『sideB  perfect garden +3』






 一点の曇りもなく磨かれた黒い車体。
 太陽の光は車のフォルムを一際輝かせ、その存在感をしめしている。
 車は学校のような建物の駐車場に止まった。
 2階建ての建物の横にはすべり台などの置いてある小さなグランドがある。
 車から運転手がまず降りると、後部座席のドアを開いた。
 アセルニー・ハイラット、そしてシアリスが続いて降りる。
 興味深げに建物を見つめるシアリスの視界の中で、アセルニーのもとへ同い年ぐらいの子供たちがかけよってきた。
「おじさん、こんにちわ」
 アセルニーを取り囲む子供たちは5〜10歳くらいに見えた。
 楽しそうな嬉しい声をあげている子供たちに、シアリスは頬を緩める。
 みなに慕われているようすの父親が嬉しかった。
 建物の入り口付近にはこの施設"アール孤児院"の先生らしき初老の男性と40半ばの女性、若い女性二人がいた。
 12,3歳くらいだろうか。ジュニアスクールは卒業していそうな少年少女が4人、同じく並んでいる。
「ようこそ、アセルニーさん」
 初老の男がやってきて微笑んだ。
 アセルニーを取り囲んでいた子供たちはいっせいに道をあける。
「お久しぶりです。マグライア先生」
 にっこりと握手を交わす二人。
 マグライアという名前に、シアリスはこの男性が孤児院の院長であることに気づいた。
 院長はアセルニーから、その横に立つシアリスに視線を流す。
 温和な優しい眼差しがシアリスを見つめた。
「こんにちわ。シアリスくんだね?」
 マグライアが話し掛けたと同時に、子供たちが一斉に視線を向ける。
 注目を浴び、やや緊張しつつ、シアリスは笑顔を浮かべて腰を折った。
「はじめまして、マグライア先生。シアリス・ハイラッドです。よろしくお願いします」
 幼いながらに礼儀ただしく明瞭な声と雰囲気にマグライアは目を細める。
「こちらこそ。……噂に違わず利発そうなお子さんだ」
 ぽんとシアリスの頭に置かれた手はとても暖かく大きかった。
「ほら、みんな、シアリスくんだ。今日は一緒に誕生日会に参加するから、仲良くするんだよ」
 そうマグライアがよく通る声で子供たちに言った。
 子供たちは互いに顔を見合わせ、そしてシアリスを見る。
「さぁ、誕生日会をはじめるよ」
 マグライアは言い、ほかの大人たちとともに建物の中に入っていく。子供たちは誕生日会が始まる、と騒ぎ出し、駆け出す。
 一気に慌しくなったまわりに、シアリスはぽかんと走る子供たちを見ていた。
「ねぇ! 来ないのー」
 男の子がふと振り返ってシアリスに声をかけた。
「え、ああ」
「ほら、早くー!!」
 屈託ない笑顔で別な男の子が叫んだ。
 元気のよい声に、思わず頬が緩むのを感じる。
 シアリスもまた楽しげな表情で駆け出した。





「今日はミシェルとラットのお誕生日会です。みんな、二人に拍手!」
 リードという若い女性が大きく手を打ち言った。
 子供たちは一斉に拍手する。
 ピンクのリボンを首に巻きつけたテディベアを胸に抱いたミシェルと、いかにもやんちゃそうな顔をしたラットは、少し恥ずかしそうに笑った。
「はーい、そして二人には………」
 リードが合図をし、4人の少年少女がプレゼントを抱えてミシェルとラットのもとへと立った。
「お誕生日おめでとう!」
 口を揃えて部屋にいる全員が大きく言った。
 シアリスも声をそろえ、笑顔で二人を見つめる。
 プレゼントを受け取った二人は楽しそうにリボンをほどく。
「わぁ、やった!」
 思わずラットが歓声をあげた。
 包みの中から現れたのは最近発売されたばかりのプラモデル。
 そして隣ではミシェルが箱の中からパールピンクのワンピースを取り出した。同じ色の靴も入っている。
「わぁ、かわいい〜」
 そう思わず歓声を漏らしたのは、ミシェルのプレゼントを見た女の子達。
 フリルをふんだんにあしらったワンピースと靴をミシェルはまじまじと見つめていた。
「気に入ったかな?」
 にっこり微笑みかけるマグライアたちにラットは大きく頷き、ミシェルもまた頷いた。
「それじゃあ次は、ケーキね!」
 気の早い一人の女の子が叫んで、どっと笑いがこぼれる。
 たっぷりのフルーツがのった大きいケーキが二つ運ばれてきて、今度は誕生日の歌を歌う。
 そして主役二人がロウソクを吹き消し、ケーキが取り分けられたころには、楽しい笑い声がやむことなく広がっていた。






