『sideB  perfect garden-1』










 すべては、光の中にあった。











 2070年。世界は統合された。
 新設された政府機関。
 あらゆる国境はなくなり、すべてをひとつに。
 それにともないさまざまな施設、道路などがつくられはじめた。
 そして、世界有数の企業であり大富豪と言われているハイラット家もまた新首都建設に参加し、新時代の一端を担っていた。


 そのハイラットグループ総帥アセルニー・ハイラットに、2073年、第一子が誕生した。
 妻の名はオリビア。
 結婚して16年目にしてのようやくの待ちに待った子供だった。






 雪が、降っていた。
 11月だというのに、とても寒い夜だった。
 午前1時32分、静まり返った病院の中で、産声があがった。
 母親とお揃いの銀色の髪を持つ子供は生まれたのだ。
 38歳という高齢での出産で、オリビアは体力的にも限界が近く、子供の顔を一目見るだけで触れることはしなかった。
 父親であるアセルニーは多忙を極めている。
 まだ世界は統合されて3年しかたっていないのだ。
 だが、出産の報告を受け、彼は急いで病院へ向かっていた。
 到着したのは午前4時。
 ガラス越しに眠る子供を見、すべての疲れが癒されるのを感じた。
 そして妻の病室へと行き、朝、妻が目覚めるまでそばにいた。
 妻が起きると、二人で子供を見に行き、喜びをかみ締めた。
 その日、お昼になるころには誕生を祝う品が、世界中から送られて部屋の中を埋め尽くしていった。







 夫妻にとっては、最愛の、ずっと願っていた子供。
 ハイラットグループにとっては、未来の総帥となるべき、子供。








 シアリス。


 生まれた子供は、ハイラット家創始者の名を、授けられた。

















「シ〜アリス」
 愛を満面に含んだ声が呼びかけた。
 サラサラの銀色の髪をふわり浮かせ、深い青の瞳を向ける。
「ばーば」
 つたない言葉で、子供は天使のような笑顔を浮かべる。
 小さな手を伸ばす子供をリュシーは抱き寄せた。
「なにをしていたの?」
 60半ばを超えたリュシーは、だが歳を感じさせない美しさがある。
 アセルニーの母親である彼女は、数年前まで息子を凌ぐほどの勢いで仕事をしていた。
 だがシアリスが産まれたとたんに、会長という座を退き、今は気ままな生活を送っている。
 ポンポン、と子供は―――シアリスは絵本の表紙をたたいた。
「まぁ本を読んでいたのね?」
 もうすぐ1歳半になるシアリス。
 文字などまだ読めるはずもないが、気づけばおもちゃよりも本を開いていることが多い。
「お義母さま、お茶が入りましたよ」
 オリビアの言葉にシアリスを抱きかかえて、椅子に座る。
 テーブルの上にはイチゴをふんだんに使ったケーキとアールグレイティー。
「はい。シアリスにはグレープフルーツジュースよ」
 にっこりオリビアがシアリスの前に置くと、ぱっと顔を輝かせ手を伸ばす。
 リュシーがジュースを取り、シアリスに飲ませてあげる。
「おいしい?」
 リュシーの向かいに腰を下ろし、オリビアが覗き込む。
 ストローを口にくわえ、必死に飲みながらシアリスは笑顔で頷く。
 その笑顔に母親と祖母は顔をほころばせる。
「それにしても本当にシアリスは本が好きなのねぇ」
 床に散らばった数冊の絵本を見やる。
 オリビアも視線を向け、
「ええ。絵や写真を見ているだけなんでしょうけど、いつも本ばかり」
「いいことだわ。もしかしたらこの子の将来は文学者かもしれないわね」
「お義母さん、気が早いですわ」
「そうかしら? きっとこの子には素晴しい才能がたくさんあると思うの。だって目元なんて曽祖父様にそっくりだもの」
 リシューの曽祖父とはハイラット家の創始者シアリス。
 同じ名を受けた息子を、オリビアは目を細めて見つめる。
 その銀色の髪はオリビア譲り。深い青の瞳はアセルニーやリシューと同じ色。
 だが幼いながらにすっきりと整った顔立ちは両親に似ず、どこか理知的な雰囲気さえある。
 生まれたばかりのシアリスを見て、それに気づいたリシューがハイラットグループの礎を築いた創始者シアリスの名をつけることにしたのだ。
「本当にお義母さまたら、シアリスには甘いんですから」
「しょうがないわ、こんなに可愛いのですもの」
 顔を見合わせ、義理の母娘は笑みをこぼす。
 シアリスは楽しそうな母と祖母の顔を見上げ、つられてにっこりと微笑んだ。
「ほんとうに、天使のようだわ」
 孫の笑顔でいっそうリシューは破顔する。
 シアリスがイチゴを頬張っているのを眺める。
 しばししてリシューはため息をついた。
「どうかしました?」
 オリビアが小首をかしげ義母を見る。
「いいえ、アセルニーの小さいころを思い出していたのよ。あの子は1歳過ぎたころから家庭教師をつけさせていたのだけれどね」
「そういえば、物心ついたころには回りは先生だらけだった、って言ってましたわ」
 ハイラット家を継ぐ者としての教育に早すぎて困ることはない。
 オリビアはシアリスに視線を向けた。
「シアリスにもそろそろとお考えですか?」
 できれば自由に育てたいところだがそうも言ってはいられない。
 この家に嫁いだときから、オリビアにもそれなりの覚悟はしていたのだから。
 だが予想に反してリシューは複雑な表情をした。
「そうなのだけれどねぇ。こんな可愛い私の天使には自由にしていてもらいたい、とも思うのよね」
 オリビアは一瞬きょとんとして、思わず吹き出す。
 アセルニーがこの場にいたらどう思うだろう。
 そう考えると笑わずにはいられなかった。
 アセルニーの幼少期にはそれはそれは恐ろしい教育ママだったそうだから。
「あの人がいまのお義母さまの言葉を聞いたらびっくりしますよ。僕のときはあんなに大変だったのにーって」
 クスクスと紅茶を飲むオリビアにリシューも苦笑する。
「そうだったわねぇ」
 だがオリビアは嬉しくてしかたがなかった。
 ずっと長い間、子を授からずつらい思いをしていた。
 だがようやく生まれた子は何よりも愛しく、誰からも愛されている。
 オリビアは暖かい眼差しでシアリスを見つめ微笑んだ。
 生クリームを口の周りにつけケーキと格闘していたシアリスはオリビアの視線に気づき笑う。


