家へ帰っていた。
勉強はもちろん、たびたびアール孤児院へ行っていたから色んな意味で忙しかったのだ。
そう考えてようやく、シアリスは学校の友人とあまり遊んだことがないことに気づいた。
そんな自分にわざわざ声をかけてくれた二人の気持ちが嬉しい。
「ううん、忙しいっていってもいつも遊んでばっかりなんだよ」
はにかんで言うと、不思議そうに二人が顔を見合わせる。
「へぇ……。シアリスくんのお友達ってきっと楽しい人たちなんだろうね」
「読書会とかしてそうだよね。シアリスくんお昼休みとかにも本読んでるでしょ」
チャーリーとイアンが口々に言う。
シアリスはわずかに首を振って、屈託なく告げた。
「ううん。いつもねサッカーとかしてるよ。きのうはちょっと泥だらけになりすぎちゃって、お母さんに怒られちゃったんだ」
最後は恥ずかしそうに微笑んだシアリスに、また二人は顔を見合わせる。
意外そうにシアリスを見る二人。
「サッカーなんてするんだ?」
うん、とチャーリーを見る。
「ぼくたちとも今度遊ぼうよ。ぼくが人数を集めるよ?」
イアンが楽しそうに提案する。
「みんなシアリスくんと仲良くしたいって思ってるからすぐに集まるよ」
笑いながらチャールズが言った。
きょとんとするシアリスにイアンが、
「今度の休みにでもみんなで遊ぶようにしようよ。それでさ今日一緒に帰らない?」
シアリスは頷く。だが申し訳なさそうに目をしばたたかせた。
「ごめん。今日は帰りによるところがあるんだ」 「お稽古ごと?」 シアリスくんはいろいろお勉強大変そうだもんねと二人が言う。 そんなことないよ、と言ってから、 「今日はみんなと遊ぶ約束してるから」 そう告げると、二人は首をかしげた。 「みんな?」
「もしかしてサッカーとかして遊んでいるお友達?」 「うん。アール孤児院のみんなに今日遊びに行くって約束してるんだ」
自然と顔をほころばせるシアリス。
だが変わってチャールズとイアンは目を点にした。 「アール孤児院?」
イアンが不思議そうに呟く。
明らかに戸惑いをあらわにしてチャールズが確認するように、 「孤児院の子たちと遊んでいるの? シアリスくん」
と聞いた。
シアリスは笑顔で頷く。
だがさらにポカンとチャールズとイアンは顔を見合わせる。
シアリスもまたそんな二人の様子を不思議に思った。
ややしてチャールズが何かを思い出したように口を開いた。
「そうだった。パパが言ってた、シアリスくんのお父様は”ジゼンカ”だって」
慈善家?
確かにシアリスの父は福祉施設や孤児院などに多大な寄付や貢献をしている。
だがだからといって、それと自分が子供たちと遊ぶことと何が関係があるのだろう、とシアリスは思う。
「シアリスくんはやさしいんだね」
再び笑顔を浮かべてイアンが言った。
だがまた、シアリスはその言葉が意味することがわからなくて、ぎこちなく微笑むことしかできなかった。
胸のうちに濁ったような、わずかな重苦しさをもったものが広がる。
それがどういう感情なのかわからない。
シアリスは戸惑いながら、それを振り払うように軽く首を振った。
「一緒に遊ぶ?」
それがごく自然な答えに思えて、シアリスは二人を誘った。
二人はもう何度目になるか、顔を見合わせ、そして頷いた。
シアリスが来たよ。
孤児院の仲間の一人が言った。
今日もサッカーだぞ。
そう誰かが言っている。
わらわらと子供たちはシアリスを迎えにいくように部屋から出て行く。
「おい、アール。今日はお前もつきあえ」
そうアールの手を引いたのは4つ上のカリー。
孤児院の中では年上の子供が、下の子供たちの面倒を見る。
カリーもまたアールの面倒をなにかとみていた。
だから、しかたなくアールはやる気がなさそうに、仲間たちについていったのだった。
だらだらと一番最後にみんなのもとへたどり着くと、アールはわずかに眉を寄せた。
いつもとは違う空気。
困惑したような、緊張したような、そんな不思議な空気が漂っている。
怪訝に思いつつ、進んでいくと、相変わらずの性格の真っ直ぐさをあらわしたシアリスの声が聞こえた。
「お友達のチャールズくんとイアンくん。一緒にサッカーして遊んでいいよね」
笑顔のシアリスの後ろに並ぶ二人の男の子。
シアリスと同じく笑顔を浮かべている。だがしかしそれが好意からではないことは一目でわかる。
アールは思わず胸のうちで舌打ちした。
仲間たちは皆、戸惑っているのだ。
それもそうだろう、気づいていないのはシアリスだけだ。
シアリスと自分たちがいかに立場に差があるかなんてみんな知っている。それでもそれを越えて仲良く遊んでいるのは、シアリスが純粋で素直で、そして差別というものを知らないから。驕ることもなく、当たり前のように何事にも平等だからだ。
だが今日、いまシアリスがつれてきた二人の男の子の眼差しは、自分たちを下に見ているのがありありとわかる。
おそらくシアリスに取り入ろうとついてきたのだろう。
そうアールが考えている中、ようやく返事をしたのはカリーだった。
「………ああ、いいよな」
ぎこちなく笑うカリー。
その言葉を受けて、みんなはようやく笑いながら頷いた。
「よかった! さぁ、サッカーしよう!」
元気よく笑ってシアリスが駆け出す。
それにつられて皆も、そしてチャールズだちもまた庭に走っていった。
砂埃が舞う。
アールはため息をついて、重く足を動かす。
なにか、いやな予感がした。
05/11/9up
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