 ケーキを食べ、いろいろなゲームをした。
 カードゲームやビンゴ。身体を動かして遊ぶことを教えているこの孤児院において、めったにできない体感型のコンピューターゲームをしたときには特に夢中になって遊んでいた。
 絶えない笑い声に、シアリスもまた笑みを絶やすことなく輪の中で一緒に遊んでいた。
 大勢の子供たちの中で遊ぶのははじめて、こんなにも心が弾むのもはじめてだった。







 キィ……、小さくドアの開く音に、ふとシアリスは振り返った。
 部屋の後ろのドアからミシェルが部屋から出て行くところだった。
 今日の誕生会の主役の一人であるにも関わらず、その横顔はどこか寂しげだ。
 ドアが閉まるっていくのを見ていると一人の男の子があとを追うように出て行った。
 すぐそばには笑い楽しんでいる子供たちがいる。だが、シアリスは出て行ったミシェルのことが気になった。
 しばし逡巡して部屋をでる。
 廊下はひどく静かだった。
 どこへいったのだろう、とあてもなく歩いていると話し声が聞こえてきた。
 ドアがわずかに開いた部屋があり、のぞくとミシェルと男の子がいた。
 テディベアを抱きしめ、ミシェルは泣いているようだ。
 微かな鼻をすする声が響く。
 シアリスよりも3歳ぐらいは上に見える男の子はため息混じりにミシェルに話し掛けている。
 シアリスはしばらく迷ったが、声をかけた。
「どうかしたの?」
 ミシェルはびくっと肩をふるわせて顔をあげる。
 大粒の涙で頬がぬれている。
 男の子も驚いたようにシアリスを見た。
「大丈夫?」
 戸惑いつつ声をかけるとミシェルはテディベアをぎゅっと抱きしめまた泣き出す。
「大丈夫だよ。別にたいしたことじゃねーから」
 そう返事を返したのは男の子。小さく笑って「俺はアール。この孤児院と同じ名前」と名乗った。
 日に焼けた顔によく映えるブルーの瞳は男の子というよりも少年。大人びた光を宿していた。
「たいしたことじゃないって……。でも泣いてるよ?」
 シアリスは言いながらハンカチをミシェルに差し出す。
 だが首を横に振って受け取らずミシェルはさらに顔を伏せる。
「ほっとけばいいんだよ」
 アールはあっさりとした口調で笑う。
 ほっとけばいい、と言ったが、ミシェルのそばにこうしてついているということは心配しているということなのだろう。
「………なにかあったの」
 ミシェルのそばにひざをつき、シアリスはアールを見上げた。
「プレゼントが気に入らなかっただけさ」
「プレゼント?」
 キョトンとしてミシェルに視線を落とす。
 ミシェルが貰ったのは女の子なら喜びそうな可愛らしいワンピースだったはずだ。
 シアリスは怪訝に思う。だがふと思い至って、優しく声をかける。
「他に欲しいものがあったの?」
 ミシェルはわずかに身じろぎ、テディベアをさらに強く抱きしめる。
 大きなため息をつき、アールは壁に寄りかかる。
「何がよかったのかな……。お人形さんとか?」
 シアリスは静かに微笑みかけながらミシェルの抱きしめているテディベアを見た。
 テディベアはそう古くもなさそうだったが、ところどころ綻びがあった。
 いつも持ち歩いている、そんな感じだった。
 大切なものなのだろう。
「可愛いテディベアだね」
 泣きつづけていたミシェルは、小さく顔を上げた。
「名前はあるの?」
 ミシェルは潤んだ目をしばたたかせてシアリスを見る。
「……………………メリー……」
「メリーっていうんだ。可愛い名前だね」
 シアリスの穏やかな笑顔と、名前を褒められたことが嬉しかったのか、ミシェルは鼻をすすりながらようやく涙を止めた。
「昔……お家で飼ってた犬の名前なの……。とっても賢くて可愛かったのよ……」
 ぽつりぽつり呟かれた言葉に、シアリスは笑みを返す。
