『sideB  perfect garden +4』






「もう食べないの?」
 そうオリビアが顔を覗き込んだ。
 シアリスは持っていたフォークを慌てて動かす。美味しい、と笑顔で食事を再開する。
 オリビアとアセルニーは一心に食べ物を口に運ぶ息子を見つめ、そして視線をかわした。
 孤児院に行ってからここ数日シアリスの表情は暗く晴れることがなかった。
 夫妻ははじめて見る息子の沈黙に内心ため息をつく。
 オリビアが目配せをして、アセルニーは小さく頷きワインを飲み干した。
「シアリス、今日は東館で一緒に寝ようか」
 黙々と料理を口に運んでいたシアリスはきょとんと視線を上げる。
「………東館?」
 そう復唱して数秒、パッとシアリスの顔が輝く。
「屋根裏部屋で?」
 自然と声は弾んでしまう。
 東館の屋根裏部屋。シアリスの大好きな小さな部屋だ。普段生活している母屋から、庭を抜けたところにある長期滞在する客人用の棟だった。よちよち歩きをはじめ自分で歩き見てまわるのが楽しかったころ、東館を探検したときに屋根裏部屋を発見したのだ。
 そしてはじめてワガママを言って屋根裏部屋をシアリスがいつでも過ごせるように整えてもらったのだ。
「ほんとに?」
 自然と顔をほころばせて何度も尋ねるシアリスに夫妻はクスクス笑う。
「ああ。今日はパパと一緒に寝よう」
 うん、と大きく頷きかけて、シアリスが心配そうにオリビアを見る。
「なぁに?」
 オリビアが首を傾げると、シアリスはおずおずと口を開く。
「………一人で寝るの寂しくない?」
 オリビアは一瞬目を点にし、弾けるように笑った。アセルニーも笑みをこぼす。
「大丈夫よ、シアリス。今日は男同士で過ごすといいわ」
 笑顔で言われて、ようやくシアリスも笑みを浮かべた。
「うんっ」
「それじゃあ、ちゃんと食事をとったらお風呂に入って、パジャマ着て部屋で待ってなさい」
「はい!」
 シアリスは一際大きな声で返事をすると、さっきまでの様子が嘘のように楽しそうに残りの食事を片付けていった。












 屋根裏部屋の窓を開けると、わずかに涼しい夜風が吹き込んできた。
 好きなときに来れるようにと、屋根裏部屋は常に掃除されている。
 小さな窓から顔を出す。
 夜空には星が瞬いている。
 田舎へといけば、この何倍もの星がたくさん瞬いているという。それを実際に見てみたい、そんなことをぼんやりとシアリスは思った。
「お父さん、窓あけたままにしてていい?」
 ベッドにいる父親に言うと、いいよ、と微笑とともに返事が返ってくる。
 シアリスは窓から離れアセルニーの横にもぐりこむ。
 いつもと違うベッド。ただ枕だけは自分が普段使っているものだ。
 シアリスは父親を見上げ、いろんな話を聞いた。
 先日の出張はどんなところに行き、どんなことをしたのか。
 アセルニーは丁寧に立ち寄った地域それぞれの情景をことこまかに説明してあげる。
 それはどんな絵本を読むよりも、シアリスにとって楽しいものだった。
 今度家族でどこか旅行に行こう、そうアセルニーがシアリスの頭を撫でる。
 「うん」と、顔を輝かせるシアリスを、優しい眼差しで見つめアセルニーは慎重に言葉を選び話しかけた。
「ところで……シアリス。最近なにかあったのかい? 近頃ぼーっとしてるってママが心配してたよ」
 優しい問いかけにシアリスは驚いたように目を見開く。
 真っ直ぐなアセルニーの視線に目を伏せてうつむいた。
「……ごめんなさい」
 小さく笑ってアセルニーはシアリスの頭をぽんとかるくたたく。
「謝る必要なんてないんだよ? シアリスのことならどんな些細な事だって気にかかるんだから。それが親の性分というものなんだし」
 不安そうな眼差しのシアリスに穏やかに話し掛ける。
「シアリスが寂しそうだったり哀しそうな顔をしていたら、その原因を知りたいって思うんだ。シアリスの想うことを分かち合いたいってね。だから、どんなことでも話していいんだよ」
 話してほしいんだよ、とアセルニーは微笑んだ。
 シアリスは父親をじっと見つめる。しばらくしてアセルニーにしがみつくように抱きついた。
「お父さん……あのね」
「なんだい」
 そっとシアリスの頭をなでる。
「どうして…………」
 言いかけ、だがすぐに声は消え入る。
 アセルニーは何も言わず、シアリスが続けるのを待つ。
 ややして、いたずらの告白でもするかのように、小さな声が言う。
「………どうして……子供が捨てられるの……」
 アセルニーは一瞬目を細めた。優しい眼差しで息子を見下ろす。
 多感で純粋なシアリスを孤児院につれていけば、なにかしらの影響を受けるだろうと思ってはいた。
「いろいろな理由があるね」
 シアリスは身を起こし、アセルニーの言葉をきちんと聞けるように、まっすぐに向き合う。
「生きていくためのお金がなくて、やむを得ずだったり」
「……ミシェルのママはほかの男の人と出て行ったんだって……ミシェルを置いて」
 ミシェル……、アセルニーはその顔を思い起こす。
 あの誕生日会で主役だった女の子。その誕生日会の最中にミシェルとそしてアール、シアリスがいなくなったのだ。
 あのときからシアリスの様子はおかしかった。いつも母を恋しがっているミシェルがなにか言ったのだろうということは容易に推測できた。
「そういう親もいるね、残念ながら」
 信じられないというように、シアリスは表情を暗くする。瞳がうるみ、涙がこぼれるかと思われたが、ギュッと唇をかみ締めシアリスは我慢した。
 アセルニーはそっとシアリスの肩を抱き寄せる。
 暖かな父親の腕の中でシアリスはミシェルのことを思い出す。
 母親の帰りを待っている一方で、その日がこないことに、本当は知っていた。
 ママは来ない!――――、そう叫んでいた。
 それを言わせたのは自分なのだと、シアリスは気づく。
「ぼく……。ミシェルにひどいことをしちゃったんだ……」
 暖かな家と両親のもとで育てられている自分。
 自分がもし両親に見捨てられてしまったら、そう考えると恐怖で竦んでしまう。
 だが現実、想像もつかないような状況に落とされた子供たちがいるのだ。
「なにをしたんだい?」
 あくまで穏やかな優しい父親の声にシアリスは言いかけ、ふと口をつぐんだ。
 自分はなんと言ってミシェルを怒らせたか。
 ミシェルはなんと言ってシアリスを非難したのか。