 この子にずっと光が降り注いでいますように。


 オリビアはいつもそう祈っていた。




















 車は教会の前で止まった。
 運転手がドアを開け、シリアスは母とともに降りる。
 小さな歩幅で母に手をひかれ教会へと入っていく。
 高い天井、古さを感じさせる木の香り。正面の嵌めガラスから入り込む光が眩い。
 毎週日曜の礼拝をハイラット家は欠かさない。
 顔なじみの神父と挨拶を交わす。
 少し雑談をしていると、するりシアリスの手が離れた。
 会話を止めオリビアは息子の姿を見る。
 シアリスはまだ不確かな足取りで一人祭壇のほうへと向かっていた。
 その様子にオリビアは笑みをこぼした。
 神父もまた微笑を浮かべる。
 シアリスは祭壇のところまでくると、十字架にかけられたキリスト像を見上げた。
 熱心な眼差しで見つめている。
「また、ですわ」
 オリビアが口元に手を当て、笑いを含んで言った。
「よっぽど信仰がおありなんでしょう。あの幼い中には」
 そう神父は優しくオリビアに視線を向けた。
 いつも、教会に来るたびにシアリスはキリストの前にいき、しばし見入るのだ。
 それはいつからだっただろう。
 まだ歩けないとき、オリビアの腕の中にいるときから、すでに視線はキリストを捕らえていた。
「喜ばしい限りですね」
 神父の言葉にオリビアはにっこりと頷く。
 慈善家であり、非常な信仰家であるオリビア、そして夫であるアセルニーにとって、息子が幼いながらに神の存在を間近に感じてくれていることはとても嬉しいことだった。
 しばらくしてオリビアはシアリスのもとへと歩み寄り、静かに呼びかけた。
「シアリス。お席につきましょうか」

 シアリスはきょとんとオリビアを見上げる。
 そしてまたキリスト像を仰ぐ。
 オリビアがシアリスの手をとると、ようやくシアリスは祭壇から離れた。
「マーマ」
 小さな声がかかる。
「なあに? シアリス」
 真っ直ぐな瞳はオリビアを映す。
「マーマ」
 オリビアは笑いながら屈みこみ、シアリスを覗き込んだ。
「どうしたの?」
 細い首を傾げてシアリスは再度祭壇のほうを見る。
 そして、
「なんで」
 と言った。
 まだしゃべりはじめて間もないシアリスの少ない語彙の中から出た言葉。
「なんで?、ってなにが? どうしたの?」
 不思議そうにオリビアは微笑みかける。
 だがシアリスはそれ以上の言葉を持たず、その心にある疑問を言うことができなかった。
 幼い子供はしばらく困ったように母親を見上げた。
 そしていつもと同じように母親の手を引っ張った。
 いつもと同じように、所定の席へとつく。
 やがて神父の話が始まった。
 まだ理解できない話を聞き、祈る。
 祈りながら、思う。
 祭壇の奥。
 一際多きなステンドグラスの前に掲げられたキリスト像のことを。


『なんで――――――』


 何故、あの人は―――。

 皆は―――――。


『なんで―――――?』



 いつも思うことは言葉にできず消えてしまう。
 ずっと不思議に感じていたこと。
 それをシアリスが言葉にして問うにはまだしばらくの時間を有した。

















04/6/9up