「そうなんだ。同じ名前をつけるほど、その犬が大好きだったんだね」
 小首をかしげてシアリスをじっと見つめる。少ししてミシェルは頷いた。
「メリーはミシェルのお姉ちゃんだったの。パパはミシェルが生まれる前に死んじゃってたんだけど、メリーがかわりにずっとお家にいたの。メリーがいつも一緒にいてくれてたの」
 テディベアに視線を落とし、懐かしそうな哀しそうな声がこぼす。
 静かな空気の中で、小さなため息が続いて響いた。
 ちらり後ろへ目を向けると、アールと目が合った。
 わざとらしくため息をついた口元に笑みを浮かべるアール。
『また泣くよ』
 そうアールは口だけを動かして言った。
「でもミシェルが3つのときに死んじゃったの……」
 ミシェルへと視線を戻して、シアリスは「そう」と相槌を打つ。
 哀しい思い出にまた泣いてしまうのだろうかと思ったがミシェルは暗い眼差しでメリーを見下ろしたまま黙った。
 それからしばらく沈黙が流れた。
 誕生日なのに泣いているのは寂しい、シアリスはそう思いながら、これからどうしようかと悩む。
 そんなシアリスを見かねたのかアールが身を起こし、ミシェルのもとへやってきた。
「ほら、もういいだろ。みんなのところに戻ろうぜ? プレゼントのワンピース着てみればいいだろ。気に入るよ」
 ぐいとミシェルの腕を引っ張る。
 されるがままに半分身を引き起こされるが、反動でメリーが床へ転がった。
「あっ」
 ミシェルは慌ててアールの腕を振り払う。すぐにメリーを大切そうに拾い上げて抱きしめた。
「大丈夫?」
 シアリスが声をかけると、ミシェルは再び目を潤ませた。
「メリーいつ帰ってくるの」
 そう問いかけられてシアリスは戸惑う。
「帰ってきやしねぇってば。お前がさっき死んだっていっただろう」
 うんざりとしたアールの声が答えた。
「だって、だって帰ってくるっていったもん…………」
「そりゃ嘘だよ」
 アールはミシェルが泣いている理由を知っているのだろう。
 あっさりと『嘘』と片付けるアールの横顔は無表情だった。
「だって、ミシェルの誕生日に帰ってくるって」
「買ってくる、だろう。新しい犬を」
「……………ミシェルの4歳の誕生日に………」
 シアリスはハッとする。
 今日はミシェルの5歳の誕生日だったはずだ。
 すでに4歳をすぎ、犬のメリーが死んで2年は経っている。
「ママがメリーを連れてくるって」
 約束したんだもん―――――――。
 そう消え入るような声が響いた。
 眉を寄せシアリスはミシェルを見つめる。
 胸がひどく重く苦しく感じた。
 メリーを連れてくると約束した母親。
 だが約束は果たされず、ミシェルは孤児院にいる。
 それはミシェルの母親もまた、死んだ、そういうことなのではないのだろうか。
「………ミシェル……」
 かける言葉を見つけられず、ただ呟く。
 重い空気に震えるような泣き声がもれた。
 一粒、二粒、また涙を流しながらミシェルはメリーを強く強く抱きしめる。
「メリー………に……。ママ……に会いたいよぉ………」
 しゃくりあげるミシェル。
「だから、いい加減に諦めろっていってんだろ、いつも」
 苛立たしげにアールが呟いた。
「ママァ…………」
 ポタポタと零れ落ちる涙が、シアリスの心を揺り動かす。
 どうすれば泣き止ませることができるのか。
 どうすれば、と悩むだけで答えは見つからない。
「だから―――――」
 何度目か、アールが再び大きなため息をついた。
「だから、泣いても無駄なんだよ。お前のママはお前を捨てて男と逃げたんだから」
 驚いてシアリスは目を見開く。
「お前も死んだ犬も、お前のママにはもう必要ないんだよ」
 なんの感情も感じさせない声。
 だがその表情は、どこか辛そうだった。
 シアリスは呆然と、アールとミシェルを眺めることしかできなかった。