『神様なんて――――』

「シアリス?」
 ビクンと体を震わせアセルニーを見上げる。
 シアリスは視線を揺らし小さく呟く。
「………きっとすぐに戻ってくるって……言ったの」
 本当のこと。だが、すべてではない。
「……簡単に…帰ってくるよ………って」

『神様にお祈りしよう』
『祈ってもムダだって――――』

 頭の中でグルグルと回る言葉をぎゅっと心の奥底に押さえ込む。
「ミシェルの気持ちも考えないで……」
 小さくしぼんでいく声。
 ミシェルを怒らせたのは自分。
 祈りが無駄だと言ったのは、きっと自分が彼女の気持ちも考えてやれず、安易に慰めてしまったから。
 だから、あのときのミシェルの神様への暴言は――――きっと。
「シアリス……、それは違うよ」
 思考が遮られ、シアリスはそっと父親を見る。
「確かに簡単に戻ってくるよと言ってしまったのは、ミシェルの気持ちを考えるとあまりよくないかもしれないね。でもだからといってミシェルのことを考えてなかったというわけではないだろう?」
 シアリスは逡巡し、ややして小さく「うん」と呟いた。
「この世界にはたくさんの人々がいる。その分だけ考え方も違う。それに経験することも違うだろう? シアリスはこの前はじめて孤児院にいって子供たちに出会った。そして両親を失くした子供たちにあったね」
「………ぼく……みんなは事故とかでお父さんお母さんを亡くしているって思ってたの…」
「ああ、きちんと説明をしたことはなかったからね。さまざまな理由で孤児院の子供たちは院で生活を送っている。その子供たちにあって、シアリスが彼らの気持ちをすぐに理解できるはずはない、だろう」
 チクリ、と胸の奥が痛むのをシアリスは感じた。
 それはあの孤児院でアールに言われた言葉と似ていた。
『お前と俺たちは住んでる世界が違う』
 だから気にするな――――。
 表情を暗くさせるシアリスの頭に優しく手をおき、アセルニーは顔を覗き込んで微笑む。
「でもね、シアリス? 確かに人が人の気持ちを理解するのは難しいし、関わるのはそれ以上に難しい。でも、それでも」
 それでも?、シアリスは父親の目を真っ直ぐに見つめる。
「私は心配をする、気にかけるということがいけないなんてことは思わないよ。シアリスはミシェルのことが心配だったんだろう?」
 問われシアリスはあの日の誕生日会のことを思い浮かべる。
 泣いていたミシェル。
 なぜ泣いているのだろうと気になった。
 せっかくの誕生日に泣いているよりも、笑っているほうが幸せなはずだと思ったから。
「……うん。でも……ミシェルにとってはお母さんとの思い出があるから、つらいだろうし…」
「そうだね。確かにそうだけど、でもシアリスはどう思ったんだい? ミシェルが捨て子だと知って、ママが恋しいと泣いているミシェルを見てどう思ったのかな」
 戸惑ったようにシアリスは目をしばたたかせる。
「辛いから、悲しいから、いつも泣いていても仕方ない、と思ったかい?」
 シアリスは大きく首を振った。
「笑ってるほうがいい」
 哀しいけど、辛いけど、笑っていれば、いつかは――――。
「私もそう思うよ、シアリス」
 嬉しそうにアセルニーは微笑を浮かべる。
「人生にはまだまだシアリスが思ってもみないような辛いことや悲しいことがたくさんある。でもね、人間は生きていかなきゃいけない。前を向いてね。でも泣いていたら目がかすんでしまうし、涙で水溜りができて溺れてしまうかもしれないし」