 捨てられた。

 その言葉に、火がついたように泣くミシェル。

 捨てられた。

 その言葉を、はじめて聞いたかのように愕然とするシアリス。

 親を亡くした子供たちが集められたのが孤児院。
 親を失くした子供たちが集められたのが孤児院。

 あたりまえのこと。
 だが亡くすのと、失くしたのは大きく違う。
「ママに会いたい………。会いたいよ」
 泣き声が、耳に痛い。
「……………きっと」
 泣き声を、もう聞くのが苦しくて、シアリスは呟いた。
 胸に手を当て、必死に呼吸を整える。
「きっと、また会えるよ……。きっと、ミシェルを迎えにくるよ」
 精一杯の笑顔を浮かべて言ったシアリスに、ミシェルは一瞬泣くのをやめる。
「ほんとうに……?」
「うん。イエス様に……神様にお祈りしよう。ママにもう一度会えるようにって」
 真剣な表情のシアリス。
 アールは眉を寄せ、そしてミシェルはポカンとした。
 そして唐突に、泣いていたミシェルは顔をゆがめる。
「バカみたいっ!!!」
 大切なメリーを放り投げ、ミシェルは叫ぶ。
 今度はシアリスが唖然とした。
「神様? バカみたい!! 祈ったってムダだもん。ほんとは知ってるもん!」
 涙をためた瞳は、怒りに揺らめいている。
「『お前なんかもういらない』って、捨てたんだもん! 『お前なんか生まなきゃ良かった』って言ってたもん!!!」
 恐ろしい言葉でも聴いているかのように、シアリスは硬直する。
 だが、そんなことはない、そんなことはない、と必死で言葉を返す。
「そんなこと……ないよ。一緒に祈ろう? そして―――――」
「祈ってどうなるの? なに神様って? あなたのパパもおんなじこと言ってた。院長先生も神父さまもおんなじこと言ってた! でもでもでも!」
 呆然として言葉が出ずに固まる。
 そんなシアリスにミシェルは言い放つ。
「ママは来ない! 祈ったってムダだってみんな知ってるもん!!! ここにいる子たちみんな知ってるもん」
 シアリスは困惑し、泣きそうな顔でミシェルを食い入るように見つめる。
「神様なんて―――――」
 ミシェルの唇がゆっくりと言葉を紡ぐ。
「神様なんて」
 シアリスはミシェルの言葉を、口の動きをじっと、そらすことができずに、見つめ続ける。


 神様なんて?


「いな―――――――」
 だが、言葉は言い終わらずに、さえぎられた。
「どうしたんだ?」
 ドアが開き、アセルニーとリードが入ってきた。
 強張ったシアリスとアセルニーの目が合う。
 シアリス?、そう心配そうに揺らいだ父親の眼差しに、シアリスは慌てて視線をそらした。
「なんでもないんです。ミシェルがちょっと駄々こねてて。いつものですよ」
 アールが曖昧な笑みを浮かべながら、リードのほうへとミシェルの背を押しやる。
「さぁ、さっさと戻ろうぜ。ケーキ残ってるかなぁ」
 明るい声で大人たちを部屋から追い出す。
 そしてアールはシアリスへ手をさし伸ばした。
 力ないシアリスを立たせながら、アールは微笑した。
「気にするな? お前と俺たちは住んでる世界が違う。いちいち気に病むことないよ」
 ひどく優しい声だった。
 だがひどく隔たりのある言葉だった。
 シアリスはその言葉にたいして、自分がどういう表情でどんな返事を返したのか、わからなかった。











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