 言ってアセルニーは自分の例えに苦笑しつつ、続ける。
「だからね、私はいつも思うんだよ、笑っていようと。笑っているほうがなにかいいことがあるかもしれないだろう。それに笑顔を向けられたほうも、嬉しい」
 にっこりとシアリスに向けられた笑顔は、いつものように暖かく優しい。
「もちろんいろんな人がいるから、それが受け入れてもらえないこともあるかもしれない。でもそれでもできるだけ私は家族に、まわりの人たちに笑っていてほしいと思う。それがお父さんの信念みたいなものだからね」
 アセルニーは言い終って照れたように笑った。
 シアリスはじっとアセルニーを見つめ、そして抱きついた。
「うん! ぼくもお父さんとおんなじ!」
 抱きついたまま顔をあげ、にっこりと笑う。
「笑顔って、ちいさなことだけど、きっと、きっと大切な大きなことなんだよね」
 すっきりとした表情で顔を輝かせシアリスは言った。
 そうだね、と頷き今度はアセルニーがじっとシアリスを見つめる。そしてぎゅっと抱きしめた。
「お父さんとお母さんはシアリスが笑っていてくれれば、それだけで幸せだよ」
 しみじみとした声が呟く。
 シアリスは「うん」とくすぐったそうに頷いた。
 しばらくしてシアリスははっとしたように顔を上げた。
「ねえ、お父さん。またアール孤児院に行ってもいい?」
「もちろんだよ。ミシェルに会いにいくのかい」
 頷き、シアリスは少し心配そうに表情を曇らせたが、それを振り払うように大きく首を振った。
「ぼくが友達になってミシェルをいっぱい笑わせるんだ。泣いている暇がないくらいに、楽しくするんだ!」
 それが簡単ではないことはわかっている。
 だがそれしか思いつかない。
「できる?」
「わからないけど、でも、がんばる。だって笑ってるミシェルが見てみたいんだもん。みんなと笑ってお友達になりたいんだ」
「………きっとお友達になれるよ。お前ならね」
 がんばりなさい、と暖かく勇気を与える声にシアリスは大きく頷いた。
 そうして二人はそれからしばらく他愛のない話をし、身を寄せ合って眠りについた。










***












 アールは退屈そうな欠伸を大きくして、本を閉じた。
 午後のうららかな昼下がり。孤児院の自習室で本を読んでいたが、窓から入り込む日差しに睡魔が襲ってきていた。
 ちらり後方を見るとミシェルが一人人形遊びをしている。
「3時になったら起こして」
 そうミシェルに声をかける。
 ミシェルは黙ったまま首だけを縦に振った。
 再度の欠伸をしつつ、アールは机に突っ伏し、目を閉じた。
 それから数分、眠りに落ちそうになったころ、にわかに外が騒がしくなった。
 楽しげな笑い声が廊下から響いてきて自習室に近づいてくる。
 そしてドアが大きく開いた。
 眠りを妨げられたアールはうんざりと顔をあげる。
 見慣れた仲間たちに『うるさい』と口を開きかけた。
 だがその文句は言うことなく、代わりに出た言葉は、
「なんで、いるんだ?」
 ぽかんとして、アールは仲間たちにまじって部屋に入ってきたシアリスに言った。
 その声にミシェルが顔を上げる。人形の髪をとかしていた手が止まった。
 アールとミシェルの視線を受けたシアリスは一瞬躊躇したあと、満面の笑顔を向けた。
「みんなと遊びたくって、来たんだ。お友達になりたくって」
「―――――は?」
 ミシェルはぽかんと口を開け、そしてアールもまた目を点にして声を上げたのだった。

 






05/1